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第七十七話 大樹洞 闇き底

 ◆◆◆




 リシィはここに来てからかなり不安定のようだ。


 勇ましく覚悟を告げた次の瞬間に表情を悲しげに歪ませ、かと思えば突然感情が抜け落ちてまた力強い表情を見せる。

 瞳の色も表情に伴っていないことが多く、明らかに本人の意思以外が感情に影響を及ぼしていることがわかる。


 近くに、この奥に影響を与える存在……神龍テレイーズが確実にいる。



 ――ギショ、ギショ、ギショ、ギショ、ギショ、ギショ……



「また繭を運んでいますね……」

「孵化する直前なんだろうな。墓守には妙な物言いだけど……」

「こちらを見おったが、敵対行動は取らぬのだな……」

「役割が決まっているのか、竜騎士隊の相手で手一杯なのか……」



 螺旋の根を下り、繭を運ぶ墓守とすれ違う。


 そんな変わらない光景はだいぶ長く続いたけど、周囲の大気は僕が見ても青白く煌めいていることから、上から覗き込んだ時に見えた青光の中には入っていた。

 ただ、それもほんの少しの間だ。神力の渦は膜のようにある一定の高さにしか存在しないようで、下り続けていると今度は薄まっていく。


 そう、ノウェムが言った通り、まるで闇に喰われている(・・・・・・・・)かのように……。



「今までキラキラだったのに今度はまっくらですぅ……」

「底が近いのか……。サクラ、ランタンに火をもらえる?」

「はい、ひとつでよろしいですか?」

「とりあえずはこれに」



 僕は腰にぶら下げていたランタンを掲げ、サクラに火を点けてもらった。


 大気中の神力が薄まり、それでも大樹の内壁を流れる青光がぼんやりと光る中で、ランタンの明かりだけが人が存在していい空間を現しているようだ。



「みんなは、神力を吸われるような影響はない?」


「今はまだ、体内の神力に干渉はないようですね。大丈夫です」

「我も問題ないぞ。ほれ、この通り能力の使用も可能だ」



 ノウェムはそう言って一瞬だけ光翼を展開した。


 ひとまず問題はないようだけど、リシィだけは先ほどから感情の抜け落ちた視線で、大樹の底の暗闇を茫洋と眺めて反応がない。


 どこかザナルオンの“死の虚”を連想してしまう大樹の洞。恐れを抱くには充分な不気味さがあり、かつて夢に見た、神々しくも金光に包まれるテレイーズがこの底にいるとなると、ここまで暗いのは非常にまずい状態なのではないだろうか……。


