EX14 ぽむぽむうさぎの集会場にて
――【黒泥の龍皇】を討滅してからちょうど一ヶ月。
日々の慌ただしさの中で、僕たちはリシィから重要な任務を頼まれ、テレイーズ真龍国からは二日ほど距離を離れた大樹海を訪れていた。
地理的にはかつての河口湖付近だと思うけど、鬱蒼と生い茂る森は人の手が行き届かず、にもかかわらず間伐が行われているため豊かな植生が根付いている。
当然ここには危険な魔物も存在すると聞くけど、僕たちのいる付近は彼らの縄張りのため、敵意を持つ相手はそもそも踏み込むことすらできないそうだ。
「なるほど、だから“森の賢者”か……。大陸では頻繁に人が襲われるらしいけど、この辺りでは共生関係にあるんだな」
「はい、敵意を向けない限り襲われることはありません。身体的特徴から類推するに、ポムさまも元々はこちら側の種だったのではないかと」
「そうなのか?」
「にゃっ! にゃにゃ、にゃんにゃあ」
「へえ、お爺さんが泳いで海を……。それは凄いね……」
ルシェからこの地に生息するぽむぽむうさぎについて説明され、ポムに確認を取ったところ、祖父の代で海峡を渡り大陸を流れ流れてというやつらしい。
そんなこんなで、共生関係を維持するためと恩には礼を返すべく、僕たちはリシィからの任を受け“ぽむぽむうさぎの集会場”に足を運んだというわけだ。
この地に派遣されたのは、僕、サクラ、ノウェム、案内役のポム、テレイーズ真龍国からは信頼の置けるルシェが大使に任命され、あとは護衛の竜騎士が一個分隊八名。あまり大勢でも敵対と取られるので、これで全員。
お礼の品として大きな酒樽も運んでいたため馬車で来たものの、途中からは獣道を進む羽目になりたどり着くまで三日を要してしまった。
「主様、そちらに行きたいの」
「ダメ。サクラ、ノウェムが動かないように見張っていて」
「はい、しっかりと掴まえていますから、ご安心ください!」
「ぐぬぬ……水入らずと思うたのに……」
“ぽむぽむうさぎの集会場”――そこは森林のただ中にある温泉だった。
どうも彼らとの対話は裸の付き合いが慣例らしく、僕たちは体の大きなぽむぽむうさぎたちに囲まれ湯に浸かっているんだ。
この露天風呂の整備も、森林の間伐で環境を守っているのも彼ら、郷に入りては郷に従うのが日本人ならここは倣うべきと不満はない。
辺りは五十メートルを優に超える木々が立ち並び、その合間で巨岩を地面に埋め込まれた湯溜まりがいくつも存在している。
そんな中、当然ここに来るまで知らなかった僕たちは水着の用意もなく、完全に裸の男女間を遮るものは共に湯に浸かるぽむぽむうさぎたちの巨体のみ。
今はもう夜だけど、湯自体が青光を放っているので暗くはない。
「にゃにゃ、にゃはぁ~。にゃにゃにゃ、にゃんっ」
そして、僕の目の前で神力の青色を放つ湯に気持ちよさそうに浸かっているのは、一匹……一羽?のもっとも毛の長いぽむぽむうさぎだ。
「最高級のお酒とのことです。お気に召しましたか?」
「にゃ、にゃにゃる。にゃあっ」
「それはよかった」
彼はこの辺りのぽむぽむうさぎを束ねる長とのことで、体格はポムとそう変わらない程度だけど、湯に広がる眉のような長い毛とやはり長い髭が特徴の個体だ。
今は酒樽を筋骨隆々の剛腕で持ち上げ、グビリと喉を鳴らし味を確かめている。
僕の背側にはポムがいるけど、周囲はより体格の大きな彼らに取り囲まれ裸で湯に浸かっていることから、なんとも心細い感覚だ。
ポムを挟んで反対側にはサクラとノウェムとルシェ、騎士たちは酒樽を担いで道なき道を進んだことから入口付近でへたり込んでいる。
なんにしても森林内の空気は冷たく、湯から上がることも億劫だ。
「それと、皆さんにお怪我は……」
「にゃにゃ、にゃにゃにゃにゃん、にゃーにゃにゃ」
「さすがです。おかげさまでこちらも被害を抑えることができました」
意訳すると、『筋肉と毛の鎧が我らを守る、余裕じゃ』だ。たぶん。
彼らは一種の精神感応でも会話するらしく、僕のようになぜか波長が合うと多少は言っていることを理解できるとのこと。
そんなわけで、数少ない意思疎通が可能な僕に白羽の矢が立ったわけだ。
「にゃにゃんにゃにゃにゃにゃる、にゃにゃーにゃにゃっにゃ」
「はい、明朝には帰路につきますが、今晩はここで休ませていただきます」
『遠いところを疲れたじゃろう、今日はここで休んでいきなされ』だと思う。
「にゃにゃーっ! にゃにゃっにゃにゃにゃにゃーっ!!」
「「「にゃーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」」」
そして、露天風呂に浸かりながらのぽむぽむうさぎたちの酒宴が始まった。
こちらが持ち込んだお酒の量は、彼らの体格からしてみたら微々たるものなので、周囲を見回して少なくとも二十羽はいる彼らにはかなり足りない。
その辺りは国の平定後に改めて本格的な輸送隊を送ることを伝え、今回は分隊が運べる量だけでひとまずのお礼を伝えに訪れたんだ。
どこから取り出したのか、彼らは木をくり抜いて作ったコップにお酒をちびちびと注いでは、乾杯をしながらグイと飲んでいる。
一見は久しぶりの休暇を温泉で楽しむサラリーマンだけど、ここにいるのは三メートルから十メートルにまで至るぽむぽむうさぎたちだから、妙な光景だ。
ま、まあ、楽しんでくれるのならいいだろう……。
「え、私もですか? 私はお酒を飲むと記憶がなくなってしまうのですが……。え、あ、わっ、わかりましたっ。ほんの少しにしてくださいね……」
「我はそもそも酒を飲んだことがないのだが……」
「わ、私は任務中でありますので……!」
うん? おや……ポムの体の向こうでは、どうやらサクラとノウェムにルシェまでお酒を勧められているみたいだ……。
これは……ひょっとして……今の彼女たちの口振りから察するに、僕に対するフラグなのではないだろうか……?
