第四十四話 束の間の休息
「迷ったわ」
「迷ったね」
第一拠点で休息に入ってから三日。
サクラの治療と神器の恩恵のおかげで、手と肩の怪我は大分良くなり、右腕は三角巾で吊るされるだけになっていた。
普通はここまで早く治らない……人間を止めたつもりはないけど、自分の体の変化には驚いてしまう。
そして、今はリシィに連れ出されて拠点内を歩いていた。
「何故こんなにも入り組んでいるのかしら、ここの方が余程迷宮だわ」
「はは、ラトレイアの界層ってあまり迷宮の趣がないからね」
「もう、折角尽くしてくれた従者を労おうとしたのに……台無しだわ」
リシィはどうやら、拠点の名物料理を出す店に僕を連れて行きたかったらしい。
だと言うのに、既にここがどこだかわからない。裏路地に迷い込んでいる。
「リシィ、ここはさっきも通ったよ。真っ直ぐは行き止まりだから、右に……」
「わ、わかっているわっ! 一応確認のためによ!」
リシィはズイと僕に顔を寄せて、頬を赤らめながら言う。ち、近い……。
瞳は色が混じり合って、綺麗な青、赤、紫の三色になっている。言っていることは強気だけど、困惑しているんじゃないだろうか。
周辺の人一人がやっと通れるほどの細道は、拠点の喧騒からは大分離れているらしく、人通りが全くない。先ほどから同じところをグルグルと回っていて、ひょっとしてリシィは方向音痴なんじゃ……と、若干の懸念も芽生え始めていた。
サクラは墓守回収の件でギルドに、ベルク師匠は武器防具の補修、アディーテは一番消耗が激しくて寝ている時間が長い。テュルケは、『溜まったお洗濯をして来ますです!』とどこかに行ってしまったけど、第二界層にいた時の分は初日に終わっていたはずだ?
そんなわけで、地理に詳しい人はいない、太陽がないから進む方向も決められないと、僕たちは完全に迷子。
迷宮の恐ろしさをまさか人の領域内で知ることになるとは……ほら、そんなことを思っている間にもまた行き止まりだ。
リシィが振り返って僕に近づく、良い匂い。
「ごめんなさい。やはり、完全に道を見失ったわ」
「いや、迷路みたいだから仕方ないよ。僕もわからない」
この良い匂いは何だろうな。いや、リシィからじゃない。いやいや、リシィはいつだって良い匂いなんだけど。いやいやいや、僕は何を言っているんだ。
今は、どこからか食べ物の良い匂いが漂ってきている。
「リシィ、これは料理の匂いじゃないか?」
「え? あ、本当だわ。それよりも戻ってもらえる? 進めないの」
あ、僕が道を塞いでいたのか……。
行き止まりの道を少し戻って、匂いに釣られて曲がると少し広い通りに出た。
広いと言っても、三人も並んで歩くと一杯になってしまうほどの道幅だ。
「おや、君たちは……」
「お、こいつ『軍師』ナ! この前ギルドで見たナ!」
「え?」
通りに出たところで、そこにいた二人組の小さい方に指を差された。
あれ、もう一方の男性の髪の色がエリッセさんと同じだ。
「そうか、君がカイト クサカくんか。そちらの方は、リシィティアレルナ ルン テレイーズ殿下とお見受けしましたが」
「えーと、そうですが……あなた方は?」
「これは失礼。私の名はセオリム アーデライン。妹のエリッセがお世話になったようだね」
長身痩躯の男性は、見惚れるほどのボウアンドスクレープで自己紹介をした。
―――
セオリム アーデライン――ルテリアが墓守に襲撃された際、重砲兵を討滅したパーティを率いていた、“樹塔の英雄”と呼ばれる一流の探索者だ。
そんな人と、僕たちは何故か喫茶店に入って相席している。
僕の隣にはリシィが座って、その前にはテュルケよりも小さな女の子。
「クサカ君のことは、妹からも噂でも良く聞いていたよ」
「カイトで構いません。僕はそんな噂になっていましたか……?」
「勿論、いわく『見事な作戦指揮で数多くの墓守を討滅した軍師』、いわく『砲狼を素手で殴り撃滅した勇者』、いわく『“龍血の姫”と“執行官”と“竜騎士”を従える来訪者』。ここニ、三日の間だと『未確認の特大【鉄棺種】を初遭遇で殲滅した英雄』と、いずれ伝説になるだろう活躍は枚挙に暇がない」
「ぐぬ……」
噂になるほど墓守を討滅した記憶はないけど、確かに近いことはしている。
彼は森霊種が持つ特徴の長い耳に、淡い緑色の短髪に碧眼、人の良さそうな優しい表情で僕を見ている。
あの高高度超長距離射撃をこなした、エリッセさんのお兄さんだ。恐らくその実力は、サクラやベルク師匠を凌ぐほどかも知れない。
「だから、私は君に一度会ってみたかったんだ」
「くしし! 本当ナ。どんな人かナって、砲狼戦の後から落ち着かないナ!」
小さな女の子、『トゥーチャ』と名乗っていた。
赤毛に印象深いペリドット色の瞳。着ている合羽のような服は表地が艶々した黄色で、裏地には光る文様が浮かんでいて、明らかにただの服じゃない。
人懐っこそうに笑って、低い身長は百三十センチあるかどうかだ。
「それは全て本当の話よ。カイトがこの世界に来てから、私がこれまで一緒にいたんだから、証明するわ!」
「やはり! 私の思っていた通りの人物のようだ、光栄だよ!」
あれえっ!? それだと、リシィが僕に従っていることになるんだけど!?
