第四十二話 言わぬが花 知らぬが仏
◇◇◇
「うっ、ぐすっ……ひくっ……えうっ……」
「姫さま、大丈夫です! カイトさん元気ですです!」
「うぐっ……いっぱい、血が……もしかしたら……もしかしたら……」
「大丈夫ですです! あの人、私たちより頑丈ですです!」
私は、戦いが終わった後で急に怖くなったの。
血がたくさん出ていて、あのままカイトを失ってしまったらと……。
カイトの前で泣いてしまった夜から、私は涙脆くなった。
少しのことで不安を感じて、泣かないように意地を張って素直にもなれないの。
嫌な自分にはなりたくないのに、彼の前ではひたむきな私でいたいのに。
「んっ……テュルケ、ごめんなさい。もう大丈夫よ、このことは……」
「勿論内緒にしますです! 特にカイトさんには絶対秘密ですです!」
テュルケはいつだって私の味方をしてくれる……けれど。
「何故、嬉しそうなの……?」
「えっ、ふあーっ!? ち、違いますあう、です! 姫さまが、昔に戻ったみたいで……その、嬉しくて……ごにょごにょ」
そう……テュルケには心配をかけてばかりね……。
あの頃に戻れるのなら、今直ぐにでも戻りたい……。
竜角を取り戻したら、帰れるのかしら……カイトと一緒に……。
「テュルケ、いつもありがとう」
「えへへ、姫さまのためなら、テュルケがんばりますです!」
―――
私たちは水浴びを終えて、着ていたものをそのまま着て皆のところに戻った。
身嗜みは気にしたいけれど、野営地を出戻ったばかりだもの、変に気を使ってはいられないわ。
それよりも、泣いた後が残っていないと良いのだけれど……。
……ん、何かしら? カイトがガーモッド卿に頭を下げているわね。
「カイト殿の志、このベルク然と受け止めた。その想いに報いよう!」
「ベルク教官! いえ、ベルク師匠! 改めてよろしくお願いします!」
「ぬぅっ!? し、師匠とは……むむぅ、悪くない……」
近くでは、サクラが食事の準備をしながらにこやかに眺めているわ。
「サクラ、何かあったの?」
「はい。カイトさんが、ベルクさんに師事したいと申し出ていたところです」
「そう……戦闘の直後なのに、少しは休んで欲しいわ……」
「ふふっ、そうですね。私としては、これ以上の怪我はして欲しくないのですが、どのような時も真摯なのはカイトさんの性分でしょうか」
「厳し過ぎはこちらが心配になってしまうわ」
これからも迷宮を進むのなら、彼自身が強くなることも必要なのはわかる。
けれど、それは今よりも危険な目に遭うことにもなるわ……。こんなに彼を失うことを怖いと思うのなら、宿処で待っていて欲しいと願うべきだったの……。
今更ね……今回だって、私から逃げずに立ち向かうことを選択したのに……。
本当に、自分の気持ちでさえも思い通りにはならないわ……。
食事時、今後の予定について話し合いが始まった。
「私としては、第一拠点を出発してまだ一日の距離ですから、一度拠点に戻ってカイトさんの治療を優先したいです」
「うむ、某も同意する。第二拠点までは順当に行っても九日、山歩きは万全に越したことはない」
「私も同じ意見だわ。カイトはこんな状態でも、何をしでかすかわからないもの」
「ぐぬ……そうなるよな……。ごめん、手間をかけさせて」
「何を言っているの、むしろこの程度で済んだのだから、貴方は誇りなさい!」
「は、はいっ!?」
カイトは本当に申しわけなさそうにしているわ。
自覚はないのかしら……未確認だった特大の墓守を、初遭遇で撃破するなんて偉業を成し遂げたのに。普通の探索者なら、栄誉と褒賞を与えられることに歓喜するものだけれど、彼はそう言うことには興味もないみたいね……。
何となく、隣に座るカイトを見たら目があった。
な、何かしら……見詰められ続けると、かか顔が火照ってしまうわ。
私のことを真っ直ぐに見ていて、何かついているの……?
