第三十六話 桜の親木に誓う
ナタエラが再び陶酔状態に陥ったことで私たちは解放され、日が沈んだあとでスグの屋敷に戻ってくることができた。
あのままだと確実に滞在中は抱きまくらにされかねなかったから、助かったわ。
「あっはっはっはっはっはっはっはっ!」
「スグさん、そろそろ落ち着いてください……」
「だってカイトくん、滑ってナタエラに突っ込むんだものぉ~ぷっ、あっはっはっはっはっはっはっはっ! 思い出すたびに笑えてくるよぉ~!」
んぅ、カイトったら……!
そうなの、偶然だとは思うけれど……彼はあのあと、砂に足を取られてナタエラの胸に顔から突っ込んだのよ……! 偶然だとはっ、思うけれどっ!
んぅぅぅ……もうもうっ! カイトったら本当にもーっ!
べ、べつにカイトがどうこうしようと知らないけれど、主としては放っておくこともできないから、私はソファの彼の隣に座って非難の目を向けているの。
「それは完全に不可抗力なんですが……。リシィ、本当だよ……?」
「しらないんだからっ! カイトだって け ん ぜ ん な男性だものねっ、おおきいほうが好きなのよねっ! ふんっ!」
「そんなことはないよ!? 僕はリシィの……そ、そう! 相手に対して向ける気持ちこそが何よりも大切だと思うんだ!!」
「あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!」
「笑わないでください!?」
『僕はリシィの……』なによっ! はっきりしないんだからっもうっ!
そんな曖昧な態度のせいで、またスグに笑われてしまっているわっ!
「本当に、カイトくんとリシィちゃんは見ていて飽きないなぁ~、ぷっ」
「そうであろう? 二人共どうにも不器用で見ている分にはおもしろいのだ」
「わたしもなのっ!?」
「うむ、自覚なしとはな。くふふ」
「ううぅー……」
ノウェムはこんな時ばかり知った顔で私をからかうんだから……!
「それはそうと、皇女殿下の血が刺さったのは……固有能力なんですか?」
「サクラコさん、これは言っていい話なんだっけぇ~?」
「はい。エスクラディエ皇族は、自らの力を抑止力としていますからね」
今は夕食時、皆で食卓を囲んで料理を口にする歓談の時間。
笑われてしまうのは不服だけれど、穏やかなひと時は満更でもないわ。
「ひとつ質問するけどぉ~。エルトゥナンは当然のこととして、テレイーズの固有能力も空間干渉系で間違いない?」
「え? 僕もリシィも詳しくは知りませんが、彼女の龍血が空の上の神器保管庫に干渉できる唯一のものだと考えています」
「ほぅほぅ、それは興味深い。いやね、エスクラディエ皇族は直系じゃないんだけど、神龍に縁のある一族でもあってね。エルトゥナン、テレイーズと同じく、血を介して空間に干渉する固有能力を持ってるんだよぉ~」
「刺さりましたけど……?」
「具体的には、血を介して空間を圧縮してるらしいんだよぉ~」
「つ、つまり……?」
「カイトくんに刺さってたのは先細りした空間そのもの。もし解放されてたら、刺さった部位が弾け飛んでたかもねぇ~。あっはっはっ!」
「笑いごとじゃないんですが!?」
自分たちのことなのに、私たちの固有能力はその仕組みをほとんど解明されていないのよね……。
それなのにカイトもスグも、私たちより今の世界の真理を理解しているような気がするわ……。私ももっと、自分の力について深く知りたい……。
「だけどそれなら納得はできます、エウロヴェは自分たちが“無”から生まれたと言っていましたから。とすると、固有能力は力の強いものほど根源に近い場所から事象を引き出している……。僕はそう考えます」
「興味深い話だけど、確かめる術はないねぇ~。それは私たちの世界では魔術師の領域だよ。私の志す学問はあくまで実態のあるものだから、固有能力の秘密を現実に引きずり出すには、それこそ神龍の協力が必要になるよぉ~」
「そう……ですよね……」
難しい話だけれど……これまでなにげなく使っていた金光の能力は、神が如き存在からの恩恵ではなく、今は“世界”そのものからの祝福だと思うの。
いつか、私たちの力がこの世界にとっても祝福になることを願うわ。
何者も争わずに済む、そんな幸多き祝福に……。
◆◆◆
思わず、皆を置き去りにスグさんと熱心に話し込んでしまった……。
今は夜もふけて自室で一人、お互いの考察について情報の整理をしている。
リシィは機嫌を損ねてしまったようで、さすがに今晩は一緒に寝るとは言い出さず、テュルケと一緒に自室へと戻っていった。少し残念には思うけど、そもそも一緒のベッドはいろいろと問題があるので僕からどうこうするつもりはない。
