第九十八話 最高の結末のために
「ぷーくすくすっ! この顔を見るのよ、ざまぁなのよーっ! ぷひゅーっ!」
大笑いするアシュリーンが投影する仮想ディスプレイには、僕に殴られ顔の半分がうっ血して頬を腫らすラドリュウムの姿が映し出されていた。
彼は確かに剣の心得があったようだけど、ベルク師匠にはまるで及ばず、光槍で剣をいなしてから左拳で顎の側面を殴り、よろめいたところを腹に一発、さらに追撃で左頬に一発と最初の一合で決着はついてしまったんだ。
顎を殴った段階で脳震盪を起こしたようだから、あとの二発はただ憤りをぶつけただけになってしまい、僕はまだまだ心の鍛錬が足りない。
なんにしても、他者を見下す油断がラドリュウムの敗北を決定づけた。
「アシュリン、気持ちはわかるけどリシィにとっては肉親だ。ほどほどにな」
「そっ、そうだったのよっ。あまりに下劣で悪辣な性質に、普段は温厚なアシュリンもさすがに我慢の限界だったのよ。お姫さま、ごめんなさいなのよ」
少し前を進むアシュリーンは振り返り、僕の隣を歩くリシィに謝罪した。
「構わないわ、嫌な思いをすることはわかっていたもの。お兄様は昔から何も変わらない……複雑な思いだけれど、いずれは私が処断しなければならないの。カイトは、その最初の一歩を踏み出してくれた……」
聞くところによると、リシィが王位を継いでからラドリュウムとデリシャスを筆頭とする一部の大臣たちは、“龍血の姫”に権力が一元化していない政治形態を利用してやりたい放題だったらしい。
リシィはあくまでも象徴、年端もいかない少女が王となるわけだからしかたないとはいえ、古く栄えた血脈ゆえの腐敗はこの地でもあった。
この問題はセーラム高等光翼種とも同様で、エウロヴェが滅ぼそうとした“人類”とは、すなわち“人因子”そのものであったと今なら理解できる。
「ですです、おにぃちゃんがぶっ飛ばしてくれなかったら、私もあの嫌な人に手篭めにされてましたです! そんなの絶対の絶対に嫌ですです!」
「て、手篭め……。やる気は満々だったからな……」
テュルケは「うえぇ……」と、本当に嫌そうな表情を浮かべる。
“嫌な人”、デリシャスは常に彼女のお胸様を下卑た視線で直視していて、ラドリュウムに進言した時なんかわかりやすく舌舐めずりまでしていたんだ。
つまりは、これまでもそういったことが日常的に行われていたことにもなるから、事態を収束させたあとの対応を考えると気持ちは重い。
そして、ラドリュウムとデリシャスを黙らせたあとはアラドラム将軍にその場を任せ、僕たちは玉座の背後にあった聖域の扉に足を踏み入れて今だ。
断罪は後回し、まずは退けなければならない【黒泥の龍皇】に対する。
「それで、状態は?」
【重霊子力衛星軌道掃討射砲】――またの名を“白樹城カンナラギ”。
僕が創生した巨大樹を隠れ蓑に建造されたらしいけど、それ以上のことは何もわからない、かつての日本が邪龍に対抗するため築き上げたもの。
内部は“聖域”となり、もう四百年ばかり誰も立ち入っていないとのことで、神聖さを感じた白亜の外見からは想像もつかない暗く淀んだ有様となっていた。
アシュリーンがやっているのか、歩いている僕たちの周囲だけ青白い明かりが灯り、通り過ぎるとまた消えて暗闇に戻る。
「電力は通ってるけど、内部設備の稼働状況は三パーセントと自動維持システムも停止してるから、ちょーっと動くか怪しいのよ……」
玉座の間から、幅二メートル高さ三メートルほどの鋼材でできた灰色の通路を進むと、しばらくして壊れたタレットや無数の忌人が転がるようになった。
ここもまた【重積層迷宮都市ラトレイア】……いや、多くの【神代遺構】と同じく、過ぎ去った時代の残影があるだけ。あまつさえ、後世で侵入を試みようとした者たちと、防衛設備が戦闘を繰り広げた痕跡もうかがい知ることができる。
この状態では稼働できる保証も何もないのは素人の僕が見てもわかるけど、【黒泥の龍皇】を止める可能性を繋げるためには、やはり神剣による一太刀が必要だ。
「私も……」
そんな思考を続けていると、リシィがぽつりと呟いた。
彼女は表情は暗く沈ませ、視線を床に落としてしまっているから瞳の色は確認できないものの、先ほどのことを引きずっているのは確かだろう。
「リシィ、やはり謝りたい。お兄さんを殴ってしまってごめん、おとなげなかった」
「違うの。私にも、お兄様と同じ卑しい血が流れていると考えたら、少し……」
「そんなことは……」
「あるの。あんなことを言われて確かに屈辱ではあったけれど……それと同時に私は、カ、カイトと幸せな家庭を築く想像もしてしまったのよ……!」
「……っ!?」
そ、そうか……あいつらの言い方は最悪だったけど、それでも女性にしてみたら想いを寄せる相手との幸せな未来はむしろ望むべくところなんだ……。
リシィは、僕とのそんな未来を望んでくれるのか……?
