第七十九話 幼女憤慨
暗闇の中、周りをランタンの明かりで囲われ、ここはまるで地下闘技場だ。
対峙するアラドラム将軍は、こちらがいくら緻密に策を練ろうと、剣の一本で戦術も戦略もねじ伏せてしまうような鬼神の類に他ならない。
勝てるはずもない、だけど決して負けることも許されない。
「カイト! ヴォルドール! やめて! なぜ二人が争うの!?」
リシィの手前、将軍の躊躇を引き出せるかと思ったけど、そんなことはなかった。
彼女がいくら止めようとしても、彼はますます僕を睨むばかりでその剣先は常にこちらを本気で斬ろうとしている。
固有能力の詳細はリシィでさえ知らなかったけど、その全身が放つ威圧感そのものが“重力”を操る能力だと思ってしまうほどに、ただただ重いばかり。
思い知らされる、僕は神器がなければどれほど矮小な存在なのかを。
「はっ、ははっ……」
「何ゆえに笑う」
「いえ、あなたには勝てそうもない。だけど、エウロヴェのほうがよほど脅威だった」
「エウロヴェ、神龍でありながら人の滅亡を図りし邪龍と聞く。そして、迷宮探索拠点都市ルテリアには神滅を成した英雄がいたとも。おまえがそうか」
「本来ならリシィを抱えてでも逃げるべきだった。あなたの言う通り、主をむざむざ窮地に誘うのは騎士として失格だ」
「そんなことはないわ! エウロヴェがねらっていたのはわたしと龍血なの! カイトはずっと支えてくれた、誰にもできないことを成し遂げてくれたのよ!」
「来るな!」
リシィが声を上げる傍らで、サクラとノウェムが近づこうとしたから止めた。
協力したところで勝てる相手ではないのは、実際に対峙してみてよくわかる。
一筋の光明へと導くには、どうしたところで僕自身の剣で向き合うしかないんだ。
「……」
アラドラム将軍は、説得を試みるリシィの言葉にも何ひとつ返さない。
巌の面差しをよりいっそう厳しくし、次の瞬間には僕の右肩口に剣先があった。
「くっ!?」
――ギキィンッ!!
咄嗟に右腕を跳ね上げて神器で防ぐも、ぐるりと僕の体の外に回り込んだ将軍の剣が、まさか僕自身の右腕で遮られ視界から忽然と消えた。
――ヒュッ!
そして将軍の剣は、神器の腕を沿うようにして下方から僕の首を斬り裂く。
「浅い」
咄嗟に距離を取ってしまった。
僕は防御ではなく回避を選択し、首を逸らしたことで表皮を斬られただけで済んだけど、後退ったことでせっかく詰めた間合いが空いてしまった。
神器の次は躊躇なく首を狙うなんて……。
彼にとって僕はただの邪魔者、リシィがいくら“是”と肯定しようとも、自らの信念が“否”と告げるのなら彼は殉ずることすら厭わないのだろう。
「人の体勢まで利用する剣技だなんて……」
「目と勘はいいようだが、姫殿下の御前におまえの居場所はない」
「そうして、龍血の継承のためだけにリシィを利用するのか」
「そうだ、我々はそのためだけに存在する」
「あなたは硬すぎだ……全身が放つ気迫と同様に、心までもが岩だ。神器を必要とする戦いは僕たちが終わらせた、世界を創り出すことさえできる神器はもう必要ないんだ。それでもあなたは、リシィにただの武器庫であれと強いるのか!」
「……そうだ」
自分自身の歯を強く噛み締める軋みが頭骨内に響いた。
そうして、これまで圧倒されていた精神は凪いだ海のように静まり、リシィを道具としか見ない彼に対する怒りが冷たい雪氷を心の内に降らせる。
「リシィが、あなたのことを『じいや』だと言っていた。僕はこうして対峙するまで、それなら説得できるかもと思っていた」
「……」
「だけど撤回する。あなたこそ不足だ、相応しくない。リシィを悲しませる者は、この僕が自らの信念をもってその頑な精神ごと跪かせる……!!」
僕は怒りを噛み締め床を蹴り、アラドラム将軍の背後に躍り出た。
「っ!?」
――ガィンッ!!
将軍は咄嗟に振り向きながら自分の背を狙った剣を手甲で弾くも、僕の人ならざる機動力に初めて目を見開き驚きの感情を露わにする。
「なんだ……それは……?」
大樹の闇き洞の底、暗闇を新たな色に染め上げたのは青き炎。
リシィが与えてくれた黄金に、今再びルコから受け継いだ“青炎”が灯る。
「知っているだろう。人が、星が宿す生命の輝き、神力の色だ」
空間に干渉し、時に次元の隔たりさえも超越する、無より漏れ出る光。
失ってなんかいない、これは最初から最後まで僕の心の内にあった青色だ。
そうして、僕はさらに将軍の右肩口を狙って剣を振るった。
――ヒュカッ!
