第四十三話 英雄の自覚
翌朝、僕たちは帰り支度を整えて野営地を後にした。
「何だこれ……」
洞窟の外に出て驚く。いつの間にか、足元から下が霧の中に沈んでいたから。
極彩色の花園は見えない、巨体の阻塞気球も数多くの針蜘蛛の残骸も見えない、谷底はその全てを静謐な白色が覆い隠してしまっている。
岩山の中腹にある洞窟までは届いていないけど、その様はまるで雲海に浮かぶ島のようで幻想的だ。
「凄いわね……」
「ふわわぁ、真っ白ですぅ~」
「ここで霧がかかったのは始めて見ました」
「うむ、某も話に聞いたこともない」
何か引っかかる……。
これはひょっとして、昨日サクラから聞いた『元の姿に戻る』……つまりは再生現象なんじゃないだろうか。
流石に何だかはわからないけど、見えている“形”以上の何らかの神代のシステムが、今もこの迷宮内で動いているんだ。仮に、この霧がナノマシンだったらかなりまずいな……だって、それは明らかに墓守の……いや、止めよう。
フラグは所詮フラグだ、これ以上振り回されるつもりはない。
「アディーテ、それは食べものじゃないよ?」
「アウッ!?」
アディーテは霧に手を伸ばしているけど、まあわたあめには見えるかも。
僕たちは濃霧を眼下に見ながら来た道を戻る。
山肌を歩き、森を抜け、目指しているのは第一拠点ヴァイロン。
本当に二度手間だ……。僕は肩をやられているので、サクラとテュルケとベルク師匠が代わりに荷物を持ってくれている。申しわけないとは思うけど、こんな時は頼るべきなんだろう。今は仲間を信頼して感謝する。
変に無理しようとすると、サクラに『ダメです!』と凄まれるし……。
それにしても、この界層はあまり墓守に遭遇しない。
多分この高低差のせいで、巨体であるほど滑落して移動が困難なんだ。
残骸は野営地にもあったし、所々に苔生した労働者や砲兵が横たわっているのは、自然の中にあって皮肉にも良い絵になっている。
本当にこの界層は、墓守さえ存在しなければ山登りに丁度良い。
いつか、観光で賑わう日が訪れたりするのだろうか……。
―――
朝早く出立して、陽が傾きかけた頃に僕たちは第一拠点に到着した。
行って、墓守を倒して戻る。如何にもな探索者らしい生活で、こんな日々は“狩りゲー”をしていた時に憧れたことがある。とは言っても、実際に放り込まれるとなると、目に見えて苦労することはわかっていたんだけど……。
隔壁を抜けて拠点の中に入ると、僕たちは何故か注目を集めた。
来訪者と龍血の姫がいるパーティだから、今までもそれなりに見られたんだけど、どうも今までとは様子が違う気がする。
「まずはギルドに報告しましょう。回収の手配はしますが……あれほどの大きさですから、拠点総掛かりでも数ヶ月はかかるかも知れません」
「それは仕方ない。大変そうだけど、ギルドに任せ切りで大丈夫?」
「はい、それはご心配要りません」
探索者ギルドは下層寄りにあって、拠点内では一番大きい四階建ての建物だ。
通りを抜け、広場を抜け、やはりどこに行っても注目されて、僕たちが通ると喧騒が止む。警戒した方が良いのか、ベルク師匠も辺りを注意深く窺っている。
到着したギルド前で、僕たちは揃って重厚な扉を押す。
防衛の一貫なのか、地上でもここでもやたらと重い扉なんだ。
軋みを上げ、まるで扉自体が探索者の選別を行っているようにも思える。
これは入り難いよな……。
「うおおおおおおっ! 英雄のご帰還だああああああああっ!!」
「姫さまああああああっ! お会い出来て光栄ですっ!!」
「きゃああああああああっ! ベルクさまーっ!!」
「サクラさん、ぶってええええええええっ!!」
「このちっちゃい娘誰!? 可愛いいいいいいっ!!」
「ほあっ!?」
僕たちが内部に足を踏み入れたと同時に、歓声が上がった。
詰め寄った探索者たちに、『良くやった、良くやった』と取り囲まれ、これにはリシィもサクラもベルク師匠まで、訳がわからずに目を白黒させている。
若干変な願望も混じっていた気がするけど、今はそれどころじゃない。
「はいはい皆さまあ、突然でお困りのようですわあ。少し落ち着いておくれなあ」
奥から良く響いた女性の声で、途端にギルド内は静まり返った。
僕たちを取り囲んでいた探索者たちが一斉に振り返ると、人波をかき分けて一人の女性がしゃなりとやってくる。
黒の礼服を着ていることから、探索者ギルドの職員なのは間違いない。
「サクラ、ごめんなあ。早駆けが戻って来ててなあ、あの特大【鉄棺種】をあんたたちが討滅したことは、皆もう知ってるんよ」
「ルニさん……いえ、驚きましたが、やはり気が付いていたんですね」
「封鎖と調査隊の派遣が、丁度あんたたちが出て行った直後でなあ。一部始終は、既に監視から伝わっとるわあ」
「そうでしたか」
サクラと話しているのは、艷やかな赤毛が美しく、妙にはんなりとした雰囲気の女性だ。
大人の魅力が現実の形となって目の前にいるようで、どうにも近寄り難い。
一見は人で、腕から覗く赤い鱗が特徴だけど、何種なのかは全くわからない。
はっ、こっちを見た……!
