第七十話 やがて訪れる明日がために
――ルシェと再会した翌日。
昨晩、私たちは彼女から歓待と情報提供を受け、一晩を館で過ごしたあとは大龍穴の西、被災地に向かっている。
御者席にはカイトとサクラ、幌馬車の中には私たちの他にルシェ、ポムはどうしたところで乗り込むことができないから歩きね。
街道沿いは森で、近くに流星が落下したとは思えないほど木々は優しく風に揺れ、小鳥のさえずりが心地好い空間を演出してくれている。
「ルシェ、ほんとうにわたしたちと一緒でよかったの……? フザンに駐留する騎士隊はあなたの指揮下よね……?」
「もちろんですとも! 国のため、民のため、ひいてはリシィさまのため、我ら竜騎士がお役に立てるのならそれこそが騎士の誉れ! フザンにおける部隊指揮はゴドウェイに任せ、私は如何なる立場であろうと御身に付き従う所存!」
「あ、ありがとう……」
「何より、そのようなお姿となったリシィさまを放っておくなどできません!」
ルシェは私の対面から意気を露わに勢いよく詰め寄ってくる。
「本当に鎧を装備すると人が変わるんだな……」
カイトは御者席で振り返り、そんな彼女の様子を見て驚いているようね。
「ドレスを着て舞踏会にでるとまたかわるのよ……」
「だから“役者”なのか……。他に言いようのない二つ名だね……」
「カイトさま! いくらリシィさまが自らお選びになったとしても、まだ私は婚約者と認めておりません! これから見極めさせていただきます!」
「んっ!?」
「ふぉっ!?」
「ルルルシェ、ととととつぜんなにを言っているのっ!?」
「リシィさま、違いましたか? 私はてっきり……」
「ちっ、ちがうわっ! い、いえ、ちがくごにょごにょ……しょ、将来のことなんてわからないけれど、ま、まだ求婚だって……はっ!? かんちがいしないでっ!!」
「そうでしたか、失礼しました……。仲睦まじいので私はてっきり……」
「んにゅっ!? しょんなことは……ううぅ……」
なんてこと……ルシェには悪気がない分、ノウェムよりも厄介だわ……。
べ、別にカイトとが嫌だとか相応しくないとかは決してないけれど……今はこれからがどうなるかですら判断できないもの……。
そ、それでも、いつかはカイトと……ん……。
「くふっ……くふふ……」
「ノウェム、なにか言いたそうね……?」
「いやなに、仲良きことは美しきかなと」
「んうぅぅぅぅ……」
由々しき事態だわ……。ノウェムは、私たちを見て新しいおもちゃでも見つけたような嫌な笑みを浮かべている。またよからぬことを企んでいるんだわ……。
「ふにゃああっ!? なんですぅっ!?」
そうして私が困惑していると、ルシェが今度はテュルケの胸を指でつついた。
「昨晩、共に入浴した時も尋常ならざる様だったが、私の知らぬわずか数年でここまで成長するとは……。テュルケ、是が非でも手ほどきをお願いした……はっ、もしやカイトさまの妾として毎日のように……!? くっ、如何にリシィさまのお許しがあろうと少女に手を出すとは……このルーシス アルドヴァリ、騎士として許すまじ……!」
「断じて手なんか出しませんよ!?」
「ルシェ、おちついて……。カイトはたとえ相手からせまられても、おそらくは考えすぎて手をだせないほど色恋沙汰には奥手だわ……」
「そうでしたか、それならば貞操も保たれるもの。安心しました」
「何気に酷い言われよう!?」
彼女を相手に久しぶりだと調子が狂わされてしまうわね……。
今、馬車は大龍穴の北側を迂回して進んでいる。休憩なしに進んでも西側まで十時間はかかり、フザンを朝早くに出立したけれど到着は夕方以降になるの。
ルシェの話によると、流星は構造の半分ほどが湖岸に埋没し、竜騎士隊は近隣の町村の救難活動を続けながら同時に遺構の調査も行っているとのこと。
確かに近づいている……感じる……。
神龍テレイーズは確実にあの中に存在しているわ……。
「カイトさん、そろそろ太陽が真上です。お昼にしませんか?」
「ああ、そうだね。そのあとは僕が手綱を握るから、サクラは休んで」
「はい、ありがとうございます♪」
どうしても気が急いてしまうけれど、腹ごしらえは必要よね……。
◆◆◆
アサノヒメ大龍穴の西側に落下したのは封牢結界の一部。
僕たちはこの構造物の傍に、丸一日をかけ日が落ちたあとで到着した。
馬車を街道沿いの小屋に停め、歩きで竜騎士隊の野営地が見える場所まで向かい、今は気配が悟られない程度に離れた森の中から様子を伺っている。
