第四十七話 それぞれの祈り
座っていた椅子以外には何もない部屋の中央で、僕はリシィの前で膝をついて右腕を外し、彼女は受け取った義手を胸に抱くように姿勢を正した。
「いいわね?」
「ああ、頼む」
リシィの確認の言葉に僕は当然だと頷く、断る理由すらない。
僕としては、義手を装着したままの生身にも神器の恩恵が欲しかったけど、こればかりはリシィが拒んだため仕方なく外すこととなってしまった。
エウロヴェとの最終決戦で、全身が神器になってしまった僕をもう見たくないと、『カイトはカイトのままがいい』と言ってくれたんだ。
「これは“腕”にして、我が騎士の“剣”、今ここに我と人々を守護する銀灰の騎士が携えし“極光の剣”となれ……。白金龍の血の砌 打ちて 焼きて また打たん……」
リシィは目映いばかりの黄金色を放ち、祈りを言葉に込めた。
この神唱は彼女の願い、僕のための“剣”を形作ろうとする強い願いだ。
金光は義手を包み込み、暗い室内を真昼の中にいるように明るく照らしている。
そして、その光の中には元の姿のリシィがいた。
小さな姿と重なり合って両手を組んで祈り、今はもう懐かしささえ感じるその姿に、僕はどうしようもない安堵の気持ちを胸に抱いてしまう。
やがて、ほんの一瞬の幻視は金光とともに収束しながら消え、あとには少し様子を変えた義手と息を吐く小さなリシィだけが残った。
「……ふぅ、せいこうだわ」
「え?」
「わたしね、ずっとあなたに剣を与えられなくて悶々としていたの」
「いや、リシィからはたくさんのものをもらっているよ。神器が失われたところで、今も僕の鞄には竜角だって……」
「そういうことではないのっ! ほんらいは、みずからの騎士とするための最初のおくりものが“騎士剣”なんだからっ! “剣”のかたちをした“祝福”なのっ!」
「そっ、そういうものなのか……」
「そうなのっ!」
リシィは怒ったように頬を膨らませ、僕に義手を突きつけてきた。
「ん、重いわね……。だからこの腕……いえ、この“剣”には、カイトに出会ってからこれまでの想いのすべてを込めたつもりだわ。わたしのしょうしんしょうめいの騎士として、これからも……その……そばにいなさいよねっ!」
視線だけはこちらに、顔は頬を膨らませたままそっぽを向いている。
「その想い、心して受け止めるよ。元より離れるつもりもないから」
「ん……」
僕はリシィから改めて“剣”を受け取り、右腕の接合部にはめ込んだ。
驚くほどさらによく馴染む。アシュリーンによって作られた生体素子の義手は、リシィの想いが込められたことで初めて血が通ったように思える。
比喩ではなく、本当に血が流れて腕と体が一体化した感じだ。
「だけど……これだともう“銀灰の騎士”ではない気がするな……」
「し、しかたないわっ! 神龍テレイーズの、龍血のちからそのものをそそいだんだからっ、金色になってしまうなんて思いもしなかったのっ!」
「あ、いや、嫌なわけじゃない。むしろこの色はリシィの色だ、嬉しいよ」
「んにゅ……!? ま、まあいいわ。いまは疲れたから、右脚はまたこんどね」
「うん、ありがとう、心から感謝する」
「そ、そう思うのなら……だ、抱っこしてっ!」
最近の僕は、リシィはこのままでもいいのではないかと邪心が芽生えている。
元の姿に戻れば、まず間違いなくこうして抱っこをせがまれることはなくなるから、どうしても残念に思う気持ちが過ぎるようになってしまっているんだ。
いや、でもまあ、やはりリシィには元の姿に戻って欲しいかな……。
「うん、お腹も空いたし、そろそろ夕食もできる頃合いだから戻ろうか」
僕はリシィを抱き上げ、騎士皇に招かれた夕食の場に向かった。
―――
海上要塞群島、主島施設内にある広間。
元は会議室か類する何かだと思うこの一室は、瓦礫と埃だらけの他の部屋とは違って家具が運び込まれ掃除も行き届き、ちょっとした食堂になっている。
元々が海魔獣や外敵を警戒するための前哨基地として、エスクラディエ騎士団が駐留していたそうだから、一部の部屋は人が住めるようになっているんだ。
要塞砲が動くことから電源もあるようで、暖色の照明が室内を照らしている。
