第四十一話 壊滅し群島に沈む
僕たちは短艇に乗り込み、海上要塞群島の主島に近づく。
上陸するのは僕とリシィとサクラ、艦の防御にノウェムとテュルケとアサギ、それとポムを残し、装甲巡洋艦カルヴァディオからは副長と海兵ニ分隊が同行する。
島は木々に覆われてしまっているけど、基部となるのはやはりコンクリートや鋼鉄の装甲板で囲われた要塞のようだ。
その様子はこんもりと盛り上がる里山で、動物の鳴き声や鳥の羽音が聞こえることから、今となっては独立した生態系まで存在するのかもしれない。
そうして僕たちは、海に面した洞窟……いや、入口を植物の根で覆い隠された船渠に短艇で入り込んで係留する。
「メ、メイド……?」
内部は暗く鉄錆びが侵蝕するコンクリートに覆われ、突き出した桟橋の袂にランタンの明かりを向けると、そこには血濡れのメイドが一人佇んでいた。
これは、ちょっとしたホラーだ……。
「騎士皇直属の侍従騎士と見受ける! 騎士皇はご無事であられるか!」
声を上げたのはカルヴァディオの副長、ウァーンスラ ヤクマイン。
青い肌に鱗を特徴とする水棲種の男性が、両手を揃えて佇むメイドに尋ねた。
侍従騎士……つまりはお付きのメイドであり騎士でもあるわけか……。
騎士皇国ならではの役割を兼任する戦闘メイドなんだろう。
「私は侍従騎士アガスティナ、増援を今か今かとお待ちしておりました」
アガスティナと名乗った侍従騎士は、スカートをつまみ上げて礼をした。
白と赤のエプロンドレスに胸部と腕脚だけの部分甲冑を装備し、血に汚れてなお火の光で映える碧眼と長い金髪、さらに長く尖った耳の特徴は森霊種だろう。
美人なのは間違いないけど……彼女の血と泥で汚れた今の姿はこの先の凄惨な事実を物語っていて、あまり好ましい状況ではないようだ……。
こちらの呼びかけに反応がなかったのも……おそらくは、もう……。
「陛下がお待ちになられています。こちらへ」
アガスティナさんの声音は凛々しく疲労を感じさせないけど、それでも彼女は半身を引く一瞬だけ表情を歪め、緩慢な動作で建物の奥を指し示した。
―――
そして僕たちは、案内された施設内で目を背けたくなる惨状を目の当たりにする。
「う……ひどいわ……」
「サクラ、衛生員と協力して識別救急を。これでは……いや、一人でも多くを頼む」
「はい……!」
僕はサクラに重症度による治療優先順位識別の指示を出し、願いまで託し、それでもその多くが助からないだろうと諦観を胸に抱いてしまった。
状況はそれほどに酷い。
施設内は剥き出しのコンクリートが乏しい光源に照らされて寒々しく、床は水浸しのまま溢れ出した血で赤く染まっている。
壁にもたれかかり、床に横たわるのはエスクラディエの騎士たちだろう。原型を留めている者は少なく、誰も彼もが虫の息。僕たちが来たことにも気がついていない。
すぐにサクラとカルヴァディオの衛生員が彼らの容態を確認するけど、素人目に見ても動かすことすらできないのはわかる。
「陛下はこの奥の部屋におられます」
アガスティナさんは重傷の騎士たちの合間を通り抜け、奥の部屋を目指す。
呻く騎士たちを一瞥しながら何を思うのか、それでも淡々と歩みを進めている。
そうして僕とリシィ、ヤクマイン副長は、血に塗れた廃墟同然の廊下を進み、その先のランタンの火だけがぼんやりと明かりを漏らす部屋に案内された。
室内では、赤眼に暗い赤髪を持つ一人の男性が椅子にもたれかかっている。
年齢は四、五十代ほど、表情は疲労を滲ませるも不敵で精悍な様はそのままに、装備する黒鋼の鎧には赤色の意匠が施され、無数に残された傷跡は戦によるものだろう。
特徴は、シュティーラともナタエラ皇女殿下とも似た額の鬼角が二本と、他の騎士にはない真紅の外套を羽織っていることから、この御方が間違いなく騎士皇だ。
僕たちが入室すると、騎士皇は項垂れていた状態から顔を上げた。
「かような戦場に……年端もいかぬ娘子とは……。誰が寄越したか……ナタエラならば、皇位継承権を剥奪せねばならんな……」
「陛下……! わたしはリシィティアレルナ ルン テレイーズ、わけあってこのような姿になってしまっているけれど、一度お会いしたことはあるわ!」
「……この俺も耄碌したか。目の前の幼子がテレイーズの“龍血の姫”とは……面影はあるが、何をもって証明とするか」
「略唱、【銀恢の槍皇】!」
訝しむ騎士皇に対し、リシィは“証”とも言える銀槍を顕現させた。
