第百十話 新たな日々は君の名と共に
――戦勝祝賀会当日、沈みかけた太陽が空を黄金色に染める頃。
「ちょっ!? ティが食べようとしたノンなんで先に取っちゃうノンッ!?」
「ハッ、おマえガぐずぐずしてるカラダ。お上品ナ料理ハ口に合ワん、マずい」
「そんなこと言いながら、ベンガードはモリモリ食べすぎなノン!? あっ、それはティがっ、ちょまっ、ベンガードーーーーーーッ!?」
「なんだあれ……」
会場は半壊している王城の代わりに滞在する館を開放し、今日はひとまず招待客だけが立食の形で用意された料理に舌鼓を打っていた。
その中庭の一角で、多くの探索者に混じって料理の取り合いをしているのがベンガードたちで、その隣にはセオリムさんやトゥーチャたちもいて、歓談しながらも僕が視線を向けるとすぐに気がつき手を上げてくれる。
僕もいちおうは返すものの、正直な気持ち恥ずかしくて堪らない。
というのも、今の僕は慣れない騎士の礼服を着ているせいで、祝賀会のただ中にいてだいぶ浮いてしまっているから。
用意された衣装は、一見すると明治時代のフロックコートの軍装。白色の生地に金色の肩章や飾緒で飾られ、このすべてが“龍血の姫の騎士”の地位を示し、傍を通る騎士や侍従、招待客まで頭を下げるもんだから非常に落ち着かない。
「部屋で隠れていたい……」
「カカッ! 戦勝の立役者が姿を隠してはそれこそ祝祭も成り立たん! ここは肝を据え、並みいる強者どもと相対するしかあるまいぞ、カイト殿!」
「ベルク師匠、僕は元々が一般人ですからね……。こういう場所は初めてで、事前に作法は学びましたが緊張はどうにもならないと思います……」
「アウーッ! ならもっとおいしいの食えカトーッ! うまうまーっ!」
「どこにいてもまったくブレないアディーテが羨ましいよ……」
「にゃんにゃにゃーっ! うまーっ!」
「ポムは気楽でいいよな……。今『うまー』って言った!?」
僕たちがいるのは中庭に面した大広間で、その境界となる室内側だ。
中庭では花壇の花が豊かな色彩で宴席を彩り、手入れの行き届いた樹木が丁寧に刈り揃えられた芝生と共に、華やかで落ち着ける空間を演出している。
対して大広間は、この時代で高貴さや尊さを現す青色を基調に、金の装飾品で飾られた館の中ではもっとも豪華な部屋だ。それでも華美た印象がないのは、あくまでもシンプルでモダンな品のよい造形だからだろう。
そんな中で、今日は事態の収束に尽力した探索者や騎士、それに後方支援を担当した貴族を集めての祝賀会が夕方から開かれていた。
総勢は三百人ほどとそれなりに多いけど、現行ではまだ事態対処中のため、他の者への労いはさらに別の機会でとなる。
「カイトしゃんは多くの民も認める“真の英雄”なんだから、もっと堂々としてればいいのよ。館に引き篭もってばかりではカビが生えてしまうのよ?」
「そうは言っても、お祭り騒ぎの中に出たらまた揉みくちゃにされるよ……」
「自業自得なのよ。有名税を否定するなんて、カイトしゃんは難儀な性格なのよ~」
流星の落下という未曾有の災害のせいで、しばらくの間テレイーズの街は沈鬱な空気が漂っていたものの、続く【黒泥の龍皇】の現出に合わせ、これまで姿をくらませていた“龍血の姫”が突如として帰還し事態を解決にまで導いてしまった。
だから最近の街は一日中がお祭り騒ぎで、その中で件の“龍血の姫の騎士”だとバレようものなら、いい意味で取り囲まれ動けなくなってしまうんだ。
結果はよかったものの、僕としては日々をのんびりと過ごしたいのが本音だ。
「それにしても遅いな……」
「なに、おなごにとっても晴れの舞台、準備に時間がかかるは致し方なし。このような祝宴ともなれば日が暮れてからが本番よ」
ベルク師匠の言う通り、空は徐々に暗くなり夜の時間が迫っていた。
祝賀会は主役が不在のままでかれこれ数時間。本来は僕も彼女の傍でエスコートをするはずなんだけどなぜか拒否され、大広間の片隅で手持ち無沙汰にしながら時折声をかけてくる賓客と言葉を交わしているんだ。
騎士たちならともかく、貴族の相手はどうも苦手でもう疲労困憊。暇を持て余して料理に手をつけたところで、お腹の容量にだって限界はある。
そうして、もう数も数えられないほどとなった貴族との挨拶を済ませた頃、大広間の扉付近で侍従の動きがにわかに慌ただしくなった。
「カイトしゃん、出番なのよ」
「ああ、ここだけは気を引き締めるよ」
僕はアシュリーンに促され、背丈の二倍はあるだろう大扉の横に進み出た。
段取りは整っていて、要するにようやくエスコートの出番が来たというわけだ。
