第百ニ話 天地渦巻く破滅の光
降下準備のため、僕は操縦席から出てすぐ後部の貨物室に戻る。
『リシィ様、彼方に存在する【極光の世界樹】を感じてください。体の内を巡る極光の龍血は、空間を隔てた神器とも常に繋がり続けているはずです』
リシィが左手首に装着した通信機からは、巨大浮遊樹の三次元立体映像が投影され、彼女は目を閉じて御所内の【極光の世界樹】へと意識を向けた。
それとともに、柔らかな黄金色がリシィから放たれる。
金光は機内を柔らかく照らし、まるで陽だまりの中にいるような感覚は、戦域で対空砲火に晒されている状況でもなお気持ちを穏やかにされてしまう。
不思議な光だ……。
まるで母の腕に抱かれるような、リシィの慈愛の感情が込められた光……。
『【極光の世界樹】に干渉を確認。“極上位異質物隔離保管庫”開放、軌道、方位角修正、重力影響誤差修正。リシィ様、いつでもどうぞ』
アシュリーンにより、【黒泥の龍皇】に対する対地攻撃のお膳立てが着々と進むも、これまでのただ神器を手元に形成するのとは訳が違う。
地上から四百キロメートルも離れた遥か上空に、龍血の繋がりだけを頼りにして巨大な反射板を形成しなければならないんだ。
それが如何に困難なことか、リシィは表情を歪ませ唇を強く噛み締め、外気温は低いにもかかわらず額から吹き出る汗が彼女の頬を濡らしてしまっている。
『【重霊子力衛星軌道掃討射砲】修復率九十八パーセント、強制起動成功。射角修正失敗、再修復開始。タイムスケジュール修正』
「アシュリーン、大丈夫か!?」
『問題ありません。“対亜種汎用機兵”を損壊した支柱の代替とします』
「命を投げ出してまではやめてくれよ……!」
『カイト様は、あくまでデジタルな存在である私をひとつの生命として扱ってくれるのですね。個体識別名、タイプヴァルキリー“ラーズグリーズ”。私はこの無益な戦いを終わらせるために残された、ただの生体機人でしかありません』
「僕が、君の願いをひとつ叶えると言ったら……?」
『私は、“人々の平和を見守る者”となりたく……。人による創造物が願いなど、プログラムの不具合でしょうか』
「不具合でいい、叶えよう」
『かしこまりました』
僕とアシュリーンの会話の途中で、リシィが苦悶の表情を浮かべて目を開いた。
その瞳は色を失い、金光の中でぽっかりと空いた黒洞になってしまっている。
「本当に、僕たちは無茶ばかりだ……。だから余計に、無茶を押し通した先に平穏があると信じ、ただ一歩一歩を確かな足取りで踏み締めて生きたいんだ」
僕はリシィを強く抱きしめる。
決して離さないよう、強く強く彼女の支えになりますようにと。
そうして僕の腕の中で、リシィの残された右竜角と、これまで大切に持ち続けたポーチの左竜角が、よりいっそうの目映い黄金色を放った。
「カイ……ト……」
「うん?」
「あなたは、この戦いが終わったら……どうするの……?」
「え? どうするとは……身の振り方か……? もちろんリシィの傍に……」
「そうじゃないの……私の傍で、あなたは……どう生きてくれるの……?」
僕はリシィを抱きしめたまま、ごくりと生唾を飲み込む。
それはつまりあれだ、このまま騎士として生きるか、そうでなければ……。
この答えは、ひょっとして世界の命運に関わってくるのではないだろうか……。
いや、たとえ世界そのものを天秤にかけることになったとしても、答えは……僕の願いはただひとつ、どんな形でも彼女の傍にいることだけなんだ。
ただ、わかってやれない乙女心とは、つまりそういうことなんだろうな。
「一国の姫王と、本来は一般人の来訪者、しがらみは多いだろうけど、許されるのなら僕の願いは何を押してでもひとつしかない」
「それ……は……」
「決まっている、リシィのよき伴侶……」
「んっ!?!!?」
リシィは自分から聞いておきながら、僕の言いかけた答えに慌てた。
