第六十話 いつまでも私を抱きしめていて
ルテリアから後続の輸送船団が到着したのは二週間後、そこから出港準備が整うまではさらに二週間が経過した。
この間、僕たちはバカンスと言ってもいい穏やかな休日を過ごし、さすがに変異生物が押し寄せるような非常事態は起きなかった。
いや、待っていたわけではなく、なかったことにただただ安堵しているだけだ。
そしてようやく皆の暑さに対する文句がなくなってきた頃、僕たちはテレイーズ真龍国を目指して港湾都市オルディラを出港した。
現在のルテリア艦隊は合流した輸送船も含めた三隻で、墓守用とはいえ軍艦になるため、テレイーズに対する支援物資の護衛という名目で領海に入るらしい。
航路を北に向け、巡航速度で二十日ほどの距離は、墓守や魔物、海賊との遭遇がなければ月を跨ぐことなく到着すると聞く。
僕では至らない部分は、本当にルテリアの人々に助けられている。
「カイト、んっ」
「うん、まだ見えないよ?」
「んーーーーっ!」
「はいっ!」
最近では当たり前になったリシィの抱っこは、もはや言葉に出さずとも顎で使われるようになってしまった。
もちろん、僕にとってはご褒美だから喜んで抱き上げるけど、元の姿の彼女を想像すると今の状況は願ってもいなかった幸いだ。
まあ、今をこのまま喜んでいるだけにもできないけど……。
そして今、僕たちは装甲巡洋艦カルヴァディオの前部甲板上に出て、皆で遠くを眺めている。天候は晴れ、海も穏やか、敵性もなく、間もなく見えるというテレイーズの領土を目に収めるために待ち望んでいるんだ。
少しの戦闘はあったけど、ここまでは聞いた通りの二十日で、実際に到着するまであと数日の位置にまで来ている。
振り返ってみると、長いようでいてあっという間の旅路だった。
「ノウェム、指をくわえてまで物欲しそうに見られても、二人は無理だよ……?」
「負担はかけぬ! 光翼を出すから、先っちょだけ背を貸しておくれ!」
「さ、先っちょ……? ま、まあ、それならリシィもいいよな?」
「え、ええ、べつにカイトをひとりじめする気はないわ」
「わーい!」
そんなやり取りのあと、ノウェムは自ら飛翔して僕の肩にぶら下がった。
前までは一方的に飛びついてきたもんだけど、オルディラでの一件以来、彼女は遠慮するというか多少なりとも自制するようになっている。
いや、落ち着いた、かな……。リシィに対する後ろめたさも残っているせいか、無理に張り合おうとはしなくなったんだ。
なんにしても、サクラにもノウェムにも大切に想う気持ちを伝え、実際には将来的にどうしたいのかはまだはっきりとしない。
先送りにするわけではなく、リシィが抱える幼女化と国の問題を解決してから、その先のことも真剣に向き合っていきたいと考えている。
「次こそはテレイーズよね」
「今度は確認を取りましたから、間違いないですよ」
リシィの問いにサクラが答えたのは、ここまでの航海でかつてのインドネシアやフィリピンの島々をテレイーズと誤認したためだ。
「気が急くか?」
「んぅ、そんなんじゃ……いえ、はやる気持ちをおさえられないのはたしかね……。王族が三年いじょうも姿をみせなければ、きっともう……受け入れてもらえないもの……。わたしは、すでに帰る場所がないのかもしれないの……」
リシィはそう悲しげに言うと、甲板上に視線を落として僕の肩に頭を寄せた。
彼女の金髪が、過ぎた時の分だけ多くのものを取りこぼしてしまったかのように、肩口からサラサラと流れ落ちていく。
ノウェムを責めるでもなく、エウロヴェを恨むでもなく、自身の選択にこそ責任があると言わんばかりの表情だ。
「リシィは人々から愛されているよ」
「えっ……?」
「これまで見ていて思ったんだ。君はどこに行っても畏敬の念を抱かれ、それでもどこか親愛の情を向けられていた。リシィのがんばる姿は、多くの人々がしっかりと心に秘める希望としていたんだよ。もちろん、僕にとっても」
「ですです! 姫さまは誰よりもがんばり屋さんですですっ!」
「うむ、そればかりは我とて敵わぬと思うておる」
「はい、私もカイトさんと同じ意見です。ずっと一緒でしたから、わかります」
「にゃんっ! にゃぁーにゃにゃにゃん」
「……」
「みな……」