小さな銀槍は頭上から穂先を下に向けて形成され、床に落下したところで脆くも崩れ去ってしまうけど、これでも充分な証明にはなるだろう。
騎士皇は表情を変えず、リシィと拡散する銀光の粒子を注意深く見ていた。
「どうやら、耄碌したわけでも血が足りないわけでもないようだ……。以前、余興で見た神器よりかは小さいが……幼子の姿に所以があるならば納得もしよう……。懐かしく思う、リシィティアレルナよ。して、貴様らは……?」
騎士皇の視線が今度は僕たちに向いた。
「僕は龍血の姫の騎士、カイト クサカと申します。来訪者です」
「ルテリア艦隊旗艦、装甲巡洋艦カルヴァディオ副長、名をウァーンスラ ヤクマインと申します。お目にかかれて光栄に存じます」
「ほう、ルテリア艦隊か……ここまで耐え凌いだ甲斐はあった……。にしても、かの楚々とした龍血の姫が男連れとは……騎士よ、貴様はリシィティアレルナのこれか?」
騎士皇はニヤリと笑って左手の小指を立てた。
こんな状態での冗談は、僕からしてみたらあまり笑えない。
「へ、陛下! カイトはあくまでもわたしの騎士なの! あ、いえ、わるくは思っていないけれど……そうではなく、わたしたちは事態の収拾にきたのよ!」
「幼子となった事情も聞きたかったが……まずは事態の収拾、その通りよ。現状は見たまま、俺も含め壊滅に等しき甚大な被害を受けた……」
騎士皇は普通に話しているけど、その姿は意識があることも不自然なほどだ。
特に、右半身を隠す真っ赤な外套の下がどうなっているのか……左肩の輪郭と比べると明らかに右肩……右腕そのものがないように思える。
頬には拭われた血の痕が残り、騎士皇もまた重傷を負っているんだ。
「アガスティナ、状況の説明を……」
「かしこまりました。状況は陛下の仰られた通り、壊滅です。主力艦隊五十四隻は、三度に渡るレビィアタンとの迎撃戦で全艦撃沈。およそ三万人いた騎士を含む乗組員もその数を減らし、この島では千人に足りません」
「そ、そんな……ほかに生き残りはいないの……?」
「海上要塞群島を構成する島数は百以上に及びますから、泳ぎ着くことができれば、あるいは多くが生き延びている可能性もあります。ご安心ください」
すでに被害が出ている以上は安心できないけど、それでもアガスティナさんは震えて驚愕するリシィに穏やかな表情を向けた。
「戦列艦が乗り上げていましたが……」
「旗艦オーヴァルクレイン。陛下の座乗する戦列艦はただ一隻だけ残され、あわやというところで浅瀬に乗り上げ砲座としました。その際、陛下は御身自らの右腕を犠牲に奥義を放ち、レビィアタンの討滅は成されました」
「え、それならもう……」
だけど、アガスティナさんは首を横に振ってより表情を険しくする。
「しかしその後、三つ巴となっていた墓守がレヴィアタンを取り込んだのです」
「なんだって……!?」
「現在は海底に沈んでおり、いつ再浮上するかわからない状態で、私たちは本国からの増援をお待ちしておりました。動ける者はオーヴァルクレインと海上要塞群島の砲座につき、警戒と迎撃態勢を整えております」
アガスティナさんはそこまで話し、お辞儀をしながら騎士皇の背後に下がった。
「……と言うわけだ。本国に残した艦隊を寄越すよう翼種を飛ばし、水棲種まで泳がせたが……代わりに来たのは貴様らだった……。如何に鋼鉄の艦といえど、墓守との融合海魔獣は容易くないぞ」
騎士皇の言う通りだ……。
エスクラディエ艦隊は壊滅……当然、ナタエラ皇女殿下も戦列艦を主軸とした増援艦隊を送ってはいるけど、船足が遅く到着までまだ日数はかかる。
しかも主力艦隊が壊滅した相手となると、かえって犠牲が増えるのも明確だ。
アルテリアを動かせれば……いや、ないものを強請っても仕方ない……。
「くっ……くっくっくっ、はっはっはっはっはっはっ! そうか、俺もやはり耄碌したか、今になって気づくとはな……」
「陛下!?」
僕が頭を抱えていると、突如として騎士皇が笑い始めた。
「そうか、貴様が“軍師”、“神滅の英雄”……龍血の姫の“銀灰の騎士”か!」
「え……確かにルテリアではそう呼ばれたことも……」
「武勇は聞き及んでいる。我が娘、シュティーラも貴様に与える褒章の大きさに頭を抱えていると聞くほどにな……。名乗っていなかったな、俺がエスクラディエ第六十五代目騎士皇、カイル イーミル エスクラディエだ」
「カイ……!?」
「似通う名を持つ者同士、貴様には期待しようではないか……!」