プロローグ
「久しいな、しばらく見ない間に随分けったいな様になったものだ」
「ノ、ノウェム……!?」
就寝のため自室に戻ったところ、僕のベッドの上にはノウェムがいた。
砲狼戦から半月、音沙汰がなく心配していたところで突然の来訪、虚を突かれるとはこのことだ。心の準備もしていなかった。
「え、あ……と、とりあえず、この前は助かった。ありがとう」
「ほう、律儀な坊だな。だからこそ、我はおぬしが気に入ったのだが。くふふ」
ノウェムは自分の膝の上で頬杖をついて笑い、どこか嬉しそうに見える。
こうしてコロコロと笑っている内は、外見年齢相応の可愛らしい少女に見えるけど、一度口を開くと、彼女を照らすランタンの火までも、怪しく揺れ動いているように感じられてしまう。
警戒は緩めていない。逃さないよう、入って来ただろう窓にそれとなく近づく。
相変わらず、僕を上目遣いに見るジト目が、視線を逸らすことを許してはくれない。
……いや、無理だな。考えてみたら、ノウェムの固有能力があれだ。
僕が何をやったところで、彼女を捕らえることは出来ないだろう。
対策もなく捕まえようとするくらいなら、正直に話した方が良い。
「ノウェム。その、リシィの――」
「わかっておる。これが欲しいのだろう?」
僕の言葉を遮って、ノウェムがどこからか“竜角”を取り出した。
窓から挿し込む月明かりで目映く輝く白金の竜角、間違いないリシィのものだ。
「ああ、頼む。リシィに返してやってくれないか? 僕を気に入っているのなら、代わりに僕がノウェムの願いを一つ聞く。出来る範囲で」
「ほう、それはそれは魅惑的な提案だ! だがな、我は別におぬしを力尽くで奪っても良いのだぞ?」
「うん、まあそう言うだろうとは思った。一応順序立てて聞いてみただけだよ」
「くふふ、相変わらずおぬしは面白いな。事情を聞いて、取り返そうとしているにも関わらず、今はその気がないようにも見える」
そりゃそうだろう、リシィの竜角を奪うほどの理由があることは確かだから。
ノウェムを相手に、僕じゃ力尽くでも無理だろうし、なら彼女の目的を聞き出すことがとりあえずの一手だ。
「うーん、多分僕が何を言っても返してくれないよね?」
「弁えてはいるようだな。我の目的を聞き出すことを第一の目標と定めたか」
うわ、怖い……。何歳なのかは知らないけど、人の内を正確に見定めるだけの研鑽がある。ひょっとしたら、百歳二百歳どころじゃなかったりして……ロリBBAもここまで極まると……あわわわわ、ノウェムが笑った、気持ち悪いくらい満面に。
か、顔には出していないと思うんだけど……セーラム高等光翼種の固有能力は“空間干渉”だ。精神干渉まではされていないはず……だよな?
「ふぅ……もう単刀直入に聞くけど、ノウェムは何でリシィの竜角を奪ったんだ? 目的があるのなら協力させて欲しい。その代わり、竜角を返して欲しい」
ノウェムは変わらず、人を食った笑みを僕に向けたまま黙り込んでしまった。
美しい西洋人形なのではと錯覚しそうなほどに、身動ぎのひとつもしない。
そもそも、ノウェムは何でここに来たんだ……。
「我はな、おぬしにしばしの別れを告げに来たのだ」
ひゃー!? やっぱり心を読んでいる!?
