第七十五話 遭遇に対する心構え
三角竜を崖から突き落としたあと、僕たちは休憩なく森の際を進んだ。
ただ、今度は森の外ではなく、空から居場所を捕捉されることを避けて少し中に入ったところを進むようにしたんだ。
気になるのは、三角竜に遭遇するまで見える範囲に何も存在しなかったこと。
いつ、どこで僕たちは見つかったのか、それを確認できるものは何もない。
「それこそ、この世界そのものがひとつの……」
「カイト、どうしたの? またなにかに気がついた顔をしているわ」
「あ、いや、三角竜が始めからこちらを捕捉していたのが気になっただけだ」
「主様は、よくよく確定の至らぬものを思い定めるのが好きよな」
「僕は昔から物語の“空白”に思いを巡らすのが好きだったから、現実でも気になることがあればあらゆる想像をしてしまうんだ。なかなか気楽にはできないね」
「ですが、私たちが今もこうしてお傍にいられるのもそのおかげですから、カイトさんの思い定める力は何よりも素晴らしいものです」
「ありがとう……。“思い定める力”か……」
僕は元より、物語の中で語られない背景があったとしても、断片的な情報を拾い集めて想像してしまうタイプの人間だったから、結果的にその性質が現実でも上手く働いたことで今にたどり着いたんだと思う。
“三位一体の偽神”により、ある程度は操作された結果なのかもしれないけど、行きすぎた想定が終わってしまう世界の行く末を覆したのは確か。
今はもうグランディータもいない。未来は本当に自分自身の手の中にしかないから、だからこそ取りこぼさないように進みたいところだ。
「ただいまですですっ!」
「リシィさま、ただいま戻りました!」
鋼柱と木の根を乗り越えて進んでいると、さらに森の奥側へ斥候に出てもらっていたテュルケとルシェが戻ってきた。
「竜騎士隊の様子はわかった?」
「小隊単位で行動し、区分けされた森林地帯を根こそぎにしているようです」
「拾えるものはすべてを回収しようとする動きだな……」
「この地に神龍テレイーズがいらっしゃるとは思いもしませんから、私たち竜騎士隊の任務は表立った復興活動の他に【神代遺物】の発掘もあります」
その上で危険を押して未知の墓守に対するか……。
最初こそ実戦経験がなかったとしても、テレイーズ真龍国の竜騎士ともなれば、この数ヶ月の間に討滅法を確立させるだろう。
そして、すでに発掘調査が始まっているとなると、この世界の中心がどこなのかも判明している可能性がある。
「テュルケは何かあった?」
「はいです。大樹に向かってまっすぐ進んでる将軍さんを見ましたぁ」
「そうか……。将軍が自らとなると、やはり……」
ルシェの上官、この地に派遣されている竜騎士隊を指揮するのが、リシィもテュルケも顔見知りだと言う、この“ヴォルドール アラドラム”将軍だ。
王都防衛の任に当たる第一竜騎士大隊の次、第ニ竜騎士大隊を統制する事実上の前線最上位指揮官は、あの騎士皇に比肩するような傑物だと聞く。
その将軍が自ら遺構内に踏み入っているとなると、核心部制圧の段取りがすでに完了しているのかもしれない……。
これは鉢合わせる可能性まで出てきたな……。
「テュ、テュルケ、ヴォルドールを目視できるほどに近づいて平気だったの!?」
「姫さま、ごめんなさいですっ! 目が合っちゃいましたですぅ……」
「え、気がつかれた?」
「はいです……。姫さまと一緒によくお会いしてたので……私だと、たぶん……」
「そうか……いや、遅かれ早かれだからいいんだ。気にしないで」
「ふぇぇ、ありがとうございますっ、ごめんなさいですぅっ!」
相当な傑物だと聞いてもなお情報が欲しかったのは僕だから、この場合は心構えができたぶん一方的にばれるよりはましだろう。
「リシィ、面識があるのなら、その将軍の協力も仰げないだろうか?」
僕の問いに、リシィもテュルケもルシェまで微妙な表情を浮かべた。
「ダメ……なのか……?」
「わたしが名乗り出て、わたしだと納得してくれたのなら、話は聞いてくれるだろうし協力も得られると思うわ……。けれど、ヴォルドールは……」
「“純血派”か……。僕の存在がよく思われないのは確かだな……」