リシィは相変わらずのポーカーフェイスで、事の真意は良くわからない。ほんの少し口角が上がっているようにも見えるけど、これじゃ流石に笑わないだろう。
セオリムさんを見ると、僕を見て少年のように目を輝かせている。
「近いことはしていますが、多分その噂は尾ひれがついています」
「ははは、謙虚なところも想像していた通りだよ、カイトくん」
「え、えっと、ありがとうございます……?」
笑顔が眩しい、裏表がない人なのは間違いない。
更にエリッセさんのお兄さんで、英雄と謳われる傑物、信頼は出来る。
本当に、僕に会いたかっただけなのか……。
「お待たせしましたぁ~」
やけにフリフリフリルのウェイトレスさんが料理を運んできた。
今回リシィに連れ出された目的の名物料理で、たまたまセオリムさんもこれを食べに来たそうだ。
狭い店内は探索者で満席で、列に並ぶかと思いきや、僕たちは『先にどうぞ』と背中を押されて中に入れたんだ。
ルニさんが言っていた、『良うわちゃわちゃされる』とはこれのことか……。
「わーい! 美味しいは、大好きナ!」
「ははは、トゥーチャはここの名物料理に目がなくてね」
うん、ナポリタンだな……?
全体がオレンジ色のスパゲティ。一口食べてみても、やはりナポリタンだ。
「ん……美味しいわ。甘さを少しの酸味が強調していて、いくらでも喉を通りそうだわ。今度テュルケも一緒に……」
リシィは驚くほど器用に、口の周りを少しも汚さないで上品に食べている。
それに比べて、トゥーチャは口の周りがオレンジ色になっていて酷い有様だ。
余程好きなのか、『美味しいナ美味しいナ』と本当に幸せそう。
「私もこのナポリタンは好きなんだが、カイトくんはお口に合わなかったかな?」
「いえ!? 僕はこの世界に来る前にも良く食べていたので、好きと言うよりは懐かしいですね」
「なるほど! これは君の国の料理だったのか!」
「ナ!? カイトは天才かナ!」
別に僕が作ったわけじゃない。
だと言うのに、トゥーチャの僕を見る目が変わった。
発祥は諸説あるけど、日本人が手を加えた結果生まれたものらしい。
「カイトの国って凄いのね……」
リシィまで僕を見る目が変わっている!?
僕が良く食べていたのは冷凍食品だったけど、それも美味しかったからな。
先人の弛まぬ努力の末に生み出されてきたもの、それはこの世界でもなお、頭を上げることが出来ない恩恵なのは実感している。
僕は、誰かを傷つけたり破壊したりじゃなくて、何かを残す生き方をしたい。
この先、リシィの竜角を取り戻した後で、そんな生き方は叶うんだろうか。
故郷を胸に想いながら、今はもう懐かしい味を噛み締めた。
―――
「カイトくん、今日は会えて良かったよ。その内、君の世界や戦術に関する話を語らいたい。機会があったら、また会える時間を作ってもらえないかい」
「はい、僕はまだ探索者としても、墓守に対する戦士としても未熟なので、助言を頂けるとありがたいです」
「ははは、それでこそ私が会いたかった人物だ。また会おう」
「はい、またどこかで」
「それでは殿下、いずれまたお会い出来る日を心待ちにいたします」
「ええ、その時を楽しみにしているわ」
「またナー!」
僕たちを広場まで案内した後で、彼らは颯爽と行ってしまった。
僕が言うと歯が浮きそうな台詞も、彼が口にすると様になっているから、何だか悔しい。物腰も丁寧で穏やか、エリッセさんに比肩する強者のオーラ、駆け出しの英雄もどきと本物の英雄、その差は歴然だ。
良し、本物の英雄には至らずとも、更に研鑽を積んでいこう。
「……ん? リシィ、どうかした?」
「……だったのに」
「リシィ?」
「もーっ! 折角ごにょごにょだと思ったのにっ! カイトのばかっ!」
「えーーーーっ!? 僕、何かした!?」