「そちらが来訪者の?」
「始めまして、カイト クサカです。よろしくお願いします」
「私は迷宮第一拠点ヴァイロン、探索者ギルドマスター、ルニィヒゲート アーヴァンク言います。『ルニ』で良いわあ」
何とも魅力的な穏やかな声音と微笑で、やはりはんなりと挨拶をされた。
ただ、眼力が凄い。彼女の赤い瞳は、リシィの瞳にも負けじと劣らず、魔眼なのではと思ってしまうほどに瞳力が何か凄い。
これは、ノウェムとは別の意味で目を逸らせ……あっ、リシィがジト目でこっちを見ている。ごめんなさい。
「それでは皆さま、ここでは落ち着かないでしょうから、上までご足労願いますわあ」
僕たちは彼女に連れられて、ざわつく広間から二階の応接室まで移動した。
座ったソファーの両隣りにリシィとサクラ、対面にはルニさんと完全に取り囲まれて何とも落ち着かない。テュルケとベルク師匠とアディーテには宿の手配を頼んだから、今室内には僕たち四人しかいないんだ。
応接室は、この世界に来て始めて入った部屋とどこか似ている。
重厚な雰囲気に高級そうな家具、窓はあるけど開けたところで地下だ。
外からは、再開されたお祭り騒ぎの喧騒が聞こえる。
「実はなあ、あの特大【鉄棺種】は一ヶ月ほど前から確認されていたんよ。通常経路からは遠く離れ、箝口令も敷いて、報告だけは上げて手を出せなかったんよ」
「一ヶ月前……砲狼襲撃の少し前ですか?」
「そうねえ、実際はもっと前からいたんだろけどねえ」
と言うことは、砲狼と同時に動き出していた可能性がある。
あっ……ひょっとしたら、一緒にルテリアを襲撃していた針蜘蛛の母艦か。
確証は取れないけど、その可能性が高い。あんな巨体が他にも存在したら、既に発見されていてもおかしくはないだろう。
「それでなあ、あんたたちがこの拠点に来た頃から動き出したんだけど、対応が遅れて封鎖が間に合わなかったんよ。その結果、あんたたちと鉢合わせしてしまった、と言うのがことの経緯なんよ。ギルドマスターとして謝罪するわあ。堪忍なあ」
それは……どう考えても裏に奴らが存在するよな……。
誰かがどう動いたとしても、必ず僕たち……いや、僕と鉢合わせした。
墓守側の時系列はわからないけど、間違いなく何らかの目的に従って動いている。
何故“三位一体の偽神”は、僕に墓守をけしかけるんだ。
……あれ、何か引っ掛かるな……僕は何か思い違いをしている?
「謝罪は必要ないわ。テレイーズの名において、人に仇なす者は捨て置けないもの」
「流石は“龍血の姫”さんだなあ。そう言ってもらえると、ほんにありがたいわあ」
「それでルニさん、私としては回収の手続きも早く済ませて、カイトさんの治療に当たりたいのですが……」
「わあ! ごめんなあ、気付かんで。クサカさん、何やグルグル巻きにされてるものなあ」
「いえ、僕は大袈裟だと思うんですけどね……」
おう……貴重な両隣からのダブルジト目だ……。
まあそうだよな、まずは怪我を治さないことにはどこへも行けない。
「お詫びに、今回の滞在費はギルド持ち、回収の手続きは私がやっておくわあ。ここにいる間は良うわちゃわちゃされるだろうけど、しっかり休息していきなあ」
「おお……ありがとうございます。お世話になります」
「そんな畏まらんでなあ。あんたたちは“英雄”なんだから、本当にありがとなあ」
彼女の言葉や探索者たちの歓迎で、ようやく気が付いた。
そうか、実感はなかったけど、僕たちはそれだけのことをしたんだ。
“英雄”と呼ばれるだけのことを……。