はっはっはっ、そんな都合のいいお約束が早々にあって堪るものか。
……
…………
………………
……隠れたほうがいいね?
「うにゃっ!? にゃ……にゃにゃにゃっ、にゃにゃっ、にゃーーっ!?」
「えっ!? そんなにすぐ酔うのか!? ポム、どうにか……」
「にゃる……」
「そんなーっ!?」
ど、どうやら、ポムの言い分では彼の背を何者かがよじ登り始めたらしい。
ほんの少しと言っていたし、お酒を口にしてわずか数十秒で奇行に走るほど酔うなんてことは、地球人類種と比較してよほど代謝が活発な種でない限り……。
うん、サクラやノウェムなら超ありえますね……。
「うふ、うふふ……カイトさん……みぃつけたぁ……」
「ひえっ!?」
顔面蒼白(?)となっているポムを見上げると、その体の上には四つん這いでこちらを見下ろすサクラがいた。
これ見たことある、“本能に侵された獣”のサクラさんだ。
艶かしく微笑む瞳からは普段の淑やかさが消え、ただ獲物を見つけた狼のようで、赤く上気する肌とやはり赤く熟れた唇を舐める姿は、完全に僕を食わんとする野生の獣の様でしかない。
それも、今回は、は、裸だから、下から青光にぼんやりと照らされる彼女の肢体は、よりいっそうの立体感を伴い僕の煩悩まで刺激してくる。
ま、まずい……。サクラならこれだけのぽむぽむうさぎもすべて制圧し、僕は抵抗することも逃げることすらままならず……儚く散らされてしまいます……?
「サ、サクラ……落ち着……」
「カイトさぁんっ!!」
「キャーッ!! ヤワラカイッ!?!!?」
僕は飛び下りたサクラにあっという間に拘束された。
その潤んだ瞳は何かを求めるようで、全身余すことなく触れた柔肌は異常に熱く、それでいてマーキングでもするかのように体を押し付けてくるので、僕は手で触れることもできずなすがままになってしまっている。
周囲でぽむぽむうさぎにガン見される状況でなければ、このままも充分にありえたかもしれないけど……だがしかし、だがしかしだ……! お酒の勢いだけで人生一度きりの花を散らす、なんてことがあっていいわけがない……!
「ポム、サクラを拘束……」
「うっ……気持ち悪いです……」
「ひえっ!?」
僕はそのままサクラを抱きかかえ湯から上がり、ダッシュで木陰に走った。
そして、夜が明ける――。
―――
結果として、貞操的な意味では辛うじて無事に生還できたけど、状況的には惨憺たるものとなってしまった。
隊はぽむぽむうさぎたちに見送られて帰路についたものの、僕は翌日になってもぐったりしているサクラを背負って獣道を進んでいるんだ。
昨晩、お酒を飲んだノウェムは一口で意識を失って湯に浮かび、ルシェに至っては大泣きし始めたのでむしろあのあとが大変だった。
今後は、彼女たちにお酒を飲ませるのは何かを失う覚悟をしてだな……。
「カイトさん……ごめんなさい……」
「サクラ、気分はどう? 無理はしないで、謝罪も必要ないよ」
「はい……少しは楽になりました……。ですが、こんな情けない……」
「はは、サクラにも弱点があったんだ。僕はそれを知れてむしろ嬉しいかな」
「う……お恥ずかしい限りです……」
サクラはピタリと僕の背に寄り添い、肩越しの吐息はまだ熱くそれでいて悩ましげな声音を吐き出している。
「馬車まではこのままで、ゆっくりと休んでいて」
「……」
「どうかした?」
「いえ、こうしてカイトさんと触れ合えることを嬉しく思ってしまい、私もしかたがない女ですね……と思っていました」
それを言うなら僕もだ、サクラの重みがむしろ心地好い。
「サクラ、本当に我慢はしないでな。触れたいのなら好きに触れていいから」
「は……はいっ! ありがとうございます……!」
「あうじしゃまーっ、我もーっ、我もーっ!」
「ああ、いつでも……ノウェムはいつもくっついてくるよね!?」
「ぐぬぬ! 我の万全な計画が酒で挫かれたーっ!!」
なんにしても、今のノウェムはポムの体の上で寝転んで動けないようだ。
「まったく、何を企んでいたんだか……」
「ふふ……カイトさんは本当にあたたかいです……」
僕は大切な温もりを背負い、リシィが待つ王都への帰路についた。