第四十七話 白翼の知らせ
◇◇◇
第一拠点を出発してから、休むことなく三日が経過した。
食事と仮眠以外は歩き通しで、士気は高いからまだ脱落者は出ていないけれど、強行軍は体以上に精神の疲労が厳しいわ。
それでも皆、文句も言わずに歩き続けて、予定よりも一日早く仮設拠点に辿り着くことが出来たの。
そして今、私たちは一晩の休息に身を委ねているところ。
「ふぅ、気持ち良い……。カイト、ちゃんといる?」
「いるよ。鉄棺種図鑑を見ているから、ゆっくりと入って」
三日振りの水浴びはとても気持ちが良いわ。
覚悟は決めていたけれど……か、彼の前で身嗜みは清潔にしておきたいの。
ここは野営地から離れた森の中の水場で、もっと近い水場もあったけれど、あちらは他の探索者が使っているもの。
見張りはカイトにしてもらって、テュルケは辿り着くなり寝てしまったから、テントで休ませているわ。あんな小さい体で、誰よりも頑張ってくれているの。
道程の半分より進んだとは言え、この先には戦いが待っているのかも知れないから、休める時に休ませておかないとね。
「それにしても不思議だな」
「え? 何がかしら?」
「第一界層は夜で固定されていたのに、第二界層は一昼夜があって今は夜だ。この差が何だろうなと気になって」
「考えたこともなかったわ。貴方は世界の裏側まで見通そうとしているのね……」
本当に、私にとってはカイトが一番不思議だわ。
水場の傍、木の向こうにいる彼の様子はここからでは窺えない。
けれど、きっと難しい顔をして空を見上げているんだわ。
「ねえ、カイト」
「うん?」
「この戦いが終わって、角も取り戻せたら……」
「ちょっ! ちょっと待って!!」
何かしら、カイトが急に茂みを揺らして慌てているわ。
「どうかしたの?」
「ああ……いや、迷信を信じるわけじゃないんだけど……それは『フラグ』と言って、僕たちの国では良くないことが起きる前兆なんだ。ごめん、話の腰を折って」
「カイトって論理的なのかと思っていたけれど、意外と信心深いところもあるのね」
「別に何かを信じているわけじゃないんだけど……いや、信じると言うならリシィをごにょごにょ……」
本当に不思議で、変な人。
誰にも何も言われなくても、自身を勝手に顧みてどこまでも進もうとする。
サクラも、テュルケも、ガーモッド卿も、あのセオリムだって、きっと彼を知る多くの人々が、知らず知らずの内にそんな彼から目を離せなくなっている。
例え力が足りていなくても、誰よりも必死に考えて、どうにかしようと最後まで足掻き続ける、不思議な異世界からの来訪者……いえ、私にとっては贈り物ね。
やはり、彼とは対等でいたい。
騎士ではなく、そう……。
「カイト、上がるわ。こっちを見ないでね」
◆◆◆
ふぅ……冷静に見張りに徹したつもりだけど、正直なところ気が気じゃなかった。
ただでさえ情報の少ない“正騎士”のページが、全く頭に入っていない。
リシィが、一糸纏わない姿で水浴びしていると思うと、あの日……お風呂で真っ赤になった彼女を思い出すからだ。
まさかのラッキースケベ展開にならないよう、二十四通りの状況を想定して解決策を模索した。現状では完全に余計な思考だ、正常に稼働する煩悩が恨めしい。
「見張りご苦労さま。カイトは良いの?」
「ああ、僕は後で近場を使うよ」
僕を見上げるリシィの髪はまだ濡れていて、そのせいか妙に艶めかしく感じる。
これはいけない。心臓の鼓動が早くなって、本来考えるべきこととは別のことを考えてしまうんだ。
二人切りの絶好の機会に、想いを伝える……それこそフラグじゃないか。
今は、意識を乱す余計なイベントは禁止だ。冷静になって、これからの対策を練ることに時間を使わないと。
とりあえず、この状況を脱出する。
僕たちは揃って野営地に戻った。
岩山の頂上近くにある、平坦で木々も生い茂った場所だ。
周辺にはいくつもテントが張られ、疲労の色が濃い先行支援部隊の人が、今も周囲で見張りをしてくれている。
「お疲れさまです」
「ああ……皆集まってる。君も行くと良い」
「はい」
僕が声をかけたのは、見張りをしている下半身が馬の形状の人。『ケンタウロス』と言えば良いか。移動力、積載量、二足歩行じゃ限界があるところを補える人材が、この世界には存在するんだ。
