第三十三話 日本料理屋『鳳翔』にて
結局、アディーテを放って置けないと、一緒に連れて行くこととなった。
僕がおぶって。
「ごめんなさい、カイトさん。やはり私が背負って……」
「大丈夫、そんな気にすることはないよ。ほら、僕は頑丈だし」
「あうー、ありがとうございますです。今度は気を付けますですぅ……」
『あうー』って、テュルケがアディーテみたいになっているけど、既に僕が怪我することが確定事項になっているね……。と言っても、否定出来ない辺りが悲しい。
「アディーテさん、大丈夫ですか? いつから食事をしていないのですか?」
サクラが僕の背のアディーテに話を聞く。
アディーテは力なく全身を預けていて、色々と柔らかくて役得とは思うけど……隣を歩くリシィの視線が何だか痛い。
「アウゥ……一、二、三、六、九、五、三、七……アウ? わからない」
……数えが滅茶苦茶な上に『わからない』とは、もうダメかも知れないね。
唯一の救いは、以前と違ってしっかりと服を着ていることだろう。
最初に出会った時はパーカーだけだったけど、今日はその下にビスチェのようなものを着ていて、ブカブカのブーツも履いている。
懸念があるとしたら、やはり下半身がパーカーの下で見えないことか。
この娘なら、何も履いていないことも充分にあり得ると思いつつも、せめて水着くらいは……と心より願う。だ、断じて見たいわけじゃない。
相変わらず肌が艶々としていて、彼女の生脚を支える両腕の感触がひんやりと気持ち良いけど、それを顔に出したら確実に死ぬ。
何故なら、リシィの真っ青な瞳と物言わない無言の圧力が、彼女の背後に冷気を纏った龍の幻覚を僕に見せるからだ。
な、何だろう……何もしていないよ……?
「アディーテさん、今から食事ですから、それまでは頑張ってくださいね」
「アウー! ご飯ー! 美味しい行くー!!」
「アディーテ!? 僕の上で暴れるな!」
「アウ? カトーだ」
今頃気が付いたのか。しかも、手をブンブンと振り回して元気じゃないか。
相変わらずの『カトー』だけど、『イトー』にはならなくて良かった。いや、良くない。
「僕は『カイト』だよ、アディーテ」
「アウー? 何がー?」
ダメだこれは。
―――
“日本料理屋『鳳翔』”――この世界の文字と、日本語が混在した看板を僕は見上げている。
宿処から歩きで二十分ほどの距離に、その格式の高そうな和風店舗はあった。
石造りの洋風建造物に囲まれて、そこだけぽっかりと和の情緒が居座っているのだから、流石にこれは違和感を感じてしまう。だけど、周りを見ないのであれば、この馴染んだ外観は郷愁の念を抱くには充分で、まさか瓦屋根に感動する日がくるとは思ってもいなかった。
「カイトさん、こちらが日本料理屋の『鳳翔』です」
「おお、ここが日本と言われても信じるよ」
「へぇ……どこか暖かみを感じるのに、静謐さも同時にある不思議な趣だわ……。これが日本の建物なのね」
「はわわぁ~」
「グー」
テュルケが目を輝かせて見上げているのに対して、アディーテは寝ている。
今ではもう、懐かしささえ感じてしまう引き戸を開けて中に入ると、店内はこれ以上ないほどの日本の老舗料亭だった。
昼時とあってか、テーブル席はルテリアの住人で埋まっているけど、それさえもスパイスとなって“日本然”を演出している。懐かしい日本家屋の暖かみ、障子や畳まであり、家具も全てが木材。何てことはない暖簾さえも、只々懐かしい。
うーん……じんわりと泣けてきた。
「あらあら、あらあらあら、貴方が久坂 灰人さん? ようこそおこしやす~。いえ別に私は京都生まれじゃないの、雰囲気作りよ雰囲気作り。うふふふふふふ」
……ほわっ!? な、何か凄い人が来た。
纏め上げた黒髪に、浅葱色の着物をきちんと着こなした女性。
垂れた目尻が優しげで、第一印象を上げるなら、そう“お母さん”だ。
「あらあら、いやだ、ごめんなさい。私は早川 雪子、貴方と同じ日本からの来訪者よ。よろしくね、カイトくん」
「えっ……あっ、よろしくお願いします! 久坂 灰人です!」
リシィとテュルケも思い思いに挨拶をするけど、その度に彼女は『あらまあ可愛い』と撫でくり回すものだから、二人とも赤面して圧倒されてしまっている。
流石にいつまでも続きそうなので、サクラが止めに入った。
「あ、あの、ユキコさん、そろそろ約束の時間を過ぎていて……」
「あらあら、ごめんなさい。可愛い娘を見ると見境がなくって、つい。アケノちゃんには私から言っておくから大丈夫よ」
ユキコさんがペロリと舌を出した。お茶目かっ……!
