第三十九話 風光明媚を穿つ棘
“阻塞気球”とは、地球での第二次世界大戦時に使用された、航空機の低高度侵入を阻害する目的の防空気球だ。
要塞や都市の上空に金属ケーブルで係留され、触れた航空機を撃墜する。
ベルクが『ギドゥルー』と言ったそれも、まさしく“阻塞気球”の様相だ。
船体の厳密なサイズはわからないけど、岩山と比較して全長が三十メートルはあるだろうか。灰青色でずんぐりと丸く、船体そのものは気球にも飛行船にも見える。
僕たちが身を潜める中腹の森よりも、更に低い岩山の間にただ浮いて、真下に何本ものケーブルを垂らしている。
何だ……?
「サクラ、あれを見たことは?」
「いえ、始めて見ました。墓守……でしょうか?」
「人工物なのは間違いない。安全を考えて、墓守と断定して行動する」
それにしても不気味だ。浮いて何をしているのか。
戦いに影響を与えるものとしては“兵站”と“情報”だ。
墓守だったら燃料や弾の補給だろうか。部隊展開に気球を使うのは考えられないけど、浮力の原理次第じゃないとも言い切れない。常識的に推測するなら、早期警戒網の艦載機母艦とでも考えるのが妥当だろう。
何にしても、あの大きさは単一パーティで相手が出来る類じゃない。
幸いにも渓谷を挟んだ向こうの谷底なので、見つからないよう山の上で視界を切りながら、遠回りになるけどギルドに報告を上げたい。
「みんな、第一拠点に引き返そう。最悪はあれの討滅戦になる」
「ええ、カイトに賛成だわ。あんなものを放置したら、テレイーズの名折れよ」
「はい。それでしたら見つからないように、多少遠回りですが迂回路を戻りましょう」
「アウー? これ美味しくない……」
……うん?
「アディーテ、何を食べているんだ?」
「アウ? にがいスパゲティー」
アディーテの手には束になった麺が握られている。
いや、どう見ても麺じゃない。糸のような、何かの白いケーブルだ。
僕は気球を見た。もう一度アディーテの手元を見て、また気球に視線を戻すと、それと同時に船体が割れた。
「……っ!?」
船体外殻が分割されて下方から迫り上がり、内部に格納されていた墓守が、ケーブルを伝って地上に降り始める。
それは、無尽蔵と思えるほどに湧き出る“鋼鉄の蜘蛛”。
花園を踏み荒らし、渓谷から吹き上がる風が色取り取りの花弁を舞い散らす。
まずい、あれは“針蜘蛛”の母艦だ……!
「カイト!」
「みんな身を隠して、警戒を!」
くっ、またきっちりフラグを回収された……。
嘲笑う何者かがどこかにいる、“三位一体の偽神”……!
「カイトさん、もしかしたらあれが……」
「間違いない。針蜘蛛の“核”だろう」
“針蜘蛛”――全長一メートルほどの小型【鉄棺種】。
機関砲で木っ端微塵にされる脆い墓守だけど、探索中に生身で遭遇した場合、その群れをなす鋼鉄の蜘蛛に人は逃げるしかないという。
装備は使い捨ての連装鉄針砲二基四門、装甲は紙、棺を持たず、核もない。
それ故に、核を持った“群体中枢”が、どこかに存在すると推定されていた。
つまりはあれだ。
名前は、イングランドに伝わる妖精から来訪者がつけたもの。
伝承の通り、由来の通り、針蜘蛛は本当に“取り替え子”をするらしい。
子供も大人も連れ去って、代わりに似せる気もない“機械人形”を置いていく。
今でこそ防衛設備の増強で、少しの針蜘蛛なら侵入されないようだけど、一昔前までは連日のように被害があったそうだ。
まだ“機械”の概念がなかった頃の話。朝起きたら、家族が不気味な機械人形に変わっているなんて……発狂する人もいたという。
いたずらを通り越した悪辣な妖精、決して許すことの出来ない鋼鉄の蜘蛛。
ここは、逃げることが適切で妥当なことだ。
だけどもし叶うなら、僕は、僕は……。
「皆、やるわよ」
「リシィ!?」
「カイト! 貴方は針蜘蛛の群れとの遭遇を想定していたでしょう? 私に新しい力の使い方まで教えて、ずっと隣で見ていたんだからね! 怖気づくくらいなら、き、騎士爵を剥奪するんだからっ!」
いつだって、彼女は僕の背中を押してくれる。
「カイトさん、私もやれます。私とこの鉄鎚、貴方の矛としてください」
「ですです! 私だって、姫さまのお付きの者としてがんばりますです!」
「カカッ、相手にとって不足なし! 武人の生き様お見せいたす!」