と思ったところで、最後尾をついてくるアサギの存在に気がついた。
「そうか、ありえるのか……」
「え? カイト……?」
「あ、いや、僕は好意を伝えてもらったあとでも、どうも鈍感でいけないなと」
「えと、どれはどういう……? やはり、私はどうしようもなく卑しい……」
「リシィは、高潔で誇り高く僕が憧れ続けた“龍血の姫”だ」
「そんなことは……」
「それでも、思い悩む様は普通の女の子なんだなとも思った」
「……え?」
「卑しいとは違う、だた幸せを願う普通の女の子だ。そんなリシィも僕は好きだよ」
「……んっ!?」
その瞬間、途中で顔を上げ僕を見ていたリシィの表情が、一瞬で見るからに茹で上がったタコのようになってしまった。
言ったあとで気がつく。
僕は彼女に面と向かい、そうなることを許容したのも同じだということに。
「あ、あの……あの……私……えと、どう答えたらいいのか……」
「えへへ~♪ 姫さまのお顔が真っ赤ですぅ~♪」
「世界の危機でも、男女間の恋慕は止められないのよ~。ニヤニヤ」
「……複雑。……私の生まれる前の光景を見せられている感覚」
「ご、ごめん。そんな場合でないのはわかっているけど、もしもを考えたら今のうちに伝えられることは伝えておか……」
僕が言い終えるより先に、皆の表情が悲壮なものに変わった。
「ダメよ……」
「え……あ……」
「もしも、刺し違えてでもなんて考えているのなら、私は絶対にカイトの傍を離れないんだからっ! 私を大切に想ってくれるのならっ、これから先もっ、お婆ちゃんになってもっ、ずっとっ、ずっとっ傍にいなさいよねっ! カイトが……カイトがいなくなったら……私もあとを追うんだからっ!」
僕を真っすぐに見るリシィの瞳は、まるで夕陽が沈む海のように赤と黄、それと青までも滲む鮮烈な輝きを放っていた。
先ほどまでの思い悩む表情はどこに行ったのか、頬を赤く膨らませて憤慨する様は駄々をこねているようでもあり、本当に普通の女の子のようだ。
ただ、そこまで言われてしまっては主に付き従う騎士である前に、男として彼女と共に最後まで歩む覚悟でこれからも進まなくてはならない。
「うん、それなら最高の“ハッピーエンド”を目指そうか」
「はっぴ……? え?」
「ああ、意味は“幸せな結末”。世界がどんなに不条理でも、不確定要素ばかりの可能性だろうと、いっそ無理やり積み上げてすべての未来を最善に導いてみせる」
「……」
「さすがはおにぃちゃんですですっ!」
「……大きく出た」
「カイトしゃんは本当にちょろいのよ」
僕もそう思う、だけどそれでいい。
彼女を、彼女たちを笑顔にできるのなら。
「ん、んぅ……ふ、ふんっ! そのはっぴえんどのために精々力を尽くしなさいっ!」
あ、この唐突なツンは照れ隠しだな……今ならわかる……。
リシィはそっぽを向きながらも、手はしっかりと僕の左腕の袖を握っているので、今はもうただの可愛い女の子でしかなかった。
「やれやれ、人間は相変わらず不完全で不可思議な生物なのよ~。そんなわけで、エレベーターシャフトに着いたのよ。イチャコラはそこまでにしてくれるのよ?」
「ぐぬっ……」
もはや、アシュリンの物言いに反論することもできなかった。