「……これは!?」
虚を突いたことで、将軍は一動作が終わったあとでようやく気がついた。
僕が直前に見せられた、相手の体勢を利用した彼の剣技を使ったことに。
肩口を狙い、将軍が防御のために腕を上げたところで、僕は弾かれる前に相手の右腕が遮る死角に剣を滑り込ませ、同様に首を狙ったんだ。
「一度見た、次はない」
「おまえは……何者だ……!」
僕は答える前に続けざまに剣を振るった。
将軍は一撃目を避けるために状態を仰け反らせたまま、その体勢を戻す隙を突いて僕は手首の返しから彼の胴体を袈裟斬りにする。
――ギャリィィイイィィィィッガィンッ!!
だけどそうと見せかけただけで、実際は青炎の力で剣の切っ先だけを将軍の背後に空間跳躍させ、その硬い甲冑の背を斬った。
はらりと、両断された外套の半分が床に落ちる。
「言っただろう。僕は来訪者、そしてリシィのためにある“銀灰の騎士”。それ以上は必要ない、それ以下であることもない、僕は“剣”であり、“槍”であり、“盾”だ」
「如何に神器の力を与えられようと、来訪者ごときが……」
「あなたの敗因は、主ではなくその信念に跪いたことだ。心なき剣が、如何にして人の魂までを揺さぶることができるのか、僕はそんな無様な剣に決して屈しない!」
そして、僕は空いた左手で将軍の頬を思いきり殴った。
将軍は一歩二歩とよろめくも、目を見開いたままその場に留まる。
「バカ……な……」
「そこまでよ!」
僕が追撃を入れる前に、リシィが両手を広げて将軍との間に立ち塞がった。
その目には大粒の涙、暗闇にすすり泣く響きを残し、それでも力強く立っている。
瞳は黄金色に輝き、引き結んだ口と釣り上げた眉は酷く怒っているようだ。
「うっ、ひっくっ、これいじょうはっ、二人とも許さないんだからっ!」
「リシィ……」
「姫殿下、だが……」
「うるさいっ! うるさいっ! うるさいっ! これいじょう争うのならっ、わたしがっ、わたしたちが相手をするわっ!!」
周囲に意識を向けると、僕とアラドラム将軍はいつの間にか、サクラ、ノウェム、テュルケ、アサギ、ポムに取り囲まれていた。
「たとえ姫殿下であろうと、我らが……」
「頑固者ーーーーーーっ!!」
――バチーーーーンッ!!
「ぐふっ……!?」
将軍は反論しようと跪いたところでリシィに引っ叩かれた。
「リ、リシィ……」
「カイトもかがんでっ!」
「は、はいっ!」
――バチーンッ! バチーンッ! ドゴォッ!!
「あっ! ぐっ! 痛いっ!?」
「あうっ、うぅぅぅぅ……」
そしてリシィは僕の両頬を引っ叩き、終いには頭突きまでかましてくれた。
本人も痛かったようで、大粒の涙をこぼしながら額を押さえよろめいている。
「うぅ、うくっ……。ヴォルドール、ぐすっ……わたしたちは、わたしのからだを元の姿にもどすためと、あなたたちが争うこのテレイーズを平定するために戻ってきたの」
「しかし……」
「また引っ叩かれたいの!?」
「……」
「あなたたちがそうやって争うから心労が絶えなくてっ、それもわたしが国をとびだした理由の一端なのよっ!? わかっているのっ!?」
「しか……」
――バチーーーーンッ!!
「そこにっ! 正座をしなさいっ! あなたたちもっ!」
怒れる幼女に、僕を始めアラドラム将軍と残りの騎士四人、なぜかルシェまでもその場で正座をさせられた。
「龍血の継承がとても大切なのはわかっているわっ! エウロヴェを討滅し、その意味も半分はうすれてしまったけれど、このまま手をこまねいていてもそう遠くないうちに途切れてしまうのも事実なのっ! だからあなたたちは“純血派”と“革新派”にわかれて争っているのよねっ!」
「「「……」」」
「べ、別にカイトとすぐにどうこうなるわけでもないのっ! この奥に神龍テレイーズがいるのだから、今ばかりはあらゆる道理を曲げてでもわたしの言うことを聞いてっ! すぐに結論を出そうとするのはヴォルドールの悪い癖だわっ! だからクドクドクド……」
「「「…………」」」
「カイトだって、話し合いをするとか言っておきながらいきなり剣を向けて……。わっ、わたしの傍にいたいと願ってくれるのは、うっ、うれごにょごにょ……けれど、あなたならもう少しうまく立ち回れたでしょうっ! そんなだからいつもクドクドクドクド……」
「「「………………」」」
何かを言おうとするとすぐに平手打ちが飛んでくる。
周りでは皆も睨んでいるため、この状況で動ける胆力はない。
僕たちはただ、怒れる幼女が鎮まるのを正座して待つしかなかった……。