第四話 対砲兵遭遇戦
テュルケがスカートを翻し外周路に躍り出る。
その大部分が露わになった太股に、思わず視線は釘付けにされるけど、それは邪な気持ちからではない。何故なら、真っ先に目に飛び込んで来たのは、両脚に巻かれた“ナイフホルダー”だったからだ。
ナイフを……違う、包丁とおたまだ。どんな冗談か、家事道具を抜いて走り出す。
テュルケに続き、リシィも腰に下げた長剣を抜いた。
こちらも剣ではなく、鞘から抜き放たれたのは黒塗りの長杖だ。
まるで剣を持つかのように構えた杖は、掘られた溝が金光を湛え、艶のある黒が一段と映える。
「カイトはそこに隠れていて!」
何も出来ない。突然この世界に迷い込んだ僕は、創作で良くある神様にも会っていなければ、当然“スキル”なんてものももらってはいない。
無力な人のまま、学生時代に剣道部に所属していただけで、墓守のような相手に対し抗う術を持たない。
「やああああああっ!」
声が聞こえた方、廊下の奥を頭だけ出して見ると、テュルケが接敵していた。
“砲兵”、と言っていた。
砲兵は、一言でその全容を現すなら“タカアシガニ”だ。
まず目につくのは、長い、兎に角長い脚が八本。酷く頼りなさげに見え、上端には円盤状の胴体が乗っている。全長は十メートル程で、その殆どが脚だ。
円盤の上部には小口径の砲が一門、下部には“棺”を抱えていて、脚を中心に“肉”が纏わりついている。
砲兵は後ろを向いていたのだろう、テュルケは容易に接近出来たようだ。
まずは上部の円盤が、続いて八本の脚が次々にこちらを向く。
――ゴンッ!
テュルケが、伸ばした左手に持ったおたまで、跳躍する勢いのままに砲兵を殴りつけた。おたまで叩いたとは思えない重い音が響く。
包丁は右手に持ち、胸の前で逆手で構えている。相手が装甲を持つことを考えると、包丁で有効打を与えるのは難しいだろう。
「金光よ矢となり穿て!」
僕の目の前では、リシィが黒杖を振るっていた。
黒杖とリシィの全身から溢れ出した金光は、空中に光の矢を形作り、杖の動きに合わせて砲兵に向け放たれる。その数は何本も、何十本も、リシィが黒杖を振るうたびに留まることなく射ち出されていく。
間違いない、労働者を貫いていた光の矢だ。これなら。
……行ける、と思ったのも束の間、光矢は満足に命中していなかった。
砲兵はその長い脚を利用して、アクロバティックな上下動でその殆どを回避してしまったからだ。
――ギィンッ!
僕とリシィの間の床が砕けた。見ると、太い鉄針が硬い石畳を穿っている。
あの状態でも反撃してくるのか……上下に激しく胴体を揺さぶり、それでも間近に弾着している。だけど、リシィは微動だにしていない。
その理由はテュルケだ。今も砲兵の傍で、壁や床を蹴って縦横無尽に飛び回る彼女が、鉄針が撃ち出される兆候を見ると、おたまで砲兵を打って射線をずらす。それを確実に、リシィに当たらないように、寸分違わずこなしている。神業だ。
「凄い……」
だけど、二人は気がついているのか、これは分が悪い。
砲兵の円盤状は“避弾経始”だ。
装甲を傾斜させることによって、運動エネルギーを分散させ、稀に当たる光矢を弾いてしまっている。
例え弾かなかったとしても、傾斜した装甲は垂直のものよりも装甲厚が増し、相応の貫徹力が必要になる。傾斜装甲を抜くには、装弾筒付翼安定徹甲弾の“侵徹”の概念が必要だ。
これは対装甲戦闘をするのなら知っていて然るべき知識で、僕は戦車ゲームからだけど、知っていたところで尚分が悪いだろう。
何故なら、砲兵のあの八本の脚が曲者だ。あれを設計した存在は、そこまで計算に入れていたのか、八本の脚を器用に使い最適な傾斜角を維持している。
これは、まずい。
「リシィ、脚を狙えないか!? あの脚をまずどうにかしないと、有効打は与えられない!」
「狙っているわ! けれど避けられる、思った以上に動き俊敏なの!」
確かに、砲兵は見かけ以上に動きが早い。
八本の脚に対する、光矢の同時攻撃でさえも避けている。
リシィを見ると、額には玉の汗が滲んでいて、作り出される光矢も明らかにその数を減らしている。テュルケも、離れたここから見てもわかるほどに、動きの鈍さが目立って来ていた。二人の戦い方は、素人の僕から見ても消耗が激しい。
鉄針がリシィの直ぐ脇を抜けた。もうあまり時間もない。
どうする、どうすれば良い? だからと言って、僕に何が出来るのか?