「リシィ、どうかした?」
「えっ? な、何かしら?」
「え、だって瞳の色が……」
「瞳の色……?」
「え?」
「え?」
カイトがテュルケを見た。
何かを示し合わせたように、テュルケは首を振り、カイトは驚く。
むぅぅ……何故、二人だけで通じ合っているのよっ!
「テュルケ、手鏡を頂戴!」
「はっ、はいですっ! お嬢さまっ!」
テュルケから手鏡を渡されて、私は自分の顔を確認する。
特に何もないわ……泣いたけれど、目の周りも特に腫れてはいない。
あれ……私の瞳の色は、こんなに青が強かったかしら……。
テュルケを見ると、笑顔がどこかぎこちないわ。
カイトを見ると、やはり変な笑み。あれは『どうしよう?』の顔だわ。
洞窟の天井には、水面を反射した青い光がゆらゆらと揺れている。
瞳の色に青が混じっているのは、そのせいだと思うのだけれど……。
「カイト、テュルケ、私の顔に何かついているの?」
「はい! いえ、ついていませんっ!」
「ですです! にゃんでもないでしっ!」
あからさまに怪しくて、これじゃ追求する気にもなれないわね……。
「良いわ。貴方たちなら、本当に必要なことならしっかり話すものね?」
「イエスマム!」
「いえすま……いえすまむ? って何です?」
◆◆◆
……え、リシィは自分の瞳のことを知らないのか?
おかしいと思ってテュルケを見たら、『ダメです』と首を振るから間違いない。
感情に応じて色が変わる瞳、それを本人が知らないのは……あるのか?
一族の“姫”、それも“龍血の姫”の立場上、親しい従者でもおいそれと立ち入れない部分はあるだろうし、鏡を見るのも落ち着いている時だけだろう。だとすると、自分自身の変化に気がつく機会もあまりなかったのか。
“龍血の姫”の責任からなのか、普段のポーカーフェイスが無理をしていることはわかる。だと言うのに、実は感情がダダ漏れでしたとか本人が気がついたら、また僕の内面世界が七度滅びたりするんじゃ……。
まあ、一番割を食うのはテュルケだろうけど……ごめん、バレたら一緒に怒られてあげるから……。
「そう言えば、墓守の討滅ってどうやって証明しているんだ?」
「はい。それでしたら“核”と、最近では墓守の内部にある映像記録を参照出来るようになりました。核が残らなかったり、発見出来ない場合もあるので」
「ああ、ドライブレコーダーみたいなものがあるのか……」
「どら……」
「こ、こっちの話」
どうやって参照しているのかは気になるけど、【神代遺物】もあるし、地球人もいるし、特にこれ以上は気にすることでもないか。
阻塞気球を回収するのは大変そうだけど、収入を考えたら変な汗が出てくる。確認出来た対空砲だけでも、二十基以上は確実にあったから。
……もぐもぐ。
それよりも気になるのは、このもぐ“肉”だもぐ。
赤身の霜ぐ降り肉、一度口にしてしまうと、もぐもぐ、ただの牛肉にもぐ思える。
阻塞気球の肉もぐ、労働者の肉もぐ、同じ味で個体差もぐがあるわけじゃないもぐ。
……もぐもぐもぐもぐごっくん。
「サクラ、スプーンをくれないかな……?」
「ダメです! せめて左手が良くなるまでは、大人しくしていてください!」
「もぐぅっ!?」
サクラに墓守の“肉”の煮込みスープを口に突っ込まれた。
鉄針を掴んだ左手は包帯が巻かれ、右腕は身体に縛りつけられている。
当然今は、隣に座っているサクラによる『はいあ~ん』状態なんだ。
逆隣りに座るリシィが、紫色のジト目になっていて何か言いたそうだ。
心なしか、焚き火に照らされた頬が膨らんでいるようにも見えるんだけど……何か怒っている……?
わ、わからない……僕は人の感情にいまいち疎い。こんなところで経験不足が露呈するなんて、これは誰に師事すれば良いんだろう……。
先ほどのこと……じゃないよな……?
「あ、あの、リシィ……何か怒っている……?」
「カイトなんて、そうやってデレデレしていれば良いんだわっ! ふんっ!」
「え!? ご、ごめんリシィ! リシィさん!? 姫さまー!?」
「アウーッ!? ご飯っ!? ご飯美味しいっ!?」
アディーテ、おはよう。