第七十八話 足りないのなら足らせるまで
ヴォルドール アラドラム将軍と騎士たちは許しが出ても長く頭を下げ続け、リシィが落ち着かなさそうにこちらを見る頃にようやく頭を上げた。
その眼光鋭い眼差しは、緩やかにリシィから僕たち全員も巡る。
「ルーシス アルドヴァリ副長、言い訳はあとで聞く」
「は……はっ! 申し訳ありません!」
アラドラム将軍に巌の言葉を向けられ、ルシェが勢いよく頭を下げた。
竜騎士隊副長としての責務を離れたことに対する責めか、報告を怠ったことによるものか、なんにしても責任の所在は彼女ではなく僕たちにこそある。
「ルシェに協力をたのんだのはわたしよ。彼女を責めないで」
「……御意」
当然リシィはかばうも、返答に間があったのは彼女の姿を気にしてのことだろう。
僕と出会い、【重積層迷宮都市ラトレイア】を旅し、海を横断している間に、リシィがテレイーズを離れてから三年以上もの年月が流れてしまっている。
久しぶりの再会を果たしたその主の姿が、どういうわけか幼女で、さらには竜角も折れ、知らない供まで連れている、と話さなければならないことは多い。
お互いに出方を伺い、だけど沈黙が場を支配する前に将軍は立ち上がった。
「姫殿下、その姿の理由もあとでお聞かせ願う。まずはこの地より出で、王城までのご帰還を精鋭に案内させよう」
「それはできないわ。わたしはみずからの意思でこの地に来たんだもの」
騎士として、気になることは後回しにまず主の身の安全を確保する。
何もおかしなことは言っていないけど、リシィはその言葉を遮って告げた。
「ヴォルドール、ここには神龍テレイーズが封じられているの。かのじょを救い出すために、あなたと竜騎士隊の力を貸して。おねがい」
その言葉を聞き、さしもの将軍も眉間の皺を深めて少しの困惑を滲ませる。
「何を知っているのかお聞かせ願いたいが……まずは、先ほどから姫殿下のお傍に控えるおまえは何者だ。その近衛騎士剣の意味を知るのであれば答えよ」
アラドラム将軍はリシィの傍らに立つ僕を睨み、何者かと問う。
この人は何もかもが“巌”だ、その視線でさえも。
迂闊なことを言えば存在そのものから粉砕される、そんな危機感を抱いてしまうような威圧を受け、それでも僕はその問いに対し実直に答えるしかない。
本物の騎士を目の前に、僕はまだ“真”にはなれないのかもしれないけど、生まれ持った侍魂だけは引けを取るつもりはないから。
「僕はリシィの騎士です。彼女を守り、共にここまで歩いてきました」
巌の眼差しは見定めるように僕の全身を巡る。
「その右腕、右脚……神器か。それ以外に特徴なき姿は話に聞きし“来訪者”。過ぎた年月の間に何があったかは存じ上げぬが、並び立つには竜角なきおまえでは不足。悪いことは言わん、剣と神器を返上し早々にこの場より立ち去れ」
「ヴォルドール! カイトはわたしが自分自身でえらんだ騎士なの! いくらあなたでも彼をかってに解任することはゆるさないわ!」
『去れ』との言葉にすぐリシィが異を唱えるも、ズシリと一歩を踏み出した将軍に僕たちは体が固まってしまった。
何もかもが重い……この人を説得するなんて考えは甘かったか……。
そして、彼がさらに一歩を踏み出そうとしたところで、赤々と燃える炎と翠光に輝く翼が暗闇を広く照らす光を放った。
「たとえテレイーズの竜騎士将軍だろうと、カイトさんを排除しようとするのなら、私が先にお相手します」
「セーラムたる我が主様に対する非礼、詫びるのならば今のうちぞ」
「……」
サクラとノウェムが前に出て僕をかばい立てるも、それでもアラドラム将軍は眉根をピクリとも動かさずにそのまま一歩を進んだ。
ダメだ、サクラとノウェムでも……いや、僕たち全員で彼に対したところで、この人には力押しで勝てる気がしない……。
「にゃ……」
「……面倒、撃つ」
「アサギ、撃つな! ポムも手出し無用だ!」
だけど、だからこそだ。
この男を納得させなければ、リシィが望むテレイーズの平定はない。
