第四十三話 襲来する海の悪魔
「第三戦速、とーりかーじ、進路2-1-0」
「第三せんそーく!」
「とーりかーじ! 取舵十五度」
装甲巡洋艦カルヴァディオは島影から出ると、進路をまだ遠いレヴィアタンの左側面へ回り込むように舵を切った。
「戦闘に備え」
艦で戦闘準備が進む間も、海上要塞群島からの砲音は途絶えることがない。
要塞砲はレヴィアタンを狙い轟音を立てているけど、砲座と化した戦列艦のカノン砲は近場まで接近する小型の墓守を狙っているようだ。
海面下すれすれを疾走するのは、間違いなく水中戦用の墓守だろう。
深い水場にさえ近づかなければ遭遇しないため、【重積層迷宮都市ラトレイア】では驚異にならなかった相手だ。
僕は双眼鏡を覗き、横隊で海上に幾筋もの白い波を残す墓守を追う。
“UNKNOWN 拳魚 VGS”
ディスプレイに映し出された情報は、所属不明、名称、分類記号を現している。
全長がおよそ三メートルの小型墓守で、外見を一言で言い表すのなら“腕の生えた魚”。名の由来はわからない。
アルテリア乗艦中にデータベースで確認した情報では、最も苦戦を強いられた水中の水棲種に対抗するための、“格闘潜水艦”というニッチな試作機らしい。
武装はアタッチメント式の“格闘腕”が左右に二本。現在の装備は水中で確認できないものの、換装可能な武装一覧には霊子力剣もあり、接近されたらまずい。
「テュルケ、海中の防御もできるか!?」
「海の中に伸ばせばいいです? それならできますです!」
「よし、頼む! ファッザーニ提督、段取り通りに!」
「了解した、海兵を先行させる。もどーせー」
「もどーせー! 舵中央、進路2-1-0、よーそろー!」
この時代では、“海兵”と言うと大体が水棲種のことだ。
後部甲板からはすでに海兵が海に飛び込み、迎撃準備を整えている。
さらに僕は、双眼鏡にレヴィアタンの巨体を収めて情報を確認する。
“UNKNOWN 白鯨”
これは、非常にまずい相手だ……。
分類記号がなく、コードネームだけで表示されるものは、現代期にエウロヴェの支配下の【天上の揺籃】で作られたものだと聞いた。
当然“鉄棺種図鑑”には名もなく、その詳細についてはアシュリーンでさえも情報を持たず、未知の機能を持つ可能性があるんだ。
それが今やレビィアタンと融合し、こちらに向かって海上を進んでいる。
「クサカ殿、あの墓守の詳細情報はあるか?」
「名は“白鯨”。判明している情報は、全長が百五十ニメートルということだけです。憶測するなら、拳魚の統制母艦でしょうか」
「全長であれば本艦はそれ以上だが、大きさで雌雄は決しまい」
ファッザーニ提督の言う通り、この装甲巡洋艦の全長は百八十三メートル。
基準排水量七千八百トン、主砲は五十口径二十センチ連装砲三基六門と、外観は高雄型でも諸元は青葉型重巡洋艦に近いものだ。
そして白鯨と融合したレヴィアタンはこれ以上に大きく、アガスティナさんからおよそ二百メートルとの情報を得た。
こちらの戦力もそれなりだけど、確実にこれまでとは違う戦いになる。
「方位角左五十度、仰角三十五度、敵速二十八ノット、距離一万、射撃用意よし!」
各部砲塔は左舷側を指向し、砲術長による射撃諸元の指示で目標を定めた。
すでに海中では海兵と拳魚の戦闘が始まり、レヴィアタンは要塞砲の砲撃に怯むことなく、ずんぐりとした胴体を海上に晒しながら直進している。
要塞砲はこの海域で最大口径の戦艦級四十センチ砲らしいけど、これでどうにもできないのならカルヴァディオの主砲も当てにはできないだろう。
これまでと同様……いやこれまで以上に、レヴィアタン討滅のためには考えうる攻撃手段をより多く重ねる必要があるんだ。
そんな続々と戦闘が始まる中で、袖を引かれた感触に視線を下ろすと、リシィが覚悟の赤と不安の青の同時に混じった瞳色で僕を見上げていた。
大丈夫だ、僕は彼女の覚悟に寄り添い、不安だろうと一緒に抱き締めて進む。
「主砲、撃ちー方始め」
「主砲、撃ちー方始め!」
――ドズンッ!!
