第四十五話 途絶える道行き
リシィと出かけた日から更に五日が経過した。
この間はベルク師匠の鍛錬に付き従って、拠点周辺で山登りを続けている。
旅を続けるにはとにかく体力が必要で、それなりの傾斜がある斜面は足腰の鍛錬に丁度良い。まだ僕は武器の素振りも許されていないから、その代わりだ。
今は休憩中、ここ五日で折り返し地点となった切り株で、水分を摂りながら風光明媚な景色を楽しんでいた。
「流石に、一週間も足止めされるとは思っていませんでした」
「うむ、致し方あるまい。あのような墓守に遭遇することも前代未聞。本来ならばルテリアに帰還し、気の済むまで休息を取れる功績に相違ない」
僕たちは人を待たせている身だ。
ノウェムは特に期限を告げなかったけど、一向に姿を見せない相手に、今ごろ憤慨しているんじゃないだろうか。
それとも、直ぐ近くで僕たちを見ているか。“転移”能力があれば、距離の制限なんてないだろうし
「カイト殿、右肩の調子はどうか」
「もう大丈夫です。今晩にでも、出発の準備を始めようと言い出すつもりでした」
「うむ、と言っても保存食は殆ど残している。買い足すものは少ない」
「はは、ですね」
第一拠点の入口の周囲は森で、拠点自体が山の中だ。木々が天然の要害となってあらゆる墓守の侵入を防いでいる。
流石に阻塞気球の大きさになると、大木も薙ぎ倒してしまうだろうけど、界層の間にある拠点を襲撃するには地面を掘るしかない。
山を覆う森、谷底の花園、岩山の城塞、元々ここは何だったんだろうか。
尽きることのない想像が、ゲーマーとしての冒険心をくすぐる。
「何奴!?」
突然ベルク師匠が声を張り上げた。
「カイトさん、ベルクさん、サクラです!」
サクラが枝を掻き分けて頭上から降ってきた。
ここは急斜面の最上だけど、彼女は息切れもしていない。
「サクラ、どうかした?」
「はい、探索者に非常召集がかかりました。各パーティの代表が集められています。ルニさんが、カイトさんにも是非参加して欲しいとのことです」
「非常召集……? まさか……いや、考えても仕方ない。直ぐに行こう」
思い当たることはひとつ、“正騎士”だ。
すんなりと、“秘蹟抱く聖忌教会”までは辿り着けないと思っていた。
怪我以上にそれが気懸かりで、第一拠点で足踏みしていたのも確かだ
未討滅――この事実は、阻塞気球戦を思い出して気を重くする。
あの時、何かひとつずれていたら、リシィを失っていたかも知れないから。
怖気づいた……そうかも知れない……。
―――
ベルク師匠に出立の準備を任せて、僕とサクラは探索者ギルドに向かった。
「遅い! 皆もう集まっているわよ!」
「リシィ、ごめん。山を降りるのに時間がかかった」
「もう、カイトは治ると直ぐ調子に乗るんだから!」
「ご、ごめんなさい!」
ギルドの前で合流したリシィに先導されて、僕たちは建物の階段を上がる。
一階の広間は多くの探索者でひしめき合い、情報が下りるのを待っているようだ。
何が起きているのかはわからない。慌ただしく行き交うギルド職員の様子から、かなり緊迫した状況なのは察することが出来た。
「すみません、遅くなりました!」
三階の会議室、広さが学校の教室ほどの室内には、職員の他に各探索者パーティの代表が、ざわざわと憶測を立てながら待機していた。
人数は三十人ほど。中央に会議机があるため、密集して空間がない。
「あれが『軍師』、カイト クサカ……」
「テレイーズの龍血の姫……」
「“焔獣の執行者”……」
僕たちに、敬意とも畏怖とも取れない視線が集まった。
『軍師』……どうも、砲狼戦の辺りから僕につけられた二つ名で、ここ数日はどこに行ってもそう呼ばれるんだ。
評判ばかりが先行しても、僕は兵法を学んだわけでも、ましてやその筋の専門家でもない。砲狼戦だって、作為的に形作られた結果だ……。
そんな風に居心地を悪くしていると、僕たちの前に白金の鎧を身に纏った男性が歩み寄ってきた。
「殿下、日を待たず再び拝謁に与り光栄に存じます。カイトくんも、また会えて嬉しいよ。とは言え、喜んでいられる状況ではなさそうだが。サクラも久しぶりだね」
「畏まらなくても良いわ。私は今、探索者なんだから」
「セオリムさん、お久しぶりです。何があったんですか?」
「はい、お久しぶりです。二年振りですね」
「説明は私もこれからだよ。ただ、既に先遣隊が出ていることから察すると、あまり良い内容では……おっと、来たようだ」