僕自身が今ここで全身全霊を尽くさなければ、共にある未来は訪れない。
ベルク師匠に師事し、セオリムさんからも学んだ。
なればこそ、僕はリシィに捧げたこの剣ひとつで言葉を語る。
それでこそ龍血の姫の“銀灰の騎士、久坂 灰人だ。
「リシィ、これを預かっていて」
「え……? カ、カイト……!?」
僕はベルトからハンドガンと高周波振動短剣を外し、リシィに渡した
渡したというよりも押しつけた形になったので、前に踏み出した僕とは逆に、筋力も衰えているリシィはその重量でフラフラと後退る。
「まっ、待ってカイ……」
「ヴォルドール アラドラム将軍、僕と勝負をしてください」
「……」
「あなたを納得させるにはこの方法しか思いつかない。いや、これでも説得は無理だと僕に向けられた威圧が告げている。それでも、言葉で足りないのなら全身全霊を尽くし、すべてを打ち砕かれようとも立ち続け、足らせてみせる」
「カイトさん!?」
「主様!?」
そうして、僕は騎士剣を抜いた。
「みんなも手出しは無用だ」
「……こちらに受ける道理があるとでも?」
「ないですね。ただ、どうしたところで誰も納得しないのなら、あとは意地の張り合いしかない。将軍、リシィと並び立ちたいと願う、僕の意地は容易くない」
僕の言葉を受け将軍は返答せず、それでも同じ近衛騎士の長剣を抜いた。
これは騎士として男としての意地のぶつかり合い、一歩も引くことは許されない。
「いいだろう、その流儀に倣い相手をする。だが、姫殿下に選ばれたとて容赦なく、自らの愚行で命を投げ出したと思え。俺はヴォルドール アラドラム、おまえが最後に聞く名だ」
「カイト……ヴォルドール……二人とも、や……やめて……」
「リシィと共に生きる道を選ぶことの何が愚行か。退かず、屈さず、この身ひとつを剣に変え、凝り固まった如何な信念だろうと覆してみせる」
「や、やめ……」
「日出ずる国より訪れし侍、ここに推して参る!」
僕は口上を告げると同時に、アラドラム将軍に向かって地面を蹴った。
強敵に対し、向かい合っては隙もなく膠着状態に陥るのは自明の理。
その戦闘に移行する一瞬の心理的間隙を突き、初動の接近距離をできるだけ縮めるためにまずは懐に飛び込んだんだ。
来訪者だと思って神器による膂力を甘く見たのか、それとも剣で受けるまでもないと判断したのか、将軍は僕の突いた剣を左手の手甲で払う。
誰もが止められなかった一合、だけどこれは大きな一瞬となった。
「甘く見たか」
「これからが本番、そうだろう?」
間近で見上げる僕に対し、将軍は見下ろしてくる。
身長は二メートルを超え、厳つい面差しと黒鋼の全身鎧は、近づいたところでよりいっそうの“巌”の様を感じた。交差する視線はただひたすらに重い。
そんな相手に対し僕の一撃は届き、彼の頬に一筋の血の痕を残したんだ。
だけど、このあとはどうすればいいのか。
騎士剣は特別な意味が込められたものではあるけど、あくまでも通常武器で全身鎧を斬るほどの鋭さはない。
神器の右腕を全力で薙げばなせるかもしれないけど……わかっている、これは思い上がり。おそらくはそれすらも許されないだろうから。
僕は【星宿の炉皇】も使わずに、剣の一本だけで伝えなければならないんだ。
「ふっ……!」
――キィンッ!
アラドラム将軍が下げたままだった剣を呼気とともに斬り上げ、僕は咄嗟に一歩を引いて躱したものの、わずかに剣の軌道に残った右手首を浅く斬られてしまった。
神器でなかったら、今ので腕の一本を取られたのは間違いない。
「くっ、神器から狙ってくるか……!」
「おまえには過ぎた代物、返してもらおう」
下げたままだった剣を、手首を返しもせずに斬り上げたのが見えた。
腕を伸ばせば届いてしまう距離で、剣が初速から最速に達していたことまで。
最短の間合いで速度に乗る前の剣なら相殺できる可能性に懸けたけど、相手はただの人を凌駕する竜種で、それも竜騎士の中でも“最強”と名高い傑物。
これは、無謀だったと言わざるをえないな……。