 それも半身が白骨化した状態で、本当に生きているのか……。



「リシィ、何かあったら言ってな」

「え、ええ……」




 ―――




 大樹洞に入ってからどれほど下ったのか。


 上に行くほど毛細血管のように広がっていた神力の流れは、今はもう所々に太い流れを残すのみでその数をだいぶ減らしている。

 洞自体も下に行くほど内径が広がっているようで、ほんの数メートルの視界の中でまっすぐの坂道を下りているようにしか思えなかった。


 すぐ脇の何も見通せない暗闇では、まるで人が哭いているかのような空洞音が絶えず反響していて、そんな中を僕たちは恐れを飲み込んで進んでいるんだ。



「姫さま、こ、怖くないです。私がちゃんとついてますです」

「ええ、わたしも手をはなさないでいるから、だいじょうぶよ」


「あ、主様、光翼で周囲を照らしてもよいか……?」

「まだ我慢して、体内の神力はできるだけ残しておいて欲しい」

「ぐぬぬ……」


「カイトさん、せめて私のランタンには火を点けますね」

「この暗闇ではしかたないな……。サクラ、頼む」

「はい」



 今は先頭を行くサクラがランタンに火を点けたことで、多少は視野が広まった。


 それでも明かりの外は青光の流れがあるところ以外は真っ暗で、見えるとしたら夜目が効くサクラ、テュルケ、ポムくらいと暗視ゴーグルを装備するアサギだ。


 ここまでただただ長い。懐中時計を確認するとすでに三時間は下っていて、旅慣れているとはいえ暗闇の中で精神が摩耗しているのは実感がある。



「にゃにゃぁ、にゃん」

「ああ、ポムは文明の光が平気なんだな?」



 ポムはランタンの火を見て『あかるい、うれしい』と言ったけど、これでも野生動物のはずだから、僕たちと旅をする間にすっかり文明の光にも慣れてしまったようだ。


 こんな暗闇に長くいれば大の大人だって気が滅入るし、テレイーズは少女の姿だと聞くから、余計に早く救い出したいと気ばかりが急いてしまうな……。


 果たして、この暗さで見つけ出すことができるのか……。



「カイトさん、根が途切れました。底のようです」

「ようやくか……」



 ――グニュ



「おわっ!?」



 サクラに続いて底に下りたところで、僕は足元の柔らかい感触に驚いてしまった。



「“肉”……? いや、ただの床だな……?」

「面妖な……。これもまた鋼鉄製に見えるが、人の体のように柔らかいぞ」

「ああ、この床も上と同じで有機物であり無機物でもあるんだろう……」



 大樹洞の底をランタンで照らすと、青灰色のタイル張りになっていた。

 未知の材質の見た目は鋼鉄、触れると人肌と、その歪な様はただおぞましい。


 そして、この床がどれほどの広さであるのかは、暗闇の中でわからない。



「人のにおい!? こんな近くまで気がつかないだなんて!?」


「……っ!? サクラ、方向だけでもわかるか!?」



 底にたどり着き周囲を確認する間もなく、サクラが声を荒げた。


 とはいえ、ランタンが照らす明かりの範囲以外は正真正銘の闇の中。


 ほんの少し立ち止まっただけで気が触れてしまいそうな場所で、一切の明かりを点けずに息を潜めることができる胆力を持つ相手なんて、一人しか思い当たらない。



「待っていたぞ」



 暗闇に響くその声音を、僕は“岩”だと思った。


 重低音の硬くも重い声とともに、少し離れた場所で明かりが点く。

 僕たちの到来とともに、四人の騎士たちがランタンに火を灯したんだ。


 そして、騎士たちの前で不動の立ち姿なのが、ヴォルドール アラドラム将軍。



「テュルケ ライェントリト、やはりおまえか」


「ふぇ……あの、あの……あぅ、私、その、は、はいです……」



 鬼気迫るとはこのことだ。彼から感じられる気迫は武人を通り越して鬼人、だけどその種を考えたら“竜人”と表現するのが適切か。


 その外見はあくまで人の面差しなものの、武人の形相に深く刻まれた皺は戦闘で受けた傷にも見え、刈り上げた短髪と顎全体を包む髭はすべてが真っ白。

 兜はどこにも見当たらないものの、立ち姿で筋骨隆々だとわかる肉体には、髪とは対象的な金細工で縁取りされた真っ黒な全身鎧フルプレートアーマーを纏っている。


 そして、耳の後ろからは太く雄々しい赤黒い竜角が闇さえ貫くように頭頂へと向かって生え、鬼神の有様でこちらを強く睨みつけてそこにいた。



「どこに行っていた」



 ズシリ……と、アラドラム将軍が一歩を踏み出す。


 これは、まずい……。これまで戦った墓守の比ではなく、ブレイフマンやジャゴでさえ大したこと(・・・・・)はなかった(・・・・・)と思わされてしまうほどの威圧感。


 僕は一瞬で背筋が凍え、全身が総毛立つほどに圧倒されてしまっている。



「ふ、ふぇ……あのあの、わた、私たちは……」



 答えを待たずに二歩目を踏み出したところで、だけど彼は止まった。

 怯えるテュルケを庇い、この場には相応しくない幼女が立ち塞がったからだ。



「あまりテュルケを怯えさせないで、ヴォルドール」



 その瞬間、ギリリ……と実際の音が聞こえてしまうかのように、アラドラム将軍の顔に刻まれた皺がさらに深くなった。


 しばらくの沈黙が流れる。背後の騎士たちはフルフェイスのため表情が見えないものの、リシィを見て動揺しているのは体の震えでわかる。

 行方不明だった主を目の前にして、人はどれほどの思いを抱えるのか。


 やがて事態を察したのか、アラドラム将軍はおもむろに跪き頭を垂れ、騎士たちも彼に倣ってすぐさま同様に膝をつく。



「リシィティアレルナ ルン テレイーズ姫殿下……。長く、待ち侘びた」



 そうして、彼が放った一言目は不思議な韻を帯びていた。


 怒るでもなく、懐かしむでもなく、ましてや主に対するものでもない……そう、長く離れ離れになっていた孫娘と再会する、そんな祖父の感傷が込められた言葉だ。


 彼が、今のリシィの変わってしまった姿をどう受け止めたのかはわからない。

 ただ彼女の幼少を知るなら、変わったところでリシィはリシィなんだ。


 こうして、大樹洞の闇き底でひとつの再会が果たされた。

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