第六十五話 姫は何を思うのか
「なるほど……」
「今、双眼鏡が反応しましたね」
「カイト、またなにかわかったの?」
皆が双眼鏡から視線を外した僕を注視する。
この双眼鏡は詳しい諸元が出ないことから、あれが実際に何かはわからないけど、名称から【ダモクレスの剣】に類似する兵器だとは思う。
聖地とまでされる場所だ、かなりの衝撃を受けるのではないだろうか……。
「うーん……【神代遺構】なのはたしかだけど、詳しくはわからないな」
「あやしいわ……」
「はい、今のカイトさんは何かを一人で抱え込もうとしています」
「主様よ、我らを慮ってくれるのは嬉しいが、余計な心配は要らぬのだ」
「ですです! あれがほんとは怖い兵器でも受け止めますです!」
「テュルケは心が読めるのか……? あっ……」
皆が僕を一斉にジト目で見た。
「降参だ、皆には敵わないな……。あれは、本当に詳しくはわからないんだけど、【ダモクレスの剣】に相当する兵器だと思う。間違いなく、衛星軌道上を攻撃するための切り札として使われたものだ」
「そうだったの……。なんにしても破壊された痕跡があるようだから、地上にむけられることはないわ。カイトが心配しなくともだいじょうぶよ」
「それならいいんだ。ただ、ビックリしないかなと思って……」
「だいじょうぶよ。どうしても気になるのなら、わたしがもとの姿にもどってからあらめて内部のちょうさをするわ。そのときはカイトもつきしたがいなさい」
「ああ、心遣いに感謝する。ありがとう」
【重霊子力衛星軌道掃討射砲】……僕の憶測にすぎないけど、エウロヴェの目を逃れるため巨大樹を隠れ蓑にして建造されたものではないかと思う。
そして、実際に使われたことで樹の上部が吹き飛び、今のあの有様……。そうまでして対抗しようとする、当時の人々の追い詰められた様子が目に浮かぶようだ。
そんな神代の様子に思いを巡らせていると、リシィと手を繋いでいる左手とは逆の右腕を柔らかい感触が包み込んだ。
見ると珍しくサクラが自分から腕を組んできて、神器化したことで触覚が戻った右腕から、やわらかい、よ、よ、横乳の感触が伝わってくる。
いつもは半歩下がって立っているのに、どうしたんだろうか。
「カイトさん、普通の観光客を装いましょう。双眼鏡は遺物ですから、巡回騎士に注意を向けられてしまったようです」
「え、あっ、しまった……。それでなくとも僕は来訪者なんだ、失念していた」
視線を上げると、ここは通り全体が城まで続く緑化公園になっているんだけど、その四車線はある大通りの反対側で三人の騎士がこちらを注視していた。
よくよく考えると、僕の行為は国会議事堂やホワイトハウスを双眼鏡で観察しているのと同じこと、それはもう警戒されるどころの騒ぎではない。
案の定、三人の騎士は近づいてくる。ここで逃げたところで余計に怪しまれるだけだから、最低でもリシィの正体がバレないように言い訳するしかない。
やがて騎士たちは、緑のいい香りがする芝生の間を通り傍までやってきた。
「今、それで城を見ていただろう? 何をしていた?」
そして騎士は、僕が右手に持ったままの双眼鏡を指差して尋ねた。
テレイーズの騎士……彼らの装備する全身鎧は、革を基部として重要な部位を金属で覆い、東洋のものとも西洋のものとも違う青色が映える独特なものだ。
特に特徴的なデザインは、兜が自身の竜角と一体化して竜の頭部に似た形状となっているところ。細くなったベルク師匠を思い浮かべてしまう。
「こんにちは、騎士様。これは“双眼鏡”、ルテリアで作られた望遠鏡の一種です。テレイーズ城があまりにも見事で思わず眺めてしまい、失礼しました」
「ほう、ルテリアの? とすると、あなた方はルテリアからの旅行者か?」
騎士は兜の下の視線を上げ、僕たち一人ひとりを見回してさらに尋ねた。
それにはサクラが一歩前に出て対応し、まずは丁寧なお辞儀を返す。
「はい、私はルテリアの来訪者保護監督官、八城 桜 ファラウェアと申します。今はこちらの来訪者、カイトさんとアサギさんと一緒に世界を回っております」
「おっ、その名は……“ファラウェア”というと、焔獣アグニールの……」
騎士たちは顔を見合わせ、サクラの家名に驚いてしまっている。
ここまで来ると、テレイーズ、エルトゥナンに並び立つ……サクラはその辺りを忌避するようだから実感がなかったけど、神代起源種なら当然か……。
「はい、ですから来訪者の方の遠出を許可されたとも言えますね」