現有戦力でどうにかする方法……傾斜装甲を抜く方法……そもそもこいつは、遠距離で戦う相手じゃないのでは……あの形……。
「リシィ、その光の矢は曲げられるか!?」
「どのくらい!?」
「砲兵の天板を、真上から射ち抜けるくらいに!」
「……ごめんなさい。今の私の力では、無理よ」
……覚悟を決めるしかない。
現代知識、と言うよりもこれはゲーム知識だ。
それを無理やりにでも、今役立てなければ恐らくは……。
――脳裏に、いつか見た“血塗れの少女”が思い浮かぶ。
それは、決してあってはならない最悪の結末。
覚悟を決めるには十分な理由。
なら、僕は……。
「リシィ、頼みがある!」
リシィに作戦を伝えた。勿論『危険』だと、『大人しく隠れていて』と言われたけど、猶予がないことを理由に彼女を無理やり納得させた。
僕はお手製の靴を脱ぎ捨て、砲兵に向かって走り出す。
彼我の距離は三十メートルもない、壁伝いに、姿勢を屈め、出来るだけ何でもないことのように息を潜めて走り、その間もリシィは砲兵に光矢を浴びせ続ける。出来るだけ注意を引くようにと、指示を出している。
砲兵は扉の陰から現れて走り出した僕に、円盤の前部についた三つのレンズを一瞬だけ向け、直ぐにリシィへと向き直した。
「やはりそうか……!」
こいつが見かけ通りのロボットなら、“優先攻撃目標”があるはずだ。
間近のテュルケよりも、常にリシィを狙っていたことから、恐らくは“危険度”に従って攻撃目標を選定していることは推測出来た。単装砲では、多数同時目標に対応出来ないことも明確。
“肉”がどう言う役割かわからないことから、懸けるのは危険とも思えたけど、やらなければ恐らくは望まない結末が訪れる。
ここまで来れば……!
「こっちだ!」
タイミングを合わせ、光矢が止んだところで僕は八本の脚の合間、つまり砲兵の真下に滑り込みながら、予め拾っておいた石を投げた。
――コンッ
その瞬間、ギュンッと勢い良く円盤状の胴体ごとレンズが僕を向く。
砲兵と目が合っていることを自覚する。当たり前だ、その形状だと真下は死角、本来なら随伴歩兵が守るべき場所。優先度がいくら低かろうと、そこに潜り込まれては無視も出来ないだろう。
「お終いだカニ野郎」
――ボキュッ!
レンズが火を噴いた。次々と砲兵の上部に命中する光矢が、弾かれることもなくその円盤状を抜けて破壊していく。
ほんの僅かな一瞬で制御を破壊され、力を失い崩れる砲兵。
「え、あ……」
これも当たり前だけど、ここまでは考えていなかったな……。
真下に居るのだから、僕は当然その下敷きだ……。
『ギゴォオオォォォォォォッ!』
装甲の隙間から火を噴き出し、完全に破壊された砲兵は、歪な雄叫びを最後に沈黙した。燃え上がる油が異常な臭気を発して、全力でここから逃げ出したい。
だけど……。
「テュルケ、助けてくれてありがとう」
「いえいえ! 吃驚しましたです、カイトさん凄いですです!」
砲兵の下敷きになりそうになった僕を、助けてくれたのはテュルケだ。
小さな女の子にお姫様抱っこで助けられる大の男とか、どう見ても絵面が酷い。彼女の密着した肌は汗ばんでいて、肩を大きく上下させていることから、相当頑張っていたことがわかる。
こんな少女まで戦わなければいけないなんて、この世界は一体どうなっているんだ……。
居た堪れない僕が地面に下ろされたところで、リシィが駆け寄ってきた。
「二人とも無事?」
「僕は大丈夫、テュルケに助けられたよ」
「私も大丈夫です! 怪我がなくて良かったですです!」
良かった、彼女たちも怪我はないみたいだ。
リシィを見ていると、瞳の色が赤から黄、黄から緑へと少しずつ変化していく。
不思議で神秘的な光景、そう言う種族だと思って良いのだろうか。
「それにしても驚いたわ。殆ど弾かれてしまうから、少し焦っていたのよ。上からだとあれほど簡単に倒せるものなのね」
「ああ、装甲が傾斜していると、貫徹力が足りない場合は逸らされてしまうんだ。だから、無理矢理にでも垂直にする必要があった」
そう、砲兵が僕を見た瞬間、リシィからは胴体が月のように丸く見えていたことだろう。
傾斜さえ失えば、後は彼女の光矢なら何とかなると判断したからの作戦だ。
懸けの部分は大きかったけど、僕たちはそれに見事に勝利した。
ゲーム知識が役立ったことに、僕は若干の苦笑いを漏らす。
「とりあえずは手当てね。カイト、足の裏が切れているわよ」
「え……本当だ……」
「その後は、一時間もかからずに迷宮から出られるから、もう少しの辛抱よ」
ようやく薄暗く寒々しく、危険な墓守の存在する迷宮から出られる。
そんな長い時間を迷宮にいたわけではないけど、既に太陽が恋しかった。