第七十六話 機械生命体の巣
アラドラム将軍の一行が見えなくなり、もっとも五感に優れたサクラでも察知できなくなってから、僕たちは大樹の根本に向かった。
ひと目でわかるあれだけの猛者だ、この先で待ち伏せていようとも、そうなってしまえば変に勘ぐることなく面と向かって話をするべきなんだ。
それにはやはり、僕がリシィの騎士としての姿を自ら体現するしかない。
「こちらの根の合間が通れるようですね」
「確かに奥まで続いていそうだな。ポム、通れるか?」
「にゃっ、にゃにゃにゃんにゃっ!」
大樹の根本は、これが木だとはとても思えない景観になっていた。
一見すると、接目から青光が漏れるケーブルが何本も垂れ下がっているように見え、まるで大規模な通信施設か電気施設のバックヤードにいるかのよう。
ただこれはケーブルではなく、すべてが根だ。僕たちは根の合間をかき分けるように進み、先頭を進むサクラが脇に避けたところで大きな空洞にたどり着いた。
「わたしたちはよくよく縦穴に縁があるわね……。底が見えないわ……」
「上は空が見えるな……。リシィ、下で間違いはない?」
大樹の内部は、リシィが告げた通りの縦穴だった。
空洞の直径は一キロ程度、どうやら大樹の上部まで抜けているようで絡み合った枝の合間には空が見える。
そして下方には内壁に沿って螺旋状の斜路を形成する太い根、空洞の中央には大きな瘤のある根だか芯だかが垂れ下がり、何かの巣のように思える。
底は例によって暗闇の中から漏れ出す神力の青光で、ドクンドクンと脈打つ鼓動は神脈かそれとも別の何かか。
「えと、彼女は……この下から存在をかんじるわ」
「それならここを下りるしかないな。ポムとルシェが先頭、最後尾はサクラが警戒してもらえるか、ここでは上下左右を囲まれたら逃げ場がない」
「空洞では接近もわかりやすいですから、聞き耳を立てますね」
「頼む。アラドラム将軍の動向は感知できる?」
「そちらはわかりません。足音も鎧の音もまるで聞こえないとなると、将軍だけでなく随伴する騎士も相当な手練となります」
「いきなり襲撃されることはないと思うから、墓守にだけ気をつけて」
「はい、お任せください」
そうして、螺旋状の足場を下りようとしたところ、縁から下を覗き込んでいたノウェムが眉根をひそめてこちらを向いた。
「主様、この下は大気中の神力が渦を巻くほどに濃く、ある一点に吸い込まれているようだ。いや、喰われていると言ったほうがよいか……」
「それは、どういう……。この世界を創り出すために使われている……?」
「これは、ノウェムさんの仰る通りですね……。この気配、【重積層迷宮都市ラトレイア】の底でも見ました……」
「【虚空薬室】……!?」
ノウェムの言葉を受け、サクラも空洞の底を覗き込んで告げた。
それはつまり、あの大迷宮と同じことが行われようとしている……!?
「まさか、エウロヴェが……?」
「エウロヴェが身に纏った緋色の神力は覚えています。それとは別物ですから……拙い推測をするなら、神龍テレイーズが自意識にかかわらず崩壊の遺志を受けてしまい、ラトレイアの再現をしているのではないでしょうか……」
「だとしたら、根を通る神力の流れは拡散する方向にも逆流しているけど……」
「はい、規模は小さくともすでに準備は整い、動き始めている……と」
「……っ!?」
「カイト、かんがえている暇があるならいまは進むしかないわ。エウロヴェの遺志がのこされているだろうことは、わたしだって、みなだってうすうす気づいていたもの」
リシィが最悪の想定をし始めた僕をまっすぐに見詰めて告げた。
その瞳は黄金色に輝き、元の彼女とも変わらない誇り高い眼差しだ。
「最悪は、神龍テレイーズとも敵対することに……」
「覚悟のうえよ。たすけを求められたこと自体がエウロヴェの策謀だとしても、この先にかのじょがいるのはまちがいないの。何を押してでもすすみましょう」
「リシィ……君は……」
「体が小さくなっても、わたしはわたし。そうでしょう? カイト」
リシィも、皆も、真剣な眼差しで焦りも躊躇いもなく頷いた。
大龍穴の神脈を使い、たとえ長い年月をかけてラトレイアが溜め込んだ神力より総量が少なかったとしても、何かをしようとしていることは確かだ。
僕だったら……自分が亡きあとも、人類の遺産を根絶やしにするために今の世界を破壊しようと目論むかもしれない……。
この歪な封牢結界の有様は……つまり、世界を上塗りするための……。
「そうだな……ならリシィに付き従うのが僕だ。考えているだけでは結論は出ない、訪れる未来を確かめるためにまずは先へと進もう」