勢いよく顔を上げた彼女の瞳には、現金にも一瞬で黄金色が戻っている。
強い感情の発露が、世界の根源に通じるはずの龍血の力をより強く太く繋げたとしか解釈できない現象だけど、確信があったわけではない。
僕の願い、たとえ許されないとしても、最悪は無理強いしてでも掻っさらう覚悟だ。
『【極光の世界樹】の直下に事象変移を観測。反射板形成、安定。反射角、砲射角修正、誤差許容値内。【重霊子力衛星軌道掃討射砲】修復率百パーセント到達、試射はできません。リシィ様、三分の維持を』
奇跡とは、人が自らの手で手繰り寄せてこそ必然となる。
三次元立体映像ディスプレイに映し出された【極光の世界樹】には、真下から見るとまるで太陽か月がそこにあるかのような黄金色の正円が形成されていた。
複雑な機構を持つものではなく、テュルケの“金光の柔壁”をより発展させた霊子力の反射に特化させた椀状構造体だ。
最後は半ば無理やりだった気もするけど、リシィはそれを見事になしてくれた。
あとは、アシュリーンが御所自体を操作して反射角を安定させれば……。
『【黒泥の龍皇】に高熱源を感知。エウロヴェ型、ヤラウェス型、ザナルオン型の頭部からの三重の対軌道攻撃と推測。動力ケーブルの破損による霊子力収束状況の遅れにより、ニ秒間に合いません』
「二秒……!?」
僕は咄嗟に周辺の状況を確認する。
リシィは反射板の維持に力を使い、あの火線を凌げるとしたらノウェムの“転移”能力しかないけど、彼女には通信機がなく今は窓の外にもいない。
唯一、大龍穴湖上空で戦闘を行うブリュンヒルデにしても、たとえ自らを盾にしようとも飲み込まれ蒸発して終わるだけだ。
墓守と戦いながら徐々に後退を続ける防衛部隊も同様。すでにフザンからかなりの距離を離れ、ただでさえまだ湖の中ほどにいる【黒泥の龍皇】には届かない。
『周辺の人的被害を再算出、【重霊子力衛星軌道掃討射砲】の爆散による余波で被害率二十七パーセント上昇。再算出、十八パーセントまで低下。再算出……』
「アシュリーン!? 何を……」
『根源霊子炉オーバードライブ、施設の損壊を前提とした過充電により霊子力を収束させます。周辺被害率の上昇はお許しください』
「待て! アシュ……」
――キュドッ! ジュアアアアァァアアァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!
止める間もなく、止めてもしかたなく、【黒泥の龍皇】の三頭から真っ赤な火線が放たれ、高熱により一瞬で蒸発した湖水が濃い霧となって爆散する。
それと同時に僕たちの背後、テレイーズの王都からも、極太の青光の柱が煌めく波動を拡散させながら空高くに打ち上がった。
青と赤の二本の光の柱、人では決して及ばない領域の力が夜空を塗り替える。
――ドオオォォオオオオォォォォォォォォォォオオオオオオォォォォォォッ!!
「きゃああああああああああああああああああっ!!」
「リシィッ……!!」
――ズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズッ!!
そうして、青と赤は人々の頭上で交差しねじ曲がり、大龍穴湖の真上から幾筋もの分かたれた光の雨となって近隣に降り注いだ。
湖水はよりいっそうの水蒸気を噴き上げ、輸送機は破裂した大気に揺さぶられるかのように強い衝撃に襲われる。
そんな中で、僕は抱きしめたままのリシィを抱え込んで膝をつき、テュルケは強化外骨格に支えられて揺れが収まるのをひたすらに耐え続けた。
状況はまるでわからない。操縦席の窓から差し込む青色だけがただ眩しく、かつて神器の記録で見た青光の柱による大地の蹂躙を見るかのようだ。
これは過ち、自らの住まう大地を傷つける人の業。
それでも、終わらせなければならない。