第百八話 英雄の礼
――戦勝記念祝賀会を翌日に控えた日の夜。
僕は館内を我が物顔で進むアシュリーンに応接室まで案内されていた。
本来なら館の主であるティナさんやハイド公の使う部屋で、一介の騎士にすぎない僕では許可なくしては入ることができない部屋だ。
この国で僕は事態を収束に導いた立役者とはされているものの、自分自身がやってしまったことのツケを払っただけで、誇っていいことだとは思っていない。
「それにしても、アシュリンはいつからこの館のメイドになったんだ?」
「アシュリンはカイトしゃん以外にお仕えする気はないのよ。明日が祝賀会で皆忙しいから、手の空いてるアシュリンが案内するのは当然のことなのよ」
「そ、そうか……地図を一度見ただけですべて記憶するのも凄いよな。僕なんか自室から少し遠出しただけで、この広い館では迷子になるよ」
「記憶ではなく保存なのよ。カイトしゃんは【黒泥の龍皇】の騒動が落ち着いてからどうも気が抜けて、どうしちゃったのよ? 身体検査するのよ?」
「あ、いや、気が抜けたというか……これで終わりだとは思っていないからだな……。最悪に最悪を重ね続けたこの世界で、来たる日のために気を張り直しているんだ」
「お姫さまやサクラさんが心配するわけなのよ~。確かに、世界中に散った墓守の掃滅にはまだ時間がかかるけど、それだってカイトしゃん一人が背負う必要はないのよ。最後の余力で監視衛星網の打ち上げも計画してるから、もしまたエウロヴェの残滓がどこかで活動を再開しても大丈夫なのよ」
「えっ!? 最後の余力って……」
「勘違いするななのよ! 物資的なという意味なのよ!」
「ビックリした。アシュリンがいなくなるのかと……」
「あれ~、アシュリンがいなくなると困るのよ~? なら今すぐに子作……」
「だが断る」
「つれないのよーーーーっ!!」
アシュリーンは大袈裟な身振り手振りで、その外見の瀟洒な佇まいとはまるで正反対の言動をしている。“黙っていれば美人なのに”というやつだ。
なんだかんだ言ってもアシュリーンの存在は僕の中で大きく、それでいて今後の世界にとっても大きな財産となるのは確かだ。彼女の情報開示しだいで、文明発展の速度に数世紀ぶんの開きが出てしまうほどに。
今のところは“対墓守”に関しての個人武装関連の技術開示と、自身が管理できる範囲で情報伝達を含む輸送路の整備に留まっているようだけど、それもすべて何か事が起きれば彼女一人の判断で破棄できる状態なんだ。
“アシュリン”の時はこんな軽い言動だけど、やはり元【天上の揺籃】マザーオペレーティングシステム“アシュリーン”は伊達ではない。
「ところで、来客の相手をなんで僕が……?」
「なんでって、カイトしゃんを訪ねてきた人なのよ」
「それは先に言って……。心当たりがあるとすれば……」
「応接室はすぐそこなのよ、会ったほうが早いのよ」
アシュリーンはその辺りがどうもざっくりしている。
僕たちの歩く廊下は日が落ちたばかりですでに暗く、ルテリアのように電気も青光の明かりもないからロウソクとランタンだけが頼りだ。
これがこの時代での本来の文明レベル。周辺の【神代遺構】しだいでまた変わるけど、それだって長い年月で朽ち果てたものばかりで必ずしも頼りにはできない。
館の廊下は床こそ柔らかな紺色の絨毯が敷き詰められているものの、壁は漆喰に燭台を備えられそれ以外の装飾の類はあまり多くない質素なものだ。
そんな中を自室から出てかれこれ二十分は歩いているから、三階建ての館の面積を考えたら迷子になるのもしかたないと思う。
そして、アシュリーンが『すぐそこなのよ』と言ってからさらに五分ほど歩き、ようやく目的地となる重厚な観音開きの扉の前まで到着した。
「お待たせしましたなのよ~」
アシュリーンはなんとも気楽そうに扉を開ける。
「やあ、カイトくん。最後に会ったのは君がエウロヴェに止めを刺す直前、まともに声を交わすのはずいぶんと久しぶりだ。感慨深いよ」
「くしし! 待ちくたびれたナ、メイドさん飲み物おかわりなのナ!」
「“アシュリンさん”と呼べなのよ!」
応接室はランタンの暖色が温もりのある空間を作り上げ、置かれた調度品の数々も品がよく控えめで、もてなすことを重視したものとなっていた。
豪奢で華美た印象を受けたラドリュウムと一部の貴族一派。この対象的な様がこの国の二面性で、両親の元で暮らしたリシィが真逆の性質になるわけだ……。