惚れた弱みというやつかな……どうも、お願いされたり駄々をこねられたりすると断れないんだ……。
リシィはあの姿だから、精神的にも余計なのかも知れないけど、元の姿だったらむしろ僕が我慢できなくなってしまうかも知れない……。
彼女を元に戻す手がかりが見つからないのは、胸の内で焦りもする……。
「カイトさん、少しよろしいですか?」
「ああ、大丈夫だよ」
扉を優しく叩く音と、サクラのくぐもった声が聞こえた。
夜分になんだろうと扉を開けると、立っていたのはサクラコさんだ。
「お……す、すみません、サクラと間違えました……」
「ふふ、構いませんよ。私たち親子は、話し方から雰囲気まで似ているそうですから」
「僕もそう思います、扉越しではわかりませんでした。と、とりあえず、中にどうぞ」
「はい、少し失礼させていただきますね」
サクラコさんは部屋に入り、僕が差し出した椅子に腰を掛けた。
所作や居住まいの淑やかさはサクラ以上の大人びた女性だけど、一見すると二十代にも見えることから、紹介されなければ“お姉さん”だと勘違いしただろう。
それでいて、地球人類種とアグニール焔獣種のハーフと、今目の前にいる彼女こそが遥か長い時を超えて誕生した神秘の結実だ。
「それで、どうかされしましたか?」
「こんな夜更けにごめんなさい。サクラのことでお話が……」
「え、あっ、僕は大丈夫です! いつもサクラにはお世話になっています!」
「ふふっ、娘はよい出会いに恵まれましたね」
おわぁ……サクラ以上の穏やかな微笑に僕は思わず見惚れてしまう。
よく似ているせいもあるけど、より母性が溢れているというか……思わず甘えたくなってしまうというか……た、旅路の疲れがまだ残っているのかも知れないな……。
「あ、ありがとうございます……」
「ふふ、娘は私と父の影響を受けて日本のことが好きです」
「はい、サクラと始めて会った時から、それはよく伝わっています」
「それで、親の口からは言い難いのですが……カイトさんは、あの娘にとって理想なのです。ですから、どうか側室にでも加えていただければと思い……」
「ふぉっ!?」
特に何かをしたわけではないけど、いつの間にか親公認の仲に……!?
「側室なんて、僕はべつに王族でも貴族でもないですよ……」
「ですが、姫殿下といずれは……私の勘違いだったでしょうか?」
「そ、そそそれは……わかりません……。リシィにも立場がありますから、騎士として最後まで共に歩むつもりではいますが……」
「ふふ、その実直さはまさにサクラの好みですね。それでなくとも、来訪者は一夫多妻を認められていますから……その理由が利に準ずるものだとしても、恩恵を受ける者にとっては気持ちの問題かと私は思います」
サクラコさんは柔らかく微笑んだまま、熱を帯びた視線で僕を見ている。
本気でサクラのことを思い、自分の娘の想いを叶えたいと願っているんだ。
だから、サクラコさんに対しては隠すことのない僕自身で向き合うべきだろう。
「自分で言うのもなんですが、僕は一途です。だけど、これまでずっと支えてくれたサクラのことは好ましく思い、彼女の気持ちにも応えたいと考えてもいます」
「まあ! でしたら、何も問題はありませんね! 親心の余計なお節介とは思いましたが、船出の前に私も安心することができました。意味や作法は失われて久しいですが、形だけでも神前式としたいところですね。ふふっ」
「ほわっ!? サクラコさん!? 気が早いです!」
「あ、ごめんなさい。そうですよね、まずはお互いが一歩ずつ関係を深めてから……。残念ですが、ここからは親が余計な手出しをしてはいけませんね。ふふふ」
そ、その割にサクラコさんは、先ほどのしっとりとした微笑とは違い、どこか無邪気さが見え隠れするいたずらっ子の笑みを浮かべている……。
ここで急にサクラや、ノウェムもそうだ……彼女たちとの関係をどうこうするわけではないけど、その心を何より大切に考えしっかりと向き合っていきたいんだ。
いろいろと大変だとは思うけど、無下にするつもりは最初からない。
「今はリシィがあの状態なのですぐにではないですが、そ、その……僕はサクラを好きなので、いずれは僕自身の気持ちをはっきりと伝えたいと思います」
「ふふ、本当にあの娘はよい殿方と巡り会えたようです。長い船旅では、娘を、サクラのことをよろしくお願いしますね。カイトさん」
「はい、ここで確かにお約束します」
僕は多くの想いを込め、サクラコさんの願いに対し然と頷いた。