最終話 笑う龍血の姫は僕の前ではツンデレる
――戦勝祝賀会会場、階段二階踊り場。
リシィの式辞からかれこれ三時間ほどが経ち、僕はこの間、騎士として彼女と挨拶に訪れる招待客とのやり取りを傍で見守り続けた。
今回の招待客には探索者も含まれることから、式自体はあまり仰々しいものでなく、リシィの意向もあって自由気ままに振る舞える気軽なものだ。
堅苦しいのは挨拶の時だけ、あとは【黒泥の龍皇】戦での功績を称え合い、出される料理に舌鼓を打ちながらこれからの国の展望を語り合う、そんな光景が会場の至るところで垣間見られたんだ。
そして夜も更け、すでに招待客の半数ほどが帰路についたものの、吹き抜けになった会場の二階から見下ろすとまだ宴は続いている。
「それにしても、綺麗すぎて逆に腰が引けてしまったな……」
他でもない、リシィのことだ。
彼女と出会ってからというもの僕たちは長く戦いの連続だったから、着飾った姿はあまり見ることがなかった。
今回はしっかりと化粧を施され、華やかでそれでも品のよいドレスを纏う姿は、彼女の人となりまで現しているようで見惚れることしかできなかったんだ。
式辞も凄かった。国を出ていたこれまでの経緯と謝罪から始まり、続いて一連の戦役で何があったのかを裏表なく伝え、やはり謝罪と労いの言葉、そしてこれからのテレイーズ真龍国の展望についてを語った。
その姿は、特に金光を発していないにもかかわらず、誰の目にも眩しい存在として映っていたことだろう。
やはり、折れた竜角がいまだ短いままだとしても、彼女が“龍血の姫”であることは決して変わることのない人々の憧れなんだ。
「カイト、こんなところにいたのね。何をしているの?」
そんな熱気から逃れようと階段を上ったものの、行き場もなく踊り場から見下ろすしかできなかった僕に、心地好い清流のような声音が背後からかけられた。
もちろん誰だかはわかる、リシィだ。
振り返ると、青いドレスから白いドレスに着替えてきた彼女の姿があった。
化粧を整え直し装飾もより少なくなり、髪を下ろした楽な格好に着替えたんだ。
その姿は、あくまでも“龍血の姫”としての威厳が込められた先ほどまでとは違い、役割を終え肩の力を抜いた“美しいご令嬢”まで雰囲気を抑えている。
スカートこそ足元でふわりと広がっているものの、華奢な白い肩は大きく露わになっているため、彼女が身動ぐたびに僕は胸が高鳴ってしまう。
「カイト……? あ、あの……会場の熱気に当てられて汗をかいてしまったから、私……汗臭いかしら……? 湯で拭ってきたのだけれど……」
「え……そんなことは……?」
「それなら、なぜそんなに険しい表情をしているの?」
……それは、リシィの装いがウェディングドレスにしか見えなかったからだ。
汗臭いなんてこともなく、むしろ花の蜜に引き寄せられるミツバチの気持ちが今ならわかるくらい、甘く清らかな印象しかないいい香り。
「リ、リシィが綺麗だからかな……」
「んっ!? まっ、まままたカイトはそう言うことを平然とっ……!」
リシィは一瞬で頬を赤く染め、僕の肩を一度だけ軽く叩いた。
「うぅ……宴はもう少し続くでしょうから、少し涼みたいわ。カイトも付き従いなさい」
「あ、ああ、それならテラスに出よう。今日はいつもよりも星空が綺麗に見えるよ」
そうして、僕は彼女の手を引いて二階の回廊を通りテラスまで誘導する。
「ふぅ……。火照った肌には空気が冷たいけれど、熱が下がればきっと心地好いわね」
「そうだね。それでも冷えすぎるといけないから、頃合いには気をつけよう。その、肩が大きく開いたドレスだし……」
僕がそう返すと、リシィは手を離して自分の肩を抱いた。
「カイト……私を変な目で見ていないわよね……?」
その視線は久し振りに瞳が紫色のジト目だ。
「そそそんなことは、な、ないです?」
「なぜ疑問形なのかしら……?」
それは性的な意味ではなく、ただ花嫁にしか見えないからです。
「えーと、夜空が綺麗だよ」
「誤魔化したわね……。けれど、確かにそうね」
頭上を埋め尽くすのは満点の星空と、変わらずそこにある青銀の月だ。
あの月でも激しい戦闘が行われたとのことで、よく見知った模様はもうない。
冷たい濃紺の夜空は、この星に降り注いだ多くの災厄が過ぎたあとだと、むしろ寂しく儚いものと思えてしまうかもしれないな……。
「綺麗……。一つひとつの光が消えないよう、私たちは行動していきたいわね」
リシィは空を見上げながら、何に対してそう言ったのだろうか。
輝く星の光……一つひとつの世界そのものとも、星に見立てた人々の命の灯火だとも、彼女の言葉からは強い意志の込められた願いを感じられる。
「ああ」
だから僕は、言葉にもならない相槌でそれでも心を込めて頷いた。
これまでの騒がしいくらいだった会場の喧騒は、建物内も中庭でもすでに語らい合うだけの静かなざわめきに変わっていた。
僕とリシィのいるテラスは、そんな光景を遠いことのように、まるでこの場所の時間だけが切り取られてしまったのかのように、静寂のただ中にある。
そして、隣に立つ彼女は月光で輪郭を淡く煌めかせ、その姿は初めて出会った頃を思い出すにもかかわらず、それとは真逆に今にも失われてしまうのではないかと、僕はただただ恐れを抱いてしまっているんだ。
永遠を望むのは、誰だって、いつの時代も同じか……。
「リシィ」
「ん、なぁに?」