内部では、この場にいる全員が囲める大きな机に、僕たちと騎士皇、他にも数人の騎士たちが着座し、サクラとテュルケ、アガスティナさんが配膳する料理を眺めていた。
「客人にして、此度の戦の功労者に対し、もう少しマシな料理はなかったのか?」
「陛下、そもそもが客人をもてなすような食材を積載していませんでした」
「それもそうだ、はっはっはっ! 許せ、心ばかりは歓迎しよう」
「は、はは……お気遣いなく……」
しばらくして配膳が済み、相変わらず僕を中心に左隣からリシィ、サクラ、アサギ、右隣はノウェム、ルテリア艦隊からファッザーニ提督とヤクマイン副長が並ぶ。
騎士皇の手前、侍従のテュルケとアガスティナさんだけは背後に控え、ポムは図体のせいで仕方なく停泊するカルヴァディオで留守番だ。
「まずは勝利を祝おうではないか! ところで、貴様は水でよいのか?」
「僕はお酒を飲むと記憶が飛ぶので……」
「そうか、致し方あるまい。皆、ご苦労であった、乾杯!」
「「「乾杯!!」」」
全員が一斉に飲み物の注がれた杯を掲げた。
騎士皇の言う通り、机には保存食ばかりだけど充分だろう。
レヴィアタン、そして白鯨討滅の祝賀会、それと同時に事後報告も兼ねているので、高らかに上げた祝福とは裏腹に皆の顔は沈んでいる。
まあ仕方ない、結局は墓守の掃討が終わる頃には一夜が明けて早朝となり、怪我の手当てや周辺調査をしたその日の夜だから、疲れも残っているんだ。
僕はひとまず、真っ赤な果肉のオレンジのような果物を口にした。
「お、酸っぱいけど甘い。疲れた体には沁みるな」
「どれでしょうか? あ、オレンタルですね。エルリヤ海の特産で、かつては“ブラッドオレンジ”とも呼ばれていたと来訪者の方がおっしゃっていました」
「へえ、名前も微妙に受け継がれているんだね」
「ふぐーっ!? 我には酸味が強すぎる! もっと甘いのをおくれっ!」
「まったく、ノウェムは子ども舌ね。これくらいを食べられないでふにゅっ!? す、すっぱいんうぅぅ……」
どうやら子ども舌は二人いるようだ。
それにしてもブラッドオレンジか……長い年月の間に植生は変わってしまっているけど、植物や果物の中には元の形を保っているものもいくつかあるそう。
「はっはっはっ! アガスティナ、焼き菓子を出してやれ。用意しているのだろう?」
「かしこまりました。この場では簡素な品ですが、すぐにお持ちいたします」
アガスティナさんは厨房があるらしい隣室に退出していく。
「騎士皇陛下、それで戦闘の結果についてですが……」
「気になるは当然よな。落ち着き食事とするには先に済ますべきであったか」
「すみません。性分なもので……」
「構わん。数字から言うならば、すでに告げた通り艦隊は壊滅。だが、多く存在する群島に退避できた者は多く、命を落としたものは二千五百余名よ」
「それでも、二千……五百……」
「そう肩を落とすな。かつて我が国がレヴィアタンの襲撃を受けた時は、一般人も含め死傷者は五万にも及んだ。二千五百は決して少なくないが、それでも強大な存在に対するのであれば僥倖と言わざるをえん」
「そうですよね……今は、僕たちも負傷者の治療に協力します」
「うむ、助かる。して、そちらの被害はどうだ?」
これにはファッザーニ提督が口を開いた。
「こちらの被害は、白鯨から射出された海鳥型墓守の特攻を受けた駆逐艦ニ隻が小破。爆発規模は小さかったために人的被害はなく、拳魚を相手に海兵六名が死傷、殉職は二名に留まっています」
「見事。その殉職者は俺の名において、最高の栄誉と我が国の歴史に永遠に名を残すことを約束しよう。無論、貴様らもな」
ファッザーニ提督とヤクマイン副長は頭を下げたけど、その表情は複雑だ。
部下の、仲間の死に、それが避けられないものだったとしても後悔は残るから。
僕だって、カルヴァリオのすべての乗組員を知るわけではないけど、まだ少しの時間でも同じ艦で寝食を共にしてきた彼らに思うことはあるんだ。
「皆の者、そう沈んだ顔をするでない。此度の戦が逝く者の誇りとなるよう、俺たちは心からの賛辞で見送ろうではないか」
「そうですね……。彼らに感謝を、そして安らげるように願います」
「わたしも、龍血の姫として英霊にいのりをささげるわ」
乾杯が、今度は献杯に変わる。
海上要塞群島に沈んだすべての英霊に、今はただ祈る。