この場所は元々が青木ヶ原樹海だから、長い年月を経た巨木の根は人を覆い隠せるほどに太く、野営地の明かりを外れてしまえば暗闇の中で気づかれない。
妖怪や幽霊、そんな神霊の類がいても不思議ではない深く険しい巨大樹の森。
「これ以上は開けて近づけないな……」
「凶星による落下の衝撃で多くの巨木が薙ぎ倒された場所です。我々はこの場所に野営地を築き、同時に復興用の木材を選別し救難活動に当たっています」
ルシェの言う通り、竜騎士隊の野営地には巨大な切り株が残るだけで、倒木の多くがどこかに運ばれ森の中にぽっかりと空間ができあがっている。
上手いことに、直径が十メートルを超えるような切り株を平坦に削り、その上にテントを張っているから大規模な整地は必要とせず、凹凸の激しい地面に関しては根を除去され人の歩く道だけはあとから作られているようだ。
あるものを使い、できるだけ救難のための効率を上げているのだろう。
「派遣された人数は?」
「被災地入りした騎士は五百名、野営地には半数が残り、もう半数は周辺の町村で復興活動中です。探索者や一般からの救援志願者はさらに数が多く、最終報告によると二千名ですが、今はほうぼうに散っているように見受けられます」
ルシェの返答に偽りのようなものはなく、野営地には騎士ばかりが数十人、それ以外は見当たらないことから遺構探索と復興活動で各地に人員を分けているんだ。
「目を盗んで忍び込むにも目立ってしまいそうだな……。逆側で陽動をかけ、湖岸沿いに接近を試みるのが定石か……」
「陽動は私が。樹海で火の手が上がれば消火を優先すると思います」
「ああ、サクラに任せる。森を必要以上に燃やさないようにだけ気をつけて」
「はい、お任せください」
「主様、ここのところ我は調子がよい。躊躇わずに転移能力を使っておくれ」
「わかった。ここがふんばりどころだから、いずれは頼らせてもらうよ」
「あい」
ルシェの協力を得た今も、僕たちがここまで警戒するのは訳がある。
この地に派遣された竜騎士隊を率いる将軍が、たとえ滅びようとも龍血を濃いまま継承しようとする“保守派”の急先鋒だからだ。
もしも今ここでリシィの存在を把握され、また僕の存在も知られてしまったら、最悪の事態が起きるのは想像に難くない。
剣を交えることになったとしても簡単に終わるつもりはないけど、できるだけ人と人同士の争いで血を流すことだけは避けたいんだ。
だから、僕たちは万が一の事態に陥るまで隠密行動を徹底する。
「【天上の揺籃】をおもいだすわ……」
リシィが湖岸を抉って横たわる遺構を見て呟いた。
「その一部だからね、どうしたところで同じものだ」
「ええ、だからこそわたしたちは知っている。墓守にたいしても優位にたてるわ」
「リシィさま、内部では無数の墓守が待ち構え、すでに多くの犠牲が出ていると報告が上がっています。それでも、自ら危険の中に飛び込むおつもりですか?」
「ルシェ、わたしたちはその困難を幾度となくのりこえてきたの」
「ならば、私は再びリシィさまの剣と盾になるまで。カイトさまには負けられません」
「勝負ではないから、リシィを守るために協力しよう」
「もちろんです、カイトさま」
僕たちは茂みに身を潜め、大地に埋まった封牢結界の一部を遠く眺める。
【天上の揺籃】そのものと比べたら遥かに小さいけど、その青黒い鋼材で作られた菱形の構造物は、まるで山のように月光を遮ってそこに存在した。
落下の際にできたものだろう、周囲では盛り上がった土が人の背丈以上の防塞となって行く手を阻み、今も騎士たちが切り崩しては合間に入っていく。
「元の世界で暮らしていた時は、墓守なんていう兵器とこれほどまでにやり合うとは想像することすらできなかったよ」
「カイト……? とつぜんどうしたの……?」
「いや、不条理を感じるばかりだった日常が変わったことで、改めて驚いたのかな」
「カイトさん……今一度、元の時代にお戻りになりたいですか……?」
「それはない。僕は二度目を自分の意志でこの世界に戻ってきたのだから」
「主様、たとえまた元の世界に戻ることになろうと、今度こそは我も一緒ぞ」
「ああ、みんな一緒だ。だから僕たちで、何度だって終わらせよう」
「ですです! みんなと一緒に終わらせますですです!」
「……了解。……お父様のために」
「にゃっ! にゃにゃんっやるにゃっ!」
「リシィさまと共に!」
墓守を真に世界から駆逐するのはまだ当分は先になるだろうけど、これまでの神龍にまつわる悲劇はこの場所で最後にする。
エウロヴェが残したものはなくならない、それでも今を終わらせて進むんだ。