今の僕は、神器のおかげで竜種に近い体となってしまっている。
地球人類種よりは少しだけ長い生を彼女に寄り添って歩くのなら、この状態は僕にとって何よりも願ってやまないこと。
だから、あとは僕自身の覚悟しだいなんだ。
「え……どうしたの……?」
僕は寄り添っていた彼女から離れ、その場に膝をついた。
続いて騎士剣を抜き、左手で切先を握り、右手を剣身の半ばに添え、リシィに柄頭を向ける。この時、切先は自身の心臓を突くように向け、支えとなる右手と剣身の間にだけは布を挟むのが習わしだ。
これは、リシィが幼少の頃より好きだと聞いた“黒騎士”の物語で、その黒髪の騎士が愛して守り続けた姫に向けた求婚を倣ったもの。
僕がやってもいいものか迷いはしたけど、この仰々しい姿勢がかえって緊張から自身を落ち着ける効果もあるらしい。
そうして僕は強い意志を胸に抱き、困惑する彼女を見上げた。
「え、え、あの……えと……カイ……ト……?」
「僕はもう、リシィがいないと自分の人生を考えられないほどに、君のことが好きだ。いや、愛している。だからもっとも傍で寄り添う者として、生涯の伴侶として、君の傍に置いて欲しい。僕は剣を掲げ、リシィティアレルナ ルン テレイーズに心臓を捧ぐ」
「え……」
「どうか、僕と結婚してください……!」
「……っ!!」
僕は伝えることだけを一方的に告げて目を閉じた。
わかっている、最初から身分違いであることはわかっている。
多くのしがらみだってあるし、それらを越えて一介の騎士から求婚を受けることがどれほどに難しいことなのか、身勝手だとしても覚悟の上だ。
それを押し付けることになるのは最後まで悩んだことだけど、それでも僕は、彼女のもっとも傍で生きたいと願う衝動を抑えられずにはいられなかったんだ。
たとえ受けてもらえなかったとしても、僕は終生を龍血の姫の“銀灰の騎士”として生きるつもり、それだけは何よりも変わらない。
……
…………
………………
……………………
…………………………
そして長い沈黙のあと、彼女に向けた騎士剣の柄に重みが加わった。
それは、黒騎士の求婚を受け入れる姫の返礼……。
「……え?」
だけど、伝わる確かな感触に喜んで頭を上げた僕は、この場には似つかわしくないなんとも間抜けな表情をしたに違いない。
それはそうだ。
騎士剣の柄を握っていたのは、リシィではなかったのだから。
「ど、どういう……こと……?」
「ふふ、もちろんお受けします。私はカイトさんといつまでも共にありますから」
「抜け駆けは感心せぬなあ……。我とて主様の妻になる身ぞ。くふふ」
「あのあの……私もおにぃちゃんといつまでも一緒にいたいですですっ!」
「やだんもう、カイトしゃんったらぁ。アシュリンは当然許可なのよはぁと」
「なん……だと……」
いつの間にどこで聞いていたのか、サクラとノウェム、テュルケとアシュリンまで、揃いも揃って僕が差し出す騎士剣の柄を握っていた。
「えっと……その……今回は……僕は……」
「ふふ……ふふふふふ……あははっ」
「「「……っ!?!!?」」」
僕だけでなく、彼女を取り囲んでいた皆も目を丸くした。
彼女が、リシィが笑ったからだ。
頬を耳まで赤くし、目元からは涙までこぼして満面に笑う姿は本当に心からおかしいといった風で、その表情には陰りのひとつも見えない。
ただおかしくて笑う少女の姿、ゆるりと下がった目尻は幸せそのものを体現し、楚々とした様もどこへやら大口を開けお腹まで抱えてしまっているんだ。
「リ、リシィ……?」
「あはっ、あははっ、もうっ、本当におかしいわっ」
そうしてリシィはひとしきり笑い、涙を拭いながら手を差し出してきた。
「……いいわ」
「えっ……」
「しっかりと責任を持ちなさいよね。私だけでなく、皆のことも大切にするの」
「あ、ああ……えっ? そ、それはつまり……」
「こういうことよ」
差し出された手は、僕が掲げたまま皆の重しが加わる騎士剣の柄に乗せられた。
「そ、それじゃ……」
「ん……か、勘違いはしないでよねっ! 最後に剣を取ったからって、皆の行動に流されたわけではないんだからっ! さ、最初からっ、カイトから言わないのなら……ごにょごにょごにょごにょ……」
「ふふ、リシィさん、もう素直になってもいいと思いますよ」
「くふふ、もうしがらみは捨て自由に振る舞おうと構わぬのにの」
「えへへ~、でもでもこんな姫さまも私は大好きですぅ~♪」
「これがカイトしゃんの好みなのよ? 勉強になるのよ~」
「と、とにかくっ、これからが大変なんだからっ! 私が、私たちが受け入れたからとあまり浮かれすぎないことねっ! 伴侶になるのなら、それ相応の教養から身につけてもらわないと困るんだからっ! そ、それと……そんなにまっすぐ見詰めないで……」
「は、はは、そうだね。リシィの、いや、皆の傍にいつまでもいられるよう、これまでもこれからも最善を尽くして進むよ」
心からそう願う――。
これからも続いていくこの星で――。
「け、けれど、一番は私でないと……」
「うん? なに、リシ……」
「ふっ、ふんっ! か、会場に戻るわよっ!」
「え、うん。あ、その前にこのハンカチで涙を、せっかくの化粧が落ちてしまうよ」
「今は優しくしないでっ! けれど、片時も離れないでいなさいよねっ、カイトッ!」
いつまでも、こんな彼女たちと共に――。
次回が最終話となります。