「そうでしたか、それは失礼いたしました。よき観光を……と申し上げたいところですが、疑わしい行動は避けていただけるよう、まずはお願い申し上げます」
「こちらも不注意でした。以降は気をつけるようにします」
「はっ、助かります。ぜひ、よきみやげ話をお持ち帰りください」
サクラは騎士に返答しつつも柔らかな微笑を浮かべ、そのほがらかな様子に彼らは兜の上からでもわかるほど鼻の下を伸ばしてしまったようだ。
気持ちはとてもよくわかる。
「それでは、私どもはこれにて。よき観光を」
騎士たちは一礼して去っていったけど、そのうちの一人が最後に、フードを目深に被ったままのリシィと背後に隠れたテュルケを訝しげに見た。
「サクラ、助かったよ。さすがだ」
「ふふ、この時ばかりは私が“ファラウェア”でよかったです」
「それはそうと、神力で個人の特定はできるのか……?」
「見ただけでというのは難しいですが、親しければあるいは……」
「ということは……」
「ええ、したしくはないけれど、みしった顔だったわ……」
「私も一度お話したことありましたぁ。フードをかぶっててよかったですぅ」
「そうか……サクラの名に救われたな……。これ以上は城に近づかないよう、今日のところはこれで引き返そうか」
そうして僕たちは宿のある東へと踵を返した。
―――
――城下街スルガハ。
エドゥークに向かって東進する途中の街で、二つの河川に挟まれた地形は元々が墨田区だった場所だろう。
商店は幾分か少ないもののエドゥークとも大差のない雰囲気で、城下街ともあって巡回する騎士は多少なりとも目についた。
中天に差しかかる太陽の陽ざしはあたたかく、穏やかな気候だ。
「んぅ……ルテリアのように、馬車停留所のせいびがひつようだわ……」
「ここではタクシー式な上に、なかなか捕まらないからね……」
公園を抜け馬車の行き交う通りまで戻ってきたものの、来た時のようにすんなりとは捕まえることができず、僕たちはとぼとぼと歩いている。
ここまで来たのは、万が一にも争乱が起きた時の周辺地理、最悪の場合の逃走可能な経路を把握するためだったけど、あまり活用はできないだろう。
一部の通り以外は下町の窮屈な小路ばかりだから、土地勘がないと逆に追い詰められかねないんだ。
リシィやテュルケにしても、ほとんど城内が行動範囲だったと言うし……。
「カイト、ここまで来たら歩いてかえりましょう」
「うん、そんなに遠くはないけど、小さな体で疲れないか?」
「だいじょうぶよ。いざとなったら抱っこしてもらうから」
「はは、そのくらいはお安いご用だ」
「ん、ありがと……」
そんな状況でリシィは僕の手を引いて先頭を歩き、興味深げに周辺を見回している様子は、懐かしさ以上に新しいものを初めて目にする緑と黄の瞳色の“興味”だ。
「懐かしい?」
「なつかしいわ。けれど、こうしてじぶんの足で街をあるくことはなかったから、新鮮でもあるわね。大事にはされていたけど、望むような自由はなかったの」
「そうか……。いずれは大手を振って歩けるようになるといいな」
「ええ、もとの姿にもどったら、そんな国になるよう尽くすんだから」
「リシィは最高の女王さまになりそうだ」
「ん……けれどわたしは、ただカイトのおよめごにょごにょ……」
「うん? 最後になんて?」
「にゃっ!? にゃんでもないわっ!」
「はい!?」
「すでに想いを伝え、それでいてどうしてああなるのだろうな。不思議よ」
「ふふ、それがリシィさんの可愛らしいところではないでしょうか」
「ただの“不器用”と言うのだぞ。主様も」
「……(コクコク)」
背後でこちらにも聞こえるように話すノウェムの言葉に、リシィは僕の手を引きながら細く尖った耳まで赤くなってしまっている。
「それは自覚があるから、反論もできないよ……」
「でもでも、そんな姫さまもおにぃちゃんも大好きですですぅ~♪」
「テュルケには本当に癒やされるよ……。ずっとそのままでいてな……」
「えへへぇ~♪」
僕たちは人混みに紛れ取り留めもなく街を歩く。
そうして街を行きながら、リシィは何を思うのだろうか。
自らの国、立場がゆえに知らなかった街、さまざまな事情や自らの思いまでが複雑に絡み合い、言葉では言い表せない感情のまま先を急ぐのかもしれない。
心から、リシィとこの国の何ごともない平穏を祈り、実際の行動をしていこう。
「カイト、もうお昼よ」
「あ、うん。どこかで食事をしようか」
「ええ、だから抱っこ」
「えっ!?」
「いやなの……?」
「いえ、仰せのままに!」
何が『だから』なのかはわからないけど、ご褒美であることはたしかだ。