第九十六話 歪み 汚れ 沈む
――国を飛び出してから間もなく四年。
私たちは王城に入り、実に四年振りの城内を進んでいる。
背後にはカイトとテュルケ、さらに後ろには装甲服を装備したままのアサギとアシュリンも続き、すれ違う者は誰もが始めは驚き次に慌てて頭を下げるわ。
玉座の間に続く主廊はあの頃と同じ、何も変わっていない。
正騎士が通れるほどの高い天井と広い幅の廊下には、賓客をもてなすことを建前に、その実は威圧し見下すための華美た装飾で埋め尽くされている。
純白と黄金に彩られた、見た目ばかり贅の限りを尽くした城。
簡素だけど暖かく居心地の良かったサクラの宿処や、落ち着いたカイトのお祖父様の家と比べると、どうしようもない心の在り方が透けて見えるようだわ。
私はこの城が、この場所がずっと嫌いだった。
「聖域に通じる入口は玉座の間にあるわ。そしてそこにはお兄様がいる。伝えた通り、お兄様は龍血の継承そのものを排除しようとしているから、カイトはむしろ歓迎されるかもしれない。けれど、あの人とはきっと相容れないわ」
「リシィは、血の繋がりがある実の妹なんだよな……。本当に、命まで狙われるなんてことが……。二人の仲は……」
「仲はいいわよ」
「え……?」
「そう装い、けれどこちらが何もできないお飾りだと思ってやりたい放題なの。……そうね、だから私はいつしか笑うこともできなくなってしまった。お兄様だけでない、この国の在り方そのものを変えなければならないわ」
「リシィ……」
「姫さま……」
私たちは話しながら足早に玉座を目指す。
「ひっ、姫殿下! おお帰りになられたとは、これほどの長い間どこへお出でになられていたのですか! このデュリシャウス、待ち侘びておりましたぞ!」
そんな私たちのもとに、騒ぎを聞きつけた大臣が幾人か集まってきた。
声をかけてきたのは、元老院主幹大議員の一人レーダス デュリシャウス太閤。
縦に大きく横にも広い大柄な体型を揺らし、服に装飾されたいくつもの重い装飾品をジャラジャラと鳴らしながら、すでに息を切らせあとをついてくる。
「デュリシャウス、世辞はいいわ。状況をどこまで理解しているの?」
「ふぅ、ふぅ……吾輩はアラドラム将軍が戻ったと聞き、たった今馳せ参じたばかり……。ふぅ、はぁ、先ほどの地震と物見の報告から、ただ事でないとしか……」
「このままではこの国が滅びるわ」
「姫殿下!? 何故にそのような!?」
デュリシャウスは吹き出す汗をハンカチで拭いながらさらに息を荒くし、ほんの数メートルしか進んでいないにもかかわらず遅れ始めた。
彼は一見すると私を慮るようだけれど、その実はお兄様側の一人。
彼の体は、ありとあらゆる肉を貪り続けた我欲の成れ果て。軽い運動で悲鳴を上げているにもかかわらず、今も私の体を値踏みするような視線を向けてくる。
本当に変わらないわね……あの頃と何もかも……。
「ヴォルドールがお兄様に直訴しているでしょうけれど、あなたはすぐに元老院を集め、
持てるすべての戦力をフザンに向かわせなさい」
「ふぅっ、ふぅっ、何をおっしゃって……そのようなことを突然に申されましても……。お、おまえはテュルケか? ほう、これはまた見事に育ったものよ……」
この状況で、デュリシャウスの値踏みが今度はテュルケに向いた。
「ひぅっ……」
けれど、すぐにその視線を遮ってカイトが歩み出る。
「主の命だ。見たところ偉そうだから、その力を国のためにお役立てください」
「ふぅ? なんだ貴様は……竜角もない外の愚物が、吾輩に意見するなぞ……」
「デュリシャウス、彼は私がじかに叙任したただ一人の近衛騎士よ。あなたといえども、彼を侮辱することは私を侮辱することと同義。覚悟しなさい」
「なんたる……!? このような外の者をだと……!?」
おかしな話だわ。その外の者を迎え入れ、龍血を継承する宿命から解き放とうとする側の人間が、どうして見下すような物言いなのかしら。
私は怒りで震えそうになる気持ちを抑え、できるだけ冷静に対応する。
「カイトに竜角はないけれど、彼の体には神龍グランディータの龍血が受け継がれているわ。決して、あなたごときがどうこうできる存在ではない」
「なっ……!? バカな……こんな小僧が……!?」