いや、緊張は解けたけど、異世界に来てまで自分を保って自由に生きているって凄いな。何だか、無駄に尊敬してしまった。
「あら、カイトくん……その背中の娘も可愛いのね」
やばいっ、逃げろっ!
ユキコさんから逃げて、サクラに『ニティカ』と呼ばれた女給さんに奥の座敷まで案内された。
ニティカさんは、サクラと同じくケモミミ大正メイドさんだ。
背中まで伸びた濃いめのショコラブラウンの髪色がサクラと被り、大きく尖った獣耳と大きな尻尾、和服にフリルのついたエプロンを着ている。サクラと雰囲気も良く似ているから、血縁なのかも知れない。
廊下から座敷に入ると、室内には既に一人の女性が座っていた。
女性は、地球で見るものとそう変わりない黒のスーツを着て、緩くカールした肩まで伸びる黒髪が、少しきつそうな面立ちには良く似合っている。
この世界では来訪者以外に存在しないと言う黒眼黒髪で、第一印象としてはその辺にいるお姉さんと言ったところだ。
「君が久坂 灰人くんね」
女性が立ち上がる。タイトスカートの足元はタイツで、この世界の縫製技術が気になるけど、今は気にすることでもないだろう。
彼女は入口で立ったままになっていた僕に近づいて、自己紹介を始めた。
「私は、朱乃。このルテリアでは一応行政府に勤める補佐官みたいだけど、色々と手広くやってるよ。数少ない日本人同士、仲良くしてね」
「はい、今日はお招きありがとうございます。僕は、久坂 灰人です」
「ブッブー、硬い硬い。別に取って食べたりしないから、リラックスよリラックスゥ~」
やっぱり近所のお姉さんだ。
「それにしても、両手に花どころか四面楚歌ね。お姉さん妬けちゃうっ」
「あ、あの、それは敵だらけで孤立無援の状態を言うのでは……」
「違うの?」
言い得て妙だけど、必ずしも『違う』と言い切れない辺りが何とも悔しい。
僕が困っていると、アケノさんは声に出さず口の動きだけで、『違うの? ねえ違うの?』とパクパクして詰め寄ってきた。
誰だ、この人を異世界に放り込んだのは……。
手に負えないからって、この世界の人を困らせたらダメじゃないか。
「ねえ、カイトく……」
「お世話になっている皆を紹介します!」
――《スルースキル LVMAX》発動!
会話のキャッチボールを早々に放棄して後ろを振り向くと、リシィたちは突然会話の矛先が向いたことで慌てた様子だ。
こんな扱いに困る人の相手はさせたくないけど、紹介もしないで放置も出来ない。
「あ、えと、私の名はリシィティアレルナ ルン テレイーズよ。本日はお招きに感謝するわ」
この人を前にして、流石は僕らの姫さまだ。
最初こそ少し慌てていたけど、久々にその恭しいお辞儀を見た。
堂に入った様は、横で見ている分には感嘆するしかない。
アケノさんは本物の権威にでも弱いのか、リシィを前に腰が引けている。
「あのあの、私は、お嬢さまの従者のテュルケ ライウェッ……痛いっ!」
あっ、噛んだ……。
テュルケはかつての誰かを彷彿とさせるほどに、舌を噛んだ。
大きな涙の粒を目尻に溜め、ぷるぷると全身を震わせている様が、まるで小動物のようで庇護欲が湧いてきてしまう。
「うぅ……ごべんなしゃい……。テュルケ ライェントリトでしゅ。お招きあいがとうございましゅでしゅ」
テュルケは頑張って自己紹介を続け、最後にペコリと頭を下げた。
良し、可愛いぞ……! グッジョブだ! 問題はない!
「カ~ワ~イ~イ~! お姉さん、この娘お持ち帰りして良~い?」
やばい、この人うざい人だ! 気が付いていたけど!
一応は行政府に勤めていて、これでも大丈夫なのだろうか?
だけど、アケノさんはサクラと目が合った途端に慌て始めた。おや?
「あっ、あははっ、とりあえず立ってないで座って座って。あれ、サクラもいたのね。やめてそんなに睨まないで、ほんと冗談が通じないんだから~」
あー……サクラが天敵な類の人か。
とりあえず、一向に起きないアディーテを隅に寝かせておく。
いつの間にか緊張はなくなり、このためにおふざけをしてくれたとなると、やはりアケノさんは心遣いの出来る大人の女性なのかも知れない。
少し好印……
「さあ、真っ昼間っから飲んじゃうぞ~!」
……象を感じたかどうかは保留にしておこう。