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第五十六話 故国を旅立ったもうひとつの理由

 ルテリア艦隊は海賊が根城を構えていた大アルダナ海を抜け、その東側の玄関口ともなる南方港湾都市オルディラに停泊した。


 海賊は拘束した数名の幹部をこの地で引き渡す手筈となっていて、いつの間にか済んでいた根回しにルテリア行政府の国際的な影響力を伺える。

 まあ面倒事を通りすがりに誰かが処理するなら、当事国にとっては願ってもない申し出で、たぶん細かいことはシュティーラが無理強いしたに違いない。



「それじゃカイトさん、サボりは班長にどやされるんで自分はこれで失礼するっス! 出港日が決まったらお知らせするんで、皆さんと羽根を伸ばしてくださいっス!」


「宿の手配までありがとう。テッチ、またよろしくな」

「ウェイッ! 行ってくるっス!」



 テッチは手を振りながら、港へ向かって人混みの中に消えていった。



「それにしてもあついわ……」

「ですぅ……燃えそうですぅ……」

「我は今すぐに飲み物を欲するぞ……」

「ごめんなさい、温度を下げるのは不慣れで……」


「とりあえず、どこか涼める場所に入って昼食にしようか……」



 港湾都市オルディラ、かつてのオーストラリア大陸の北側に位置する港。


 亀裂のように広がった湾の北東に都市部があり、焦げ茶色のレンガ造りの建物が軒を連ねるそこそこ発展した大きな港街だ。

 と言っても、ルテリアやエスクラディエが異常に発展していただけで、オルディラの建造物は高くても二階建て、建物同士の間隔も広いため空が高く見える。


 それでも大アルダナ海に隣接する最後の港となることから、長旅の前と後に船と人とが一度は寄港し、辺りはごった返す人波で足の踏み場もないほど。



「ふにゅっ……」

「リシィ、手を」

「あ、ありがと……」



 そうして、ひとまず立ち寄った探索者ギルドから通りに出たところで、僕はリシィが人波に飲まれる前に手を繋いだ。


 今回ばかりは抱っこをせがまれないのは暑さのせいだろう。

 湿度も高く、人混みと照りつける太陽からの熱気で立っているだけでも汗が吹き出てくるんだ。ここまで暑いと、密着すること自体が体力を奪いかねない。



「ぐぬぬ……光翼を広げ、何人も立ち入れない空間の確保を……」

「ノウェム、ダメだよ。悪目立ちはよからぬいざこざを招くから」

「そうは言うても暑くて堪らぬ……。もう汗だくで水浴びを所望するぞ……」


「カイトさん、あちらの食事処はいかがでしょうか?」

「うん、この暑さから逃れるためならどこでもいい、緊急避難だ」



 僕たちは人をかき分け、サクラが見つけた食事処になんとか入ることができた。


 内部は開放的な空間を演出された南国の軽食屋といった風情で、結局は扇風機や冷房の類がなく暑いけど、それでも炎天下を歩いているよりはだいぶましだ。

 案内を待つ間に、僕の額の汗をサクラがハンカチでちょいちょいと拭いてくれるもんだから、なんかもう最高のお嫁さんができた感まである。


 サクラは白を基調に朝顔が描かれた浴衣を着ていて、これは日本に戻った時に購入したものだ。リシィとノウェムはそれぞれ青と黒の肩が大きく開いたワンピースで、テュルケはノースリーブのメイド服と珍しいものを着ている。

 その中でも、アサギだけはコンバットスーツのままだから暑そうだけど、実際は体感温度調節機能のついた神代遺物で一人だけ涼しい顔をしているんだ。


 ポムは、入国許可が下りるまではカルヴァディオの格納庫から出られない……。



「ふぅ、おちついたわ」

「ふあぁ、お水が冷たいですぅ」

「全員で座れる席が空いていてよかったよ」

「昼食には早いですから、混むのはこれからですね」



 時刻は午前十時と中途半端なので、僕たちの他にお客はまだ二組しかいない。


 内部は外と同じ焦げ茶色のレンガ造りで開口部が広く、弾力のある木製の椅子が並べられたリゾート空間を意識されたものらしい。椅子と同じく机や家具類も木の皮を編み込んで作られたもので、実用としても視覚的にも涼し気な印象だ。