号令により、噴煙を噴き出した主砲の全門斉射が艦を重く揺らした。
レヴィアタンはおよそ時速五十キロと速く、距離もまだ一万メートルと遠く、いくら的が大きくても初撃で全弾命中とはいかないだろう。
それでも、弧を描いた砲弾はしばらくあとに二弾命中四弾夾叉と、これまで対墓守の最前線にいたカルヴァリオの乗組員は練度の高さを示した。
「弾着、有効弾なし! 弾かれています!」
だけど、観測員が弾着を確認するも、レヴィアタンの表皮には少しの跡が残るだけで損傷を受けた様子はなかった。
その巨体が太陽光を受けて青緑色にキラリキラリと光る様子から、墓守に比類する装甲厚の“鱗”が存在するのは間違いない。
――ギィンッ! ヒュオォォォォッ……
続いて要塞砲の弾着があったけど、砲弾は入射角が浅く弾かれ、残響を残しながら一瞬で海の彼方へと消えていった。
「騎士皇はあれを斬り裂いたのか……。ファッザーニ提督、魚雷を命中させるにはどれだけ近づく必要がありますか?」
「レヴィアタンは艦船と違い旋回が速く海中にも潜る。確実な命中を期待するには、まず奴の動きを止める必要があるだろう」
この艦に搭載された魚雷は、三連装が両舷に一基ずつ計六本だけだ。
長い航海で魚雷の補充はできない。出し惜しみもできないとはいえ、やはりまず動きを止めないことには……何を、どうすればいい……。
魚雷の数を確認するように、カルヴァディオよりもさらにレヴィアタンの近くを航行する二隻の駆逐艦を見る。魚雷発射管は四連装三基十ニ本、使うならあちらだ。
――ドズンッ!
カルヴァディオの主砲六門によるニ斉射目が耳朶を叩く。
発砲は大体二十秒に一回で、徐々に進路をレヴィアタンに寄せているため、今度は四弾命中二弾夾叉と、激しい動きがない限りは安定した命中率だ。
だけどやはり損傷はなく、提督は弾種を徹甲弾に切り替えることを指示する。
「拳魚が近づいてますですっ!」
テュルケの声で海面を見ると拳魚の航跡が三本近づき、瞬時に一体が拉げて吹き飛び海上に残骸を散らした。海中に展開している海兵による迎撃だ。
だけど、残る二本の航跡が合間を抜けてこちらに迫る。
「えいやーっですですっ!!」
そして、艦直下の海中で金光が瞬き、拳魚の航跡は左舷から喫水下に突き刺さるように交差する。
僕は咄嗟にリシィを支えたものの衝撃はなく、右舷側の海上を見ると抜けた航跡は一本、残る二体のうち一体がどうなったかは艦橋からでは確認できない。
「どーんなもんだいですですっ!」
テュルケに手応えはあったようで、本艦に限っては拳魚の攻撃を凌げそうだ。
「レヴィアタンはこちらに見向きもしない。狙いは主島のようだ」
ファッザーニ提督は、拳魚襲撃の最中でもレヴィアタンを見据えている。
「おそらくは墓守の攻撃優先順位ですね。ルテリアが侵攻を受けた時も、防御陣地の大口径砲から狙われていました。僕たちは反航のまま背後に回り込み、レヴィアタンの動きを止めることに注力しましょう」
「了解した、我々は主島上陸を許す前にレヴィアタンの行き足を止める。クサカ殿、“軍師”とまで呼ばれるその手腕に期待し、改めてご助力を願おう」
「はい、できる限りを尽くします。僕にこそ、艦隊の力をお貸しください」
ファッザーニ提督は頷き、士官帽を深く被り直しながら艦の進路に視線を送る。
「最大戦速、取舵いっぱーい、進路1-5-0」
「最大せんそーく!」
「取舵いっぱーい! 取舵三十五度」
艦橋では操舵手が舵を勢いよく回し、軋む艦体は傾きながら徐々にレヴィアタンを目がけて進路を曲げ始めた。
レヴィアタンはこちらが艦首を向けても真っ直ぐに主島を目指し、このまま反応されずに進めば背後に回ることはそう難しくないように思える。
彼我の距離は先ほどよりも接近し、よりはっきりと背面まで見えるようになったその巨体は、頭から尾まで左右に完全に切り開かれていることがわかる。
そのわかたれたレヴィアタンを、両舷で纏うように融合しているのが真に討滅するべき相手、名の通りの鯨型特大墓守“白鯨”だ。
だけど、レヴィアタンは胴体の上半分だけを海上に晒し、狙う“足”は海の中。
足を止めるためには魚雷が必要で、確実に魚雷を当てるためには足を止める必要があるという、元も子もない状況をどう打破するか。
僕は思考する――。
鱗を抜くことができ、さらには行き足を止めることができる手段……。
その可能性がこの場にあるとしたら、たったひとつしかないじゃないか……。