正直な気持ち、私は自身にも怒りを感じて気持ちが悪い。
他者を見下すデュリシャウスに怒りを感じ、それなのに彼と同様の見下すような物言いをして、自分自身が信じられなくなりそうなの……。
この場所は人の心をどこまでも汚す……そんな場所にカイトを……。
「もういいわ、玉座の間に着いてしまったから。デュリシャウス、私は国を出て長い旅を続け、もう以前の何もできなかった頃とは違う。“龍血の姫”として、この国の姫王リシィティアレルナ ルン テレイーズとして、誰にもいいようにはさせない」
「なんたる……なんたる……なんたることか……!」
「お兄様との謁見よ。あなたも立ち会いなさい、デュリシャウス太閤」
「ぬぅっ……!」
私たちは長く続いた主廊を抜け、デュリシャウスを筆頭に徐々に増える大臣たちを従え、玉座の間を閉じる大扉の前までだとり着いた。
人知れず隠れ潜みこの国の裏に蔓延する醜さと愚かさ……それをこれから、黒泥と一緒に洗い流さなければならない……。
心が震えてしまう……けれど、私には彼がいる。
彼だけでなく、私を支えてくれる皆が確かに傍にいてくれる。
カイト……カイト……お願い、私の愛おしい男性……ずっと傍で、私を……。
◆◆◆
そうして、僕たちはリシィのあとを追って玉座の間に踏み入った。
正直なところ気分はよろしくない。
進む途中で現れた、デ……デリシャス太閤?はリシィだけでなくテュルケやアシュリンにまで下卑た視線を向け、挙げ句の果てに舌なめずりまでするもんだから、思わず食ってかかりそうになってしまったんだ。
だけど、リシィが拳を握り締め耐えていたから、僕はできるだけ穏便な言葉で彼の視線を遮るだけにした。
微妙に敵意が混じってしまったのは、この場合しかたない。
「くっくっ、本当に帰ったのか、我が愛しの妹君よ。相変わらずの麗しきご尊顔、何事もなく再び相見え嬉しく思うぞ、俺は。くっくっくっ」
そいつの第一印象は、“ぶっ飛ばしたい”……だ。
なるほど、リシィが毛嫌いして帰りたくない理由がよくわかった。
こんな場所にいては、笑顔を失ってしまうこともよく身に沁みてわかった。
やたらと豪奢な廊下を進み、たどり着いた玉座の間はさらに華美た印象だ。
白と黄金の配色はリシィと同じ高潔さを感じるからまだいい。大扉から玉座まで続く真っ赤な絨毯も、ふかふかで踏んでいるだけでも幸せな気持ちにはなる。
内部の広さは、入口から玉座まで百メートルはあり天井までも同じくらいあるだろうか、脇には近衛騎士たちと太い柱が立ち並び、ここにも通ってきた廊下にも過剰なほどの精緻な装飾が施されていた。
装飾、彫刻のほとんどは神龍に関するもので、正直に感想を述べると、和洋並びに中華デザインまでが織り交ぜられた非常に落ち着かない空間だ。
そしてその最奥の玉座には、肘掛けで頬杖をつき座部にまで品なく足をかけ、体勢悪く踏ん反り返っている一人の男性がいた。
「他は男とメイドが二人、それとなんだ、珍妙な鎧を着込んだ騎士かそれは? いつの間に大道芸人になったのだ我が愛しの妹君よ。せっかく俺の城に帰ったんだ、旅の間に覚えた芸のひとつでも見せてはくれまいか。くっくっくっ」
「あいつ、ぶっ飛ばしてもいいよな……」
「カイトしゃん、ダメなのよ。同意したいけど」
僕たちが玉座まで進む間も、そのお兄様とやらは声をかけてくる。
周囲では臣下や騎士たちがこちらに冷ややかな視線を向け、要するにこの場所にいる者は、皆があの王を自称する男の配下だということだ。
それでも、リシィが高潔なままであろうとするのなら、彼女の騎士である僕もまた主の意向に沿う立ち居振る舞いをしなければならない。
「お兄様、お久しぶりです。ただいま戻りました」
リシィは跪くアラドラム将軍の横に並び立ち、簡潔に挨拶だけをした。
その背後でテュルケが跪いたのに倣い、僕もアサギもアシュリンもひとまず跪く。
「なんだ、ずいぶんとおもしろくない顔だ。不平不満があるのなら、このお兄様が我が愛しの妹君の願いを聞いてやろう。おっと、愚物どもに名乗る名なぞ持たぬが、我が愛しの妹君の手前だ心して聞くがよい」
偽りの王は軽薄に笑い、やはり軽薄な『我が愛しの妹君』を繰り返し言う。
「俺がこの国の王、ラドリュウム ロン テレイーズなるぞ。敬うことを許す」