そして室内でくつろいでいたのが、セオリムさんとトゥーチャだった。
革張りのソファに座り、お菓子が入れられていたと見られる籠がすでに空になっているのは、口の周りを汚しているトゥーチャがたいらげたからだろう。
エウロヴェ戦後、僕は長いこと意識がなかったから本当に久しぶりだ。
「セオリムさん、トゥーチャ、お久しぶりです。樹海にいるだろうとは考えていましたが、これまでどこに……?」
僕は礼を返しながら彼らの対面のソファに座る。
「なに、エリッセと合流したあとは残存墓守の追撃をね。樹海で痕跡を追うのは容易いが、徐々に範囲が広まりつつあるから、遠出をする前に挨拶をと思い立ち一度戻ったのさ。前回は一方的に顔を見ただけだったからね」
「そうでしたか……」
エリッセさん、そしてベンガードたちのパーティも残存墓守を追った。
人が立ち入らない樹海で行動すれば痕跡は残りやすく、それでも広く深いがゆえに追撃の手は多くを割けず、周辺の町村に竜騎士隊を配置することで対応している。
この状況で追撃を担当するのは、各自の判断で活動する探索者たち。
アシュリーンの言う通り、僕一人が背負ってどうにかなる問題でないのは充分に理解しているから、もう少し気楽に構えたいところではある……。
「くしし! 明日には皆も戻って祝賀会には参加するナ、料理が楽しみナ! だけどそのあとはすぐ墓守を追うからナ、また当分はお別れなのナ!」
「それは……もう少しゆっくりとはできないんですか?」
「カイトくん、“樹塔の英雄”とまで謳われる肩書は人々の期待が込められたものだ。今なら君にもわかるはずだが、本人の意向はどうであれ誰かの希望たらんとするのなら、その期待には向き合っていかなければならない」
「はい、その通りだと思います」
セオリムさんの僕を見ながらどこか遠くを見る目は、人々に称えられる英雄たらんとし、それでも「あまりよいものでもないよ」とでも言いたげなものだった。
「私がカイトくんをパーティに欲した理由。それは君が演じるまでもなく英雄の資質を持ち、それでいて臆さず流されずにただあるがままの君であったからだ」
「それは、どういう意味ですか……?」
「なに、我々は英雄を演じ、やがて戦うことに臆した。だが君はそうではなかった」
「正直に言うと怖かったので、セオリムさんに評価されるようなことは……」
僕が否定を口にしたところで、セオリムさんは首を横に振った。
「臆してなお自らの意志で誰かのためにと進めるのなら、それは勇敢に他ならない。そうして私たちはいつしか真の英雄の背を追い、くすぶっていた自らの魂に再び火を灯すことができたのさ。だから今日は感謝をしに訪れた。カイトくん、ありがとう」
そうして、セオリムさんは手を差し出してきた。
結局、僕にとっての真の英雄が何を伝えたいのかはわからなかったけど、その差し出された手を握り返してどちらからともなく誠意の笑顔を見せる。
「この国が落ち着いたら、僕たちはもう一度ルテリアに戻るつもりです」
「はははっ、それでこその真の英雄たるやだ! ここまで来てしまえば君を引き抜くことは不可能と思い知りつつも、やはり私はカイトくんが欲しい!」
「僕は最初から最後まで彼女の騎士であるつもりです」
「その答えも変わらない。なればこそ余計に、なればこそだ!」
「くしし! セオっちはカイっちの潔さを見習いたいとか言いつつしつこいナ!」
「しかたあるまい、今はこの友情がいつまでも続くことを願おう!」
僕は彼らの笑顔に対し、握手をしたままさらに一礼を返す。
「セオリムさん、トゥーチャ、なら僕は頂いたご恩とこの友情を携え、英雄が必要とされる場所であなた方を待っています。ありがとうございました!」
「はははっ! カイトくんとは長い縁となりそうだ!」
「くしし! 困ったときは駆けつけるナ!」
そうして、セオリムさんとトゥーチャはお礼だけを告げ帰っていった。
明日の祝賀会にもまた来るそうだけど、その次に会えるのは当分先だろう。
思えば、グランディータ、リヴィルザル、それだけでなく多くの人々に支えられ導かれ、僕たちはこの困難な道のりをここまでたどり着くことができたんだ。
感謝するのはこちらだって同じで、だから僕たちはいずれまたあの地に帰る。
いまだ人跡未踏、幾万の世界を内包する深世大迷宮――
【重積層迷宮都市ラトレイア】へと。