皆も同意し、アサギだけがどうしてか渋い顔をしているけど、最後はそっぽを向きながらそれでも小さく頷いてくれた。
「だから大丈夫だよ。説明は必要だと思うけど、僕だったらこんな美人さんに仕えられるのなら、何を押してでも待ち望んでいるさ」
「んにゅ……!? け、けれど、いまのわたしはこんなすがただもの……」
「心配は要らない。リシィのための“銀灰の騎士”と仲間たちが、どんなものだろうと必ず取り戻すから。元の姿も、神龍テレイーズも、国だって何ひとつ取りこぼさずに」
サクラもノウェムもテュルケもアサギもポムも、力強く頷く。
「なにひとつだなんて……大仰にでたものね……。けれど、カイトらしい……」
リシィの瞳が黄金色に変わり、煌めく涙雫は彼女の頬を濡らした
黄金の力は【星宿の炉皇】、星をも錬成してしまう極光の源。
無より生まれた原因なき原初の存在が、世界創生を成すための力だ。
なら恐れることは何もなく、ましてや大仰でもなんでもない。
「リシィ、見て」
僕はリシィを抱える腕とは逆の右腕を皆の前で掲げた。
「以前は【銀恢の槍皇】、グランディータから与えられた銀槍だった。だけど今この腕には、リシィが僕にくれた【星宿の炉皇】の金光が宿っている」
「【星宿の炉皇】……」
「六番目の神器、神龍テレイーズの“創物”の力。僕はこれが“創星”、ひいては“創世”にまで至ると思うんだ。つまりは心象を具現し世界を創り出す、“思い描く力”。僕はこの力を使って平穏な世にしたい。いや、する」
リシィはこぼれ落ちる涙を自分の手で拭う。
「わたしはこの姿になってしまったことで、ずいぶんとわがままになってしまったと自覚があるけれど、わがままなのはカイトこそだったわ」
「えっ……あ、ああ、確かに究極のわがままを言っているかも……」
「いいの、もともとはわたしの願いでもあるもの。国を平定し、そのさきにある世の平穏をめざすの。テレイーズが近づいてすこしだけ不安になってしまったけれど……カイト、最後までわたしのわがままにつきあってね?」
さすがは僕の主といったところか……。
僕が代わりに抱えようとしたものを、いとも容易く取り返されてしまった。
まあ、なればこそのリシィだよな、いつだって高潔で誇り高い龍血のお姫さまだ。
僕は真正面から見詰める彼女の瞳に対し、同様の視線で返す。
「最初から……」
「そのつもりよね、わかっているわ」
「は、はは、リシィには頭が上がらないな」
「ん、ずっと一緒だったんだから……とうぜんよ」
「何故にリシィだけが主様を理解した風なのだ。我だってよくわかっておるぞ!」
「もちろん、私もカイトさんを理解しているつもりですが、またお一人で無理を抱えようとして、本当にしかたない人なんです」
「ですです! カイトおにぃちゃんはいつだってしかたない人なんですです! ポムもそう思いますですよね!」
「にゃーっ!」
「ねー!」
テレイーズに近づいたことで、どこか不安を抱える彼女たちを支えようとしただけなんだけど、どうしてか無理をする僕のしかたなさになってしまった……。
本当に、皆には頭を下げたまま上げられない思いだ。
「あ、見えてきましたよ。テレイーズで間違いないはずです」
サクラの指し示す先に、島と言うにはそれ以上の大きな陸が見えてきた。
“テレイーズ真龍国”――。
もはや原型を留めていないけど、そこは間違いなくかつての日本列島だ。
波をかき分け風を切り、カモメに似た鳥と並走しながら徐々に近づく陸を、僕たちはカルヴァディオの甲板上からまだ遠く眺めている。
緑一色に包まれたあの大地がおそらくは鹿児島で、目的地はさらに北東へと進んだテレイーズの首都、かつての東京。
気が急いてしまうのは僕も一緒か……。
一万年以上もの時を超え、ようやく故郷に帰ってこれたのだから……。
「カイト……しっかりとわたしを抱っこしていてね……?」
「う、うん? もちろん、望むなら二十四時間だろうとこうしているさ」
「言ったわね、しかと聞いたわよ」
「……っ!?」
これにて第十一章の本編終了となります。
ここまでご覧いただき、誠にありがとうございました。
続きまして、オルディラでのバカンスの様子とモリヤマたちルテリアの現状を伝える小話を挟みますが、次が最終章となるため最後までお楽しみいただけたら幸いです!