幕間十六 樹海の英雄たち
――神代遺構【封牢結界】の西五キロ地点、迎撃陣地。
時刻はカイトたちがフザンに移動したあと、【黒泥の龍皇】が現出する前。
封牢結界落下の被害を受けた樹海の町カライデでは、復興活動に従事していた多くの竜騎士、探索者たちが墓守の襲来に備え迎撃態勢を整えていた。
そしてここには、カイトも知るとあるパーティが一組。
「お姫さまの代わりによく似たちっさいのがいたけど、間違いなくカイっちたちナ!」
「ふむ、彼らは巻き込まれるからね。トゥーチャが見て間違いないのであれば、小さくとも姫殿下なのだろう。ルテリアからの道中でもいろいろとあったようだ」
「ぽむぽむうさぎまで連れて相変わらずナ! くしし!」
“樹塔の英雄”セオリム アーデライン、そしてトゥーチャ アーヴァンク。
彼らは来たる厄災を予見し、ルテリアで昏睡状態にあったカイトの代わりに、封牢結界《流星》が落ちたこの地の復興支援に訪れていた。
「なんにしても、カイトくんは無事に目を覚ましたようで何よりだ」
「顔を出さなくてもいいのかナ? セオっち、旅の最中も気にしすぎだったナ」
「竜騎士隊の限られた戦力でフザンに防衛線を敷き、テレイーズの王都だけでも死守するつもりなのだろう。だが、それでは墓守の拡散を許してしまう。カイトくんのことだから、苦渋の決断をしながらも最善の道を選ぼうとしているんだ」
「なればこそ、我々は彼の懸念を取り除こうではないか。ってか?」
巨木に囲まれた森の中、切り株に座り封牢結界がある方角に体を向けた彼らの背後から、さらに別の人物がセオリムの続く言葉を告げながらやってきた。
レッテ マリュード、彼女の背後にはダルガンとブレンも続く。
「はは、こちら側には被災者を退避させた町村もあるからね。我々で止められるのならそれに越したことはない」
「さ……だ」
「ほっほっ、『最後の馬車は出た。これでカライデはもぬけの殻だ』と言うておるわい」
「カイトたちが来た途端にこれだ、本当に飽きないぜ。そうこなくっちゃな!」
「やれやれ、被害が出ている以上その物言いは不謹慎だが、今はエウロヴェと対峙した時以上の嫌な空気に満たされている。我々も精々奮闘しよう」
「くしし! どうにかするナ!」
「おうよ! いいところを見せてやろうぜ!」
「ま……ろ」
「緑豊かな地をやすやすと蹂躙はさせんわな、ほっほっ」
周辺では竜騎士隊が来たる脅威に備え、協力を良しとした探索者たちは一時の休憩時間にそれぞれ腹ごしらえをしている。
迎撃陣地といえども、その実態は大木の合間に馬防柵を置かれただけの臨時拠点で、墓守に対してはまるで意味をなさないものだろう。
そんな中で一際注目を集めているのが、やはり“樹塔の英雄”たる彼らだ。
「それにしても、この状況はかつてを思い出してしまうよ」
「ドレスデンの騎兵三万を追い払った時ナ。あの時もこんな森の中でこっちは少数で大変だったのナ」
「それな! あの時はあたしも若かったから、ブレン様様だったぜ!」
「お嬢はやんちゃがすぎるからのう。残された左腕まで食われるでないぞ」
「それを言われると弱い……。まあこのパイルバンカーの右腕は使いやすいぜ?」
「お……ろ」
「ほっほっ、『俺を盾にすることを覚えろ』と言うておるわい」
「それなぁ……」
今この迎撃陣地には、竜騎士隊を含めても人員が三百余名しかいない。
探索者の多くは護衛する被災者と共に退避し、封牢結界の物理的封鎖が墓守の侵攻をわずかばかり凌いだとしても、対するにはあまりにも数が少ない。
伝わる黒泥の情報、そして黒泥から無尽蔵に湧き出る墓守。この場に残ったのが、立ち向かう気概を持った精鋭中の精鋭だったとしても震えを隠し通せず、そんな状況での“樹塔の英雄”たちの軽口は誰の目にも頼もしく見えていた。
「ふむ、突貫工事にしてはだいぶ持ったが……これまでのようだ」
――ドンッ……ゴギイイィィンッ!
大龍穴湖から西に五キロ、周囲は大木がひしめき遠くを見通せないものの、甲高く鳴り響いた破砕音が出入口を溶接された封牢結界が破られたことを伝えた。
それと同時に、カーンカーンと打ち鳴らされる警鐘が暗く深い樹海に木霊する。
「今はもう恐れはない。なぜならば、守るべきが傍にあるのなら臆す心こそを飲み込み立ち向かえと、私は彼に教えられたのだから」
「くしし! セオっちは本当にカイっちが大好きナ!