 そんな中でひとまずくつろげたはいいけど、大きく開け放たれた窓から入る潮風はなまぬるい湿気を含んでいて、お世辞にも過ごしやすいとは言い難かった。



「じゃあ僕は魚貝モノディーロ?にしよう。これはスパゲッティだよな……?」

「はい、似たものですね。意味はこの地域の言葉で“細いもの”です」

「へえ、そのままの意味なんだ。勉強になるよ」


「せっかく遠くまできたのだから、特産のものがいいわね」

「ですです! このお肉料理はアディーテさんが涎を垂らしそうですです!」

「我はこの暑さで食欲がな……今は生野菜の盛り合わせでよい……」

「おおきくなれないわよ?」

「これ以上は育たぬ! ぐぬぬ!」



 そうして、やって来た店員に皆の分の注文を終えると、リシィがそわそわと何やら落ち着かない様子になってしまった。


 思えば席に座る時からおかしかった。いつもなら決まって僕の左隣に座るけど、今はどうしてか円状の机の対面に座っているんだ。

 当然、皆も気がついているようで、机を囲みながらリシィの言葉を待っている妙な沈黙の時間が流れてしまっている。


 僕自身もずっと以前から気になっていたことがあり、おそらくは……。



「カイト、みなにも聞いてもらいたいことがあるの」


「ああ、構わないよ。どんな内容でも遠慮なく話して欲しい」



 皆が同様に頷く中でテュルケだけが複雑な表情をしているので、リシィが話そうとしていることは、やはり彼女たちの故郷“テレイーズ真龍国”に関してなんだろう。


 いつか少しだけ話してくれた時は、確か『終わりかけている』と言っていた。

 僕に、国に来て欲しいと、終わりかけた故国に新たな風を吹かせたいと、リシィは複雑な瞳の色を煌めかせながらそんなことを口にしていたんだ。


 これから向かう、彼女たちの故郷にいったい何があるというのか……。



「わたしの……」



 リシィは話そうとして言葉を飲み込み、俯いてしまった。

 逡巡しているようで、唇を引き絞って何かを堪え震えてもいる。


 誰も、彼女から目を逸らそうとはしない。

 誰も、彼女を急かそうともせずに言葉を待っている。

 誰も、彼女が何を告げようとも答えは変わらないのだろう。


 そうして、緑と青だった瞳色が赤と黄に変わったところで、リシィは顔を上げた。



「わたしの故国、テレイーズは国が二分されて内戦のなかにあるわ」


「……っ!?」

「そんな話は噂でも聞いたことがありませんが、どういうことでしょうか……?」

「我も一度は訪れたが、戦の気配なぞどこにもなかったぞ……?」



 そう、神龍の龍血を代々継承する“龍血の姫”を擁するテレイーズに何かあれば、その情報は優先事項として世界中に広まるだろう。

 だけど、ルテリア行政府からもエスクラディエに滞在中もそういった話は一切なく、完全に水面下で行われている隠された争いがあるということになる。


 要するに“冷戦”か……。そして、そんな状況下で龍血の姫の“竜角”が奪われたとあっては、それを利用することで本当の紛争に発展しかねない……。


 リシィは、だから自らの故郷を出た……。


 竜角を奪われたことを隠すため、旗印となる自分がいなくなれば戦争どころではないため、何より解決にならずとも一時的な停滞状況とするために……。



「リシィ、多くは語らなくていい。大体は察しがついた」

「カイ……ト……?」

「大変だったな」

「うっ、うにゅ……ううっ、ふうぅぅっ……ううぅぅぅぅ……」



 僕は席を立ち、リシィに近づいて優しく抱き締めた。

 声を押し殺して泣く彼女は、今の姿も相まってただの女の子だ。


 これまではリシィと、そしてテュルケの二人だけで抱えてきたことを、これからは僕も皆にも分け合って一緒に考えていこう。


 大丈夫、僕たちは神でさえも退けたのだから。




 ―――




 リシィは泣き続けたけど、料理が運ばれてきたことでさすがに泣きやんだ。


 そうしてひとしきり泣いたことで気が済んだのか、今まで溜め込んでいたものを発散できたように、少しだけ陰のなくなった表情を見せてくれた。


 相変わらず、そう簡単には笑わない龍血のお姫さま。


 その閉じた心を開く最後の鍵が、自らの国を二分してしまう内戦にあるんだ。



「おいしい……はずかしいけれど……。はずかしいけれど……おいしい……」



 リシィは人目もはばからずに泣いたことがよほど恥ずかしかったのか、不貞腐れながらもテュルケが頼んだものと同じ肉料理を口にしている。


 あれはオージービーフではないのだろうけど、遺伝子的には繋がりがあるかもしれない動物の肉を使ったハンバーグだ。

 僕も同じものにすればよかったか……ナイフで切るたびに肉汁が溢れ出していて、一口目を食べた時の二人の表情からすんごいおいしそう。



「続きは食事のあとで、今は料理を堪能しよう」

「うん、ありがと……」


「くふふ、体が縮んだことで泣き虫になったか。リシィ、お、ね、え、ちゃ、ん」

「泣き虫なのはノウェムでしょ! すぐに『あうじしゃま~』と泣きつくじゃない!」

「ぐぬっ!? そそそそんなことは……うぐぅ、あうじしゃま……」

「すでに涙目じゃないか」

「ぐんぬぬ……」



 ノウェムはからかいながらも、内心ではリシィに共感しているようだ。

 上手いこと誤魔化したつもりみたいだけど、すぐに涙目なのがいい証拠。


 そうして、おいしい料理に舌鼓を打つ団らんは食事が終わるまで続いた。

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