「え、えーと……どこかに行くのか……?」
「これより我は迷宮へと向かう。あそこは我にとっても未知の領域だからな。次に会える時がいつになるのやら、至極退屈でしょうもない」
「それは、間違いなく竜角を奪った目的と重なるだろう?」
「くふふ、乙女の前で察しが良いのは考えものだぞ? 少しは愚鈍である方が可愛げがあるものだ」
「ご高説痛み入ります」
僕はわざとらしく、『はいはい』と大袈裟なジェスチャーをした。
ノウェムの表情が変わる。本当に楽しげな少女らしい笑顔に。
彼女の喉の奥で鈴を転がすように鳴る笑い声が、僕の耳にも心地良く響く。
「くふふふふふ、本当におぬしは良いな、くふふ。神族も、皆おぬしのような者ばかりなら良かったものを」
楽しそうだったのに、途中から自嘲気味になるのが気になる。
神族……セーラム高等光翼種、サクラさえ身震いさせる神代期原種。
神器を得たからと言って、僕では近づくことさえも出来ないだろう存在だ。
彼らに、ノウェムに何があるのだろうか。
「カイトよ、我を見よ」
「うん?」
ノウェムはそう言って立ち上がり、僕に背を見せて数瞬躊躇ったような仕草を見せた後に、後頭部の翼を象った髪飾りを取った。
何……だ……?
後頭部の下の方、首の付け根に何かある。
四個……四本か? とにかく四つある、瞳と同じ翠色に淡く光を灯した何か。
根本は髪の下なのでわからないけど、下向きに生えた筒状の、恐らくは種族固有の“器官”がそこにはあった。
「ノウェム、その……首にあるのは何だ?」
「……んむ、見たな? こ、これを見たな!?」
ノウェムは珍しくどもって、慌てながらこちらに向き直した。
……!?
振り向いた彼女は、顔を真っ赤にして視線を部屋中に泳がせている。
今まで、話している間は決して僕から視線を逸らさなかった、ノウェムがだ。
恥ずかしがっている……? 今の、見たらダメな部位だったんじゃ……。
「……これは、我らセーラム高等光翼種にのみ存在する、“光翼発生器官”だ」
「ああ、四枚の光翼の発生元が今の……」
「そうだ。そ、そして、我らにとっては……人の“秘部”に相当する価値観を持つ」
……
…………
………………
「……はあっ!?」
待って、つ、つまりそれは……もろ出ししていると、現代日本だったら公序良俗違反でお縄になってしまう案件!? この娘、何してくれてんの!? そんな大切な部位を他人に見せるとか、露出癖のある変態さんなの!?
はっ……『乙女の下着をあまり堂々と見るものではないぞ』って、そう言うことか!
ノウェムの顔は真っ赤で、そうまで恥ずかしいなら何故やったのかと疑問に思う。
何だかこっちまで恥ずかしくなって来たけど……まさか、ロリBBAで露出癖の変態さんだとは……。流石にこれは、全く想像も出来なかったな……。
「セ、セーラム高等光翼種が、自分の“光翼発生器官”を見せることは……その相手を、生涯の伴侶として……んむ、認めたと……言うこと、だ」
……ほわっ!? なんでっ!?
まさか、そこまでの一大決心だったとは……一体どう言うことなのか、“変態さん”なんて思ってしまったせいで凄い罪悪感に襲われる……。
ノウェムとはたったの二度、時間にしたら十分にも満たない程度、ほんの少しの言葉を交わしただけだ。気に入られたからと、しょ、生涯の伴侶とするまで好感度が高まるとは思えない。
彼女が、そこまで思い詰めている原因があるのか……。
「ノウェム、待って。落ち着いて、言いたいことは良くわかったけど、まずは落ち着いて良く話し合おう」
「主様よ……我の目的を知りたくば、【重積層迷宮都市ラトレイア】へと来るが良い。上層第三界層までを抜け、その先の“秘蹟抱く聖忌教会”で待っている」
ノウェムはそう告げ終わると、彼女の足元に開いた陣に一瞬で姿を消した。
「ノウェム! 待て、ノウェーム!!」
意味がわからなかった。
ノウェムの言動も、僕を伴侶に選んだ理由も。
消える間際、彼女は確かに僕を愛おしそうに見た。何故、なんだ。
だけど、僕は龍血の姫の騎士だ。
例え力尽くで奪おうとも、僕はリシィにしか跪かない。
だから、今一度ノウェムに問い質す。その真意を。
行こう、【重積層迷宮都市ラトレイア】へ――。