「ええ……」
そうして、僕たちは大樹洞の底を目指し始めた。
◇◇◇
間違いない……この下に神龍テレイーズを感じるわ……。
カイトに手を引かれ、神力の青光が揺らめく底を目指して下りていく。
けれど、懐かしさと同時に言いようのないおぞましい気配も感じてしまい、おそらくはこれこそが助けを求める彼女を蝕む、“エウロヴェの遺志”……。
だから、私はカイトの左腕を抱き寄せてしまい、彼はそんな私の様子に気がついて心配そうにこちらを見下ろしてきた。
「大丈夫だよ。どう転ぼうとも僕はもちろん、アラドラム将軍だってリシィにとっては味方なんだ。すぐ元の姿に戻れて神龍テレイーズも助け出せるさ」
気遣ってくれるのはとても嬉しい……。
けれど、私は内心の恐れや不安から答えられず、より強く彼の腕を抱きしめるだけ。少し前に勇ましく激励したのは自分自身なのに……。
今はただ、この先で何かが変わってしまうことが何よりも怖い……。
「ふぇっ!? 何か来ますですっ!」
「な、なんだあれは……!?」
そんな私の不安が具現したかのように、足場の端を警戒しながら進んでいたテュルケとルシェが驚きの声を上げた。
「みんな伏せろ! 戦う必要はない、やり過ごすんだ!」
私はカイトに覆い被され、皆も同様に根の上で伏せる。
――ギショ、ギショ、ギショ、ギショ、ギショ、ギショ……
空洞の中央に垂れ下がる根を上ってきたのは、針蜘蛛よりも大きく阻塞気球よりは小さい中型の蜘蛛型墓守。
息を潜め通り過ぎるのを見守っていると、私たちを過ぎたところにあった瘤を根から切り離し、さらに上へと運んでいく。
あれは……いったい何をしているの……。
「なんてこった……」
「カイトさん、今のはもしや……」
「ああ、この有様は……もう新たな生態系が……」
「主様、どういうことだ? 詳しくわかるように説明しておくれ」
「ここはおそらく……墓守の製造工場、つまり巣だよ」
カイトが私たちの疑問に、遠ざかる蜘蛛型墓守を見上げながら答えた。
「なん……だと……!?」
「まさか、そんなことが……!?」
「右上方の大きな瘤を見て、内部に三本の角が見える」
「えとえと、私たちが戦った三角竜があの中にいるですぅ……?」
「それもずいぶんと小さい。つまりあそこから成長するとなると、あの瘤は墓守を生み出す“繭”なんだろう……。この大樹は、機械生命体の巣であり母体なんだ……」
「そんな……バカな……。墓守は子をなさないと……」
「【天上の揺籃】がなくなった今、あとは残存する墓守を地上から掃討するだけでした。もしも、ここの環境が外にも漏れ出してしまったら、世界は……」
「ああ……歪な植生だけでなく、自ら数を増やす機械生命体の跋扈する世界となるだろう……。人同士が争っている場合じゃないんだ……」
カイトの言葉に皆は唖然とし、私も変わってしまう世界を想像し吐き気を催す。
「そんなの絶対の絶対に嫌ですっ! 私たちがちゃんと止めますですっ!!」
誰もが呆然とする状況で、真っ先に立ち上がったのはテュルケ。
「……お父様が望んだ世界は、人が人として平穏に過ごせる世界だから。……止める、止めなければならないわ」
続いてアサギが……けれど、誰かに似ている……?
「カイトさん、神龍テレイーズを救出したあとで、【烙く深焔の鉄鎚】の焔核を暴走させてここのすべてを焼き払います。やらせてください」
「ならば、我はサクラが燃やしたあとで、炎と灰の中からだろうと皆を無事に地上まで送り届けよう。そのくらいはやらせておくれ」
サクラとノウェムも立ち上がって重い覚悟を告げた。
「みんな……ありがたいけど、それは最後の手段に取っておいて欲しい。できるだけ負担を軽くするように考えるから、構わないね?」
「は、はい、カイトさんがそう仰るのなら……」
「う、うむ、主様を立てるのも妻としては当然のこと」
「でもでも、いっぱいいっぱいがんばりますですっ!」
「……お父様を守れるなら……それで」
「にゃーっ、にゃにゃんっ!」
「騎士として最善を尽くすのみです!」
そうして私はカイトに抱き起こされ、どうしてか跪く彼に抱き寄せられた。
「リシィ、君が安心して過ごせる世界は僕が守ってみせる。だから、大丈夫だ」
彼の言葉で、私はようやく自分が泣いていることに気がついた。
変わってしまう世界をなんとかしようと奮起して、それでもすでに変わってしまったものに責任を感じて涙し……私は自分でもどうしようもないくらいに情緒不安定だわ。
カイトの胸に顔を埋める、今となっては私がもっとも安心できる場所……。
「うん、頼りにしているわ……カイト……」