先ほどまでざわめいていた会場は、なんの合図がないにもかかわらず凪いだ海のようにシンと静まり返り、皆は一様にこちらへと注目を向ける。
その時まで、視線が僕に集まるのはどうしようもない。
――カキッ
静かな金属音、大きな両開きの扉のノブが回り、少し開いた隙間から様子を伺う黒目がちな目がこちらを覗き、僕はその持ち主のテュルケに頷いて返した。
大広間から雑音が消え、静寂が空気に重みを加える。
五感を失ったわけでなく、人々が衣擦れですらも完全に止めたからだ。
そして開け放たれた扉の向こうにいたのは、他でもない“龍血の姫”――。
僕の大切な女性――。
青色のドレスはまるで夜空に輝くオーロラのようで、胸元には暗闇で人々の頭上を照らす流星のような白金の首飾りが華を添えている。
それでいて、全身を彩るどんな宝飾品もただ着飾る者自身の至上の宝石たるやを引き立てるものでしかなく、彼女が歩を進めるたびに香る甘やかな匂いは、人を魅了しながらもおいそれと触れてはならない美風を纏っていた。
目が合う。強い感情の込められた瞳はどんな魔法の賜物か、いっそう艶めき立ち濡れているかのように僕を見詰め、思えば彼女の化粧をした姿はこれが始めてだ。
後ろ髪は纏め上げられ、後れ毛の一本一本まで計算し尽くされて垂れ下がる様は、もはや彼女を飾った者こそが芸術家であると言っても過言ではない。
恐れ多くも、ここまで至高の美術品に僕が触れてしまっても……。
「カイト……」
「えっ……あっ、はいっ」
硬直していた僕は、これまた宝石のように艶めく唇からこぼれた天上の言葉に促され、同時に上げられた彼女の手を取った。
これは破壊力抜群だ……僕に対しての極特攻は防御も回避もできない……。
むしろ自分から射線上に飛び込むほど、そうまでするほどに麗しい……。
だけど、さらに後ろからやってきた存在もまた、特攻持ちだった。
「ふふ、カイトさん、皆様がお待ちですよ」
「ほれ、呆けるでない、主様よ」
サクラと、ノウェム。
二人も化粧をしているようで、元々が綺麗な顔立ちはよりいっそう美しくも可愛らしく、自分の役割を忘れ見惚れてしまうほどにまた女神の様相だった。
服装も千差万別。サクラはこの場では目立つだろう桜色の振袖で……これは過去から持ち帰った祖母の遺した着物だな……。ノウェムはいつもの黒灰色とは一転し、彼女の瞳と同じ淡い翠色のドレスを身に纏っている。
さらに背後で控えるのはブリュンヒルデとアラドラム将軍にルシェと、このそうそうたる傑物の中で、僕はリシィの手を引いて壇上まで行かなければならないんだ。
本音を告げるのなら、「あわわ……」である……。
「カイト、緊張しないで大丈夫よ」
「あ、ああ……」
振り向けば、当然こちらを注目している賓客の目に晒される。
だけど、誰も彼も彼女たちの光輝な様に釘付けで心ここにあらずのよう。
僕はリシィがそっと乗せる右手を左手で軽く握り、覚悟を決めて確かな足取りで柔らかな絨毯の上を進み始めた。
壇上には、先に姿を現していた元“龍血の姫”のティナさんと、その夫となるハイド ロン テレイーズ竜騎公が玉座に座る。
なんだか、「娘さんをください」と告げるために進んでいる気分だ……。
「なに……?」
左右を人垣に囲われた中心で、隣を歩くリシィが小声で尋ねてきた。
「え、声に出していた……?」
「えと……娘さんをどうとか……」
「な、なんでもないです……」
「変なカイト……」
緊張のあまり、自分自身の言動を制御できていないようだ……。
それもそのはずで、こうまで緊張するのは他にも理由があるから……。
そうして、僕はなんとかリシィを壇上まで連れていくことができた。
彼女は壇上に立ち、姿勢を正して集まった賓客に視線を送ると、ここでようやく大きな拍手が誰からともなく起こる。
僕は彼女の斜め後ろに控え、その様子を遠いことのように眺めるも、その拍手は僕にもまた向けられていると気がつくと、どうしようもない震えが体の奥底から滲み出してきてしまった。
これは慣れそうもない……。今だけの我慢だけど、早く終わってしまうのもより緊張させる原因で、今日だけで一生分の鼓動を使い果たしそうだ……。
「お待たせしたわ。私が……」
再びざわめきが収まるのを見計らい、リシィは口を開いた。
何度目だろうか、その大切な名を聞くのは……。
ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございます!
本編は一度ここで引き、続きましてEX小話をいくつか挟みます。
この続きの肝心なカイトの行動はそのあとで、間もなくの完結までお楽しみいただけたら幸いです。