「せめて尊敬か敬愛と言ってくれないかい、誤解されるだろう」
「あたしは食っちまいたいくらいだけどな」
「ははは、そんなことをすれば殿下の怒りを買ってしまうよ」
「そ、それなぁ……」
騎士たちが、探索者たちが、武器を手に立ち上がる。
樹海の湖側からは地響きが伝わり、これまで封じ込められていた墓守が、怒涛の勢いで封牢結界の外にまであふれ出したことを彼らに知らせていた。
そして、かつて臆した英雄が今は誰よりも先陣を切り携えた宝剣を抜き放つ。
「誇り高き騎士よ! 勇猛なる探索者よ! これより西は何者であろうと通さぬ気概で挑め! かつて神をも退けた英雄が矛を掲げるのならば、恐れるにあたわず! この地に残りし意志と共に一陣滅殺の剣を掲げよ!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」
人は誰もがその心根しだいで“英雄”となれる可能性を秘める。
それは、誰よりも力を持たなかった来訪者の青年が、世界の崩壊を覆したことで人々の希望となったように、今もまた彼らの心に熱い火を灯した。
「さあ、今度ばかりは私が先陣だ、カイトくん! 絶技【火守の戴嵐】!!」
篝火が燃え上がり炎は螺旋となり、樹海に目映い緑の閃光が駆け抜ける。
狙うは、大木をへし折りながら怒涛の勢いで迫る一角を持つ恐竜型墓守。
閃光は角と交差し、【イージスの盾】も硬い装甲も物ともせずに眉間を貫いた。
「ぬるい! その程度でここを抜けると思うな!」
だが、墓守は一体を討滅したところで次々と大木の合間より現れる。
その種類もさまざまで、小型のヴェロキラプトルやサーベルタイガー、さらにはマンモス、ブラキオサウルス、ティラノサウルスなどの大型まであまりにも多様。
「全隊、樹塔の英雄に続けええええっ!!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」
迎撃陣地の雄叫びは怯えを見せずに墓守の群れに殺到したものの、だが彼らは知らされていながら、その本来の相手“黒泥”に対しては無知だった。
――ズズンッ! ドオオォォオオオオォォォォォォォォォォォォォォッ!!
「こ、これは……!?」
「ナッ!? この揺れはなんナナナッ!?」
「うおおっ!? 衝撃が来るぞ!!」
「ぬっ……!!」
「やれやれ、落ち着かぬわい……ひょうっ!!」
突如として訪れた激震の中で動けた者は極わずか。
それも、墓守と近接する間近では大地の揺れにより崩された体勢が仇となり、そのまま轢き潰されてしまう者も現れてしまった。
セオリムたちとその近傍にいた者は、根を張ったブレンの“見えざる樹海”で守られるも、激震のうちに一瞬で三分の一が戦闘不能にまで追いやられる。
そして……。
――ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ!!
「なん……だと……。これが情報にあった“黒泥”……否!!」
【黒泥の龍皇】――彼らはもっとも近くでその巨体を見上げ、一度は奮い立った心はその恐るべき畏怖の象徴にあっさりと飲み込まれてしまった。
「まだだ、まだ終わらせはしない! 一人でも多く救助を、立て直せ!!」
このまま混戦が拡大すれば、ただでさえ少ない迎撃陣地の人員は減るばかり。
如何な英雄といえども、今のまるで足りない戦力と備えでは、人の概念ですらも超越する相手に対しどれだけ士気を押し上げようとも壊滅は免れないだろう。
「ふんっ……!!」
――ズンッ!! ゴギィイイィィィィィィィィィィッ!!
混乱の最中、襲いくる三角竜の突進をダルガンが大盾で受け止めた。
だがその一撃で大盾は拉げ、龍鎧の隙間からは血飛沫が噴き出してしまう。
「くっ、貫け! 絶技【火守の戴嵐】!!」
黒い濁流となった墓守の群れの合間を、今再び緑の閃光が横切る。
――人々はわずかな時間で敗北を悟った。
隣人を助ける者、逃げ惑うだけの者、なおも立ち向かう者、命を失う者。
人が戦意を喪失してなお暴威は留まることなく、絶望は死の間際まで心を蝕む。
そうして、かつて見た夢は黒く塗り潰され、敗者は己の諦観で大地に根を張った。
英雄であれ、人である以上は不条理に抗うこともできず――
その時、目映い黄金色の光が暗いばかりの闇夜を明るく照らす。
「セオっち、あの光……!」
「ああ、間違いない……」
深い深い樹海の中で、その光が見えたのは奇跡だった。
墓守の群れに大木が薙ぎ倒されたことで、わずかに遠くを望めたから。
幻想的でさえある光景、目映い黄金の光はいっそう濃くなる闇心をも打ち消す。
「やはり、君か……。どこまでも人の未来を照らし出すのは、やはり!」
「はっ、そうでなくっちゃな! あたしもたぎってきたぜ!」
「くしし! 『なればこそ』ってやつナ!」
「ああ、その通りだ……!」
「なればこそ、かつて恐れを抱いた英雄が真の英雄の守りとならんことを!」