彼に促され、テントの合間を抜けて行くと人が集まっていた。会議室で見覚えのある顔ばかりで、ルニさんもいることから何か進展があったのか。
その中に見つけたサクラの背に近づく。
「あ、カイトさん、リシィさん。たった今、強行偵察隊の斥候が戻られました」
「うん。サクラ、それで状況はわかった?」
「いえ、これからです」
見ると集団の中央には、水を飲む白い翼の少女がいた。
翼は背中から……じゃないな、髪がそのまま翼状になっているんだ。
「クサカさん、丁度良いところに。これから報告を受けますわあ」
「はい。すみません、少し離れていました」
ギルドマスターであるルニさんは、本来なら第一拠点で指揮を執る責任があるけど、今回は周りの反対を押し切って同行していた。
やはり思うところがあるんだろう、これが彼女なりの責任の取り方なんだ。
「お水、美味しかた、です」
「ご苦労さまでしたなあ。休ませたいところですけど、その前に第二拠点の状況を知らせてもらえます?」
「はい、です。第二拠点……廃墟、ですた」
ここにいて報告を聞いていた者は、皆ただ静かに唸りを上げた。
ある程度は覚悟していたけど、第ニ拠点ラクィア襲撃が確定して、犠牲者が出てしまっていることの他に、目的が墓守討滅に定まった瞬間でもあるからだ。
「生存者は確認出来ましたか?」
「遺体、少ない、ですた。境界防護壁、崩れ、城壁、穴空き、ますた」
「防護壁が崩された?」
「バカな……三重だぞ……?」
「相手が正騎士ならあり得る。奴がいることも確定か」
「城壁も破壊されたとなると挟撃されている。複数いるか?」
“上層第二拠点ラクィア”は、界層の境界壁に隣接する城塞改造拠点だ。
第一拠点と違って地下じゃなく、第二界層の岩山の上に存在するため、防衛設備も充実して並大抵の墓守じゃ近づけない要塞なんだ。
それが廃墟……この事実は、そこに向かう者たちに少なくとも影を落とす。
「周囲に【鉄棺種】は確認出来ましたか?」
白翼の少女は、その翼ごと頭を横に振る。
「だでも、足跡、ありますた」
「それは“正騎士”の?」
「“従騎士”、です。最低、四体、です」
ざわざわと、探索者たちの間に動揺が広がる。
“従騎士”――正騎士ほどじゃないけど、厄介な墓守だ。
全長は七メートルほどで、武装は主に剣などの近接装備を持ち、巧みな技で探索者を翻弄する騎士型の【鉄棺種】。
盾を持てば防御力に秀で、剣を扱えば自由自在、時に砲弾さえも断つと聞く。
そして、当然“従騎士”の名前は、正騎士に率いられることも示す。
間違いなく、存在する。
火砲があるにも関わらず、何故か墓守には近接型が存在する……その理由は探索者の存在だろうか。
身体能力、固有能力に秀でたこの世界の人々は、砲の旋回速度を上回って纏わりつく。なら、叩き落とす手段を備えないことには、火砲もただの筒でしかない。
この世界の戦いは、現代地球の軍隊対テロ組織以上の非対称戦だ。
墓守の形の調和のなさは、この世界の人種の多様さに対抗しようとした結果か。
答えは出せないけど、もし本来想定された大部隊運用を墓守側がしてきたら……。
本当に何なんだ、墓守……【鉄棺種】とは……。
話は続いている。
「他の経路は確認しましたか?」
「はい、他ふたつ、門無事、ですた。偵察隊、第三界層、入りますた。生存者捜索、墓守行方、追跡中、です。以上、です」
「そうですか……ほんにご苦労さまでしたわあ。貴女は、もう今日は体を休めなさいなあ。明日からは本隊の直掩をお願いします」
「はい、です」
白翼の少女は、ギルド職員に連れられてフラフラとテントに入っていった。
飛びっ放しだったんだろう、話している最中もどこか朦朧としていた。
「皆さま、目的が定まりましたわあ。第ニ拠点は【鉄棺種】に襲撃されて壊滅。“正騎士”の姿は確認出来ていませんが、少なくとも“従騎士”四体がいます。これの討滅を第一目標として、第三界層へ進出します」
「ああ、わかった」
「任せろ」
「仇は取る……」
「クソ! ぶちのめしてやる!」
「生存者は必ず見つけ出す……」
探索者たちの反応は様々だ。
それでも、誰もが立ち向かうつもりでいる。これが探索者の気概。
僕も、今の内に出来るだけ情報を集めておこう。
誰も気が付かないような、地球の知識の延長にあるものを探す。
例え、この道程がどんなに細い蜘蛛の糸でも、最善を見つけ出すために。