「ん……。わたしにはやさしかったけれど、外敵に対しては苛烈なひとだから、最悪は引き離されてカイトだけ国外追放ね……。そんな結末はいやだわ……」
「うぅぅ、わたしもおにぃちゃんがいなくなるのは嫌ですぅっ!」
「安心して。僕の内にはグランディータの龍血が流れているから、説得するには充分すぎる要因だろ? ただでは引き離されないさ」
僕は泣き出しそうなテュルケの頭を撫でてなだめる。
「もしも引き離されたのなら……わたしだって……今度こそ国を……」
「リシィ、それ以上はいけない。なんとかするのが僕の役割だ」
「ん……ごめんなさい……。カイトを信じるわ……」
将軍に対し方を間違えれば、墓守以上の強敵となってしまうだろう。
そもそも最初からいることはわかっていたんだ。現在どこにいて、どこに向かっているかがわかったのなら、あとは間違えないように選択していくのみ。
考えるべきは、面と向かった時にどう説得してどう僕の存在を認めてもらうか。
義を重んじる騎士であるのなら、ただ己を貫き通すしか道は切り開かれない。
「テュルケよ、そんな顔をするでない。いざとなれば我がセーラムが威光でひれ伏せさせようぞ。主様の妻として、家族の元を離す横暴なぞ言語道断よ」
「ふえぇっ! ノウェムさんっ、頼りになりますですーっ!」
ノウェムはえっへんと胸を張り、テュルケはそんなノウェムに抱き着いているけど、それとこれとは話が別だからたぶん無理ではないかと思う。
「予定通りに僕たちも大樹の袂まで進む。みんな、警戒を怠らないように!」
―――
それから二時間、いや三時間は経過しただろうか。
足場の悪い森の中を通り、途中で歩きながら持ち込んだ携行食を口にし、そうして僕たちは大樹を見上げることのできる場所までたどり着いた。
まだ森の切れ目に身を潜めて周囲を窺っているけど、見上げる大樹はやはり青黒い鋼色でそびえ立ち、それでも神々しく思えるほどに枝葉を遠くまで伸ばしている。
「ここからだと洞のようなものも見当たらないな……」
「いざとなったら私が【烙く深焔の鉄鎚】で穴を開けますが……」
「それは最終手段だ。まずは一周だけ回って根の隙間を確認しよう」
そうは言っても、幹の直径がどれほどあるのかはわからない。根の太さだけでも、森に立ち並ぶ木々の幹を超えているくらいだから、一周を回るだけでも一苦労だ。
周囲の光景は、突き出す鋼柱がさらに高く迫り上がって凹凸が激しく、その中心部にビルか山かとでも勘違いしてしまうほどの幹が視界を完全に塞いでいる。
幹には神力の青光が血管のように張り巡らされ、そのすべてが大地の下から流れてきているようだから、何かがこの下にあるのは確かだろう。
その様は幻想的なようでいて、自然物と人工物の区別がないこの世界をここまで進んでくると、やはりおぞましさの感情が勝るそんな光景だ。
「……十時方向、五人」
周囲を窺っていると、アサギが僕たち以外の存在を察知した。
彼女はスコープを覗いているため、実際の距離はかなり離れている。
相手は騎士が四人と、残り一人は言うまでもなくヴォルドール アラドラム将軍だ。
鋼柱と根の合間に視界が通った時だけ見えることから、はっきりと視認することはできないけど、向こうもおそらくは僕たちの存在に気がついているのだろう。
彼らは墓守の彷徨く森から悠々と姿を現し、そのまま躊躇なく大樹の根本へと向かっているようで、特に周辺を警戒した様子もない。
「あの人は……凄いな……。かつてなかった威圧感だ……」
「ええ、へたをするとわたしたちが束になっても敵わないと思うわ」
「そこまでか……」
「ふ、ふんっ! べ、別に恐れる必要なぞないわっ、いつでも相手してやるんだからっ!」
「ノウェム……なんで急にツンデレ風なんだ……?」
「つ、つんでれとはなんぞ……?」
「格が違いますね……。あの方は、どんな英雄よりも強敵だと感じます」
「サクラまでもそう感じるのか……。下手はできないな……」
そうして、アラドラム将軍の一団は大樹の根の合間に消えていった。
入口を探す手間が省けたかもしれないけど、おとなしくあとを追ってしまえば待ち伏せを受ける可能性もあるだろう……。
いや、彼らは敵ではない……勘違いをするな……。
国を平定するのなら、遅かれ早かれ言葉を交えなければならないのだから。