「アウー? あれ美味しいかー?」
ああ、そうだよな……逃げるのは何よりも楽で安全だ。だけど、それは針蜘蛛から逃げることじゃない、“三位一体の偽神”にも背を向けてしまうことになる。
殴る前につけ込まれてしまう心の隙はいらない。怖気が足を止めるなら、僕は弱気を滅し、何者だろうとこの拳で退ける。
ならば、やろうか。
例え幾万の墓守が地平を埋め尽くそうと、人々の日常に達する前に討滅する。
針蜘蛛にも、偽神にも、何ひとつ穿たせはしない。
「良し、やろう。これ以上、侵攻される前に止める」
「ええ、当然よ!」
「はい、お任せください!」
「がんばりますです!」
「心得た! 久々に血がたぎるわ!」
「アウー? アウー!!」
約一名は釣られただけだろうけど、皆の意気は充分。
情報が足りないのは砲狼の時と同じで、だからこそ不利な状況を圧倒するだけの思考が必要だ。だけど、今の僕にはまだ足りないだろう。
それでも考える。思考が擦り切れるまで、何もかもを覆すその時まで。
花園を踏み荒らした針蜘蛛の群れは、僕たちの潜む岩山の裾野に達した。
いずれここまで辿り着く。来る前に、討滅の道筋を導き出さなければならない。
あの気球……スパイダー、いや、“阻塞気球”と名付ける。あれを落とす。
“核”がある確証はない、なら全てを灰燼に帰すまで。
獰猛な思考が意識の縁から滲む。
あの時と同じ、衝動に駆られ、自分が自分でなくなるような感覚。
何者も顧みず、ただあるがままに力を振るえと囁く者がいる。
声が聞こえる、決して誘われてはならない“三位一体の賛歌”。
『我を讃えよ』と、聖三祝文を謳わせようとする偽神。
「ベルク! 僕を殴れ!!」
「おおっ!!」
――ゴッ!!
「カイト!?」
「カイトさん!?」
「痛っつ……ありがとうございます。はは、気合いが入った」
「す、すまん。手加減したのだが……」
「いえ、最高の活です」
理由も聞かず、有無を言わない武人の心意気……流石はベルク教官だ。
岩塊を思わせる拳は手加減をしても尚厳しい、危うく昏倒しかけた。
だけど、もう声は聞こえない。
冷たい炎だけが、僕の内に燃えている。
周囲を見渡す、討滅の手段を探す。
と言っても、ここに来た時から検討はついていた。
“山岳バイオーム”に取ってつけたような、“つるはし”を持ったアディーテの“穴を掘る”能力、一目瞭然で皮肉のひとつも言いたくなる。
僕は阻塞気球の直ぐ脇にそびえる岩山を指差す。
「アディーテ、あの岩山を掘って崩せないか?」
「アウー?」
「アディーテ、あれ美味しそうじゃないか?」
「アウッ!? 美味しいのかっ!?」
「ああ、きっと美味いぞ。だから、潰して欲しい」
「アウッ! やるっ! らっくしょーっ!」
両腕を思い切り良く上げて、アディーテがつるはしを振り回した。
食べ物に対してだけど、この際その意気を買う。
「良し。サクラ、アディーテの護衛と核の破壊を頼む。出来るだけ短時間で」
「はい、お任せください! 十分……いえ、五分で辿り着きます!」
「ありがとう」
パーティの中で、一番機動力と戦闘力の高いサクラをアディーテにつける。
あの阻塞気球の巨体だ……恐らくは、自衛用装備だけでこちらを圧倒するほどの火力がある。そう、想定する。
それに、展開した外殻は脚に見える。あれ自体が針蜘蛛の母艦にして、“巨大な針蜘蛛”に変形することまで想定する。
なら、手段は選んでいられない、絶対的な大質量で圧壊し粉砕する。
これ以上は、動くことも許してやるものか。
後は僕たちだ。
「リシィ、テュルケ、ベルク、僕たちは針蜘蛛を引きつける。一歩間違えたら死ぬ。覚悟は良いか?」
「何度も言わせないで、やるわ」
「うー、怖……くないです! ぶっ飛ばしてやりますです!」
「カカッ! この程度、“戦車”の砲火に晒された時に比べれば容易い!」
「良し。サクラとアディーテはまず隠れて。僕たちに針蜘蛛が引きつけられたことを確認したら、全力で岩山に向かってくれ」
「はい!」
「アウー!」
まだ危うい。圧倒するには、今だ限りなく遠い。
犠牲を出さないようには、都合の良い夢でしかないのかも知れない。
だけど、この身が何度砕けようともリシィだけは守る。
「作戦開始だ。みんな『いのちをだいじに』、行くぞ!!」