扉を塞いでいた僕たちの背後にルニさんが立っていた。
穏やかな目はそのままに、瞳の内だけ火が灯ったように揺れている。
良くない何かがあった、まさにその通りなんだろう……。
「皆さまあ、お待たせしましたわあ。人員の掌握に難儀しましてなあ、やっとこ色々と折り合いをつけてきたところですわあ」
「アーヴァンク、ご託ハ良い。要点カら言え」
部屋の奥で壁に寄りかかった、頭部が獅子で傭兵風の男性が声を上げた。
ルニさんは一瞬だけ表情の険を厳しくし、だけど直ぐに『それもそうねえ』と呟いて話を始める。
「まずはお礼を言うのが筋だと思いますけどなあ、この瞬間にも良うないことはおきてます。皆さまに要点のみをお伝えしますと、“第二拠点ラクィア”からの連絡が、一昨日夜の定時連絡を最後に途絶えました」
ざわめきが室内に波を打つ、喧騒の中から聞こえるのは動揺だ。
“第二拠点ラクィア”、本来は一週間前に僕たちが目指していた、第二界層と第三界層の境界にある拠点だ。
上層最深拠点で、“秘蹟抱く聖忌教会”に向かう最後の要所でもある。
「ハッ、下ラん。『正騎士に襲撃サれタ』、そう言えバ良い。奴ガ現れタことハもう皆ガ知ってる。隠して何も対策を出せナカっタ、お前タちギルドの責任ダろう」
獅子頭の探索者が、遠慮のない悪態を吐く。
顔の左半分に大きな傷跡を残し、歴戦の猛者の風貌は口だけじゃなさそうだ。
「反論の余地もありません。第二界層に現出した“阻塞気球”……そう呼称された特大【鉄棺種】も、ここにいるクサカさん方が討滅してくれなかったら、今頃はこの拠点も襲撃を受けていたかも知れませんからなあ……」
途端に室内は静まり返り、僕たちに注目が集まってしまった。
向けられるのは別に悪い感情ばかりじゃなさそうだけど、普通は出来ないことをやってしまった事実は、やはり称賛だけじゃなく羨望や嫉妬、時に畏怖にまでなってしまう。良いことばかりとは限らないんだ。
「迷宮探索拠点都市ルテリアの非常事態要項に基づき、各拠点に異常があった場合は、探索者と衛士隊による混成大隊が編成されます。だけどなあ、先日のルテリア襲撃の件で、各地の調査に人員を割かれて衛士が足りません」
「ハッ、それで俺タちに頼ろうカ! 随分と調子の良い話ダ!」
「ベンガードくん、もし第二拠点が落とされたとするなら、次はこの第一拠点だ。どの道、地上に逃げ帰るかここで戦うかの二択、臆した探索者がどうなるか知らないわけではあるまい」
セオリムさんが、『ベンガード』と呼んだ悪態を吐く獅子頭を嗜めた。
獅子の獣人ベンガードは更に態度を悪くするけど、英雄の一言でそれ以上は何も言わずに口をつぐむ。
「ルニィヒゲート、話を続けてくれないかい」
「セオリムさん、ありがとなあ。では、話を続けますわあ。現在は、翼種による強行偵察隊を編成して、道中の安全確保と事実確認を行っております。並行して機動力のある人員を手配、拠点設営の支援部隊として先行させたところです」
“第二拠点ラクィア”は一昨日の夜連絡が途絶えた。
つまりは、もう一日以上が経過している。
各拠点間には有線通信機が設置されていることから、時間的な誤差はない。
途中のケーブルが切断されたか通信が出来ない状況か、可能性は半々だけど、ギルド職員の慌て振りからして恐らくは……。
あの日を思い出す……砲狼率いる墓守が、ルテリアを襲撃した日。
そして、それ以上に危険な、未討滅の“正騎士”がこの先に存在する。
リシィを見る。瞳の色は赤と少しの青が混じって、薄い表情からも緊張が窺える。
サクラを見る。唇を真一文字に引き絞って、犬耳は状況報告をひとつも漏らさないようにか、ピンと垂直に立って震えている。
進まなければならない、わかっている。
やらなければならない、そうじゃなければ引き篭もるしかない。
怖い、リシィを言い訳にしないで、僕自身が覚悟しなければ進めない。
なら、僕は……。
「これは完全にルテリア行政府と、私たち探索者ギルドの不手際です。それでも、厚かましく申し上げます。どうか皆さまには、万が一の事態収拾のためにご協力をお願いいたします。対するは恐らく“正騎士”、出征は今夜、改めてギルド職員一同、探索者の皆さまにお願い申し上げます」
ルニさんが、ギルド職員が皆一同に頭を下げた。
一人でも多く、“正騎士”に立ち向かう者を集めるために。
日が落ちる。第二拠点までは十日、それは“絶望”に向かうに等しい。
まだ覚悟は出来ない。
誰かの“犠牲”を受け入れる覚悟なんて、容易くない。