第三十四話 皇女殿下からの依頼
まずいことになった……。
「取り乱したわ。招いておきながら失礼を許してもらえる?」
「構わん。主様も情報を欲しておる、進めてもらえるか」
「セーラムの主とは、逸話は聞き及んでいるわ。カイト クサカ様」
「僕はあくまでリシィの騎士です。皇女殿下に様付けされるのは……」
「それでは“カイト”ね」
「助かります」
しばらく陶酔状態だったナタエラ皇女殿下は、いくら待っても戻りそうになかったので、スグさんが声をかけてようやく正気を取り戻した。
と、そこまでは良かったんだけど……ソファに腰を下ろすや否や自分の膝を叩き、あろうことか情報と引き換えにリシィを抱き枕にすることを望んだんだ。
リシィは覚悟した……。エスクラディエの貿易を掌握しているということは、僕たちの知らない現在の世界の情報が集まっているはず。
だから……リシィはそれを引き出すために、あえて自らを抱き枕……贄となることを承諾してしまったんだ……!
「んにゅぅぅ……やぁぁ、なでないでぇ……」
くっ、おいたわしや……。
ノウェムもリシィの意思を尊重しているみたいだし、さすがのサクラもシュティーラを相手する時と同様に強くは出られない。
「それでは、質問に答えようかしら。今のわたくしは気分がよいの、不用意なこともついつい話してしまうかも知れないわ。それもこれもこんな可愛らしい……」
「ナタエラ、客人の前でまたヨダレが垂れてるよぉ~」
「あらいやだっ! わたくしったらはしたないっ!」
本当に大丈夫だろうか……。
「質問の前に、僕たちを招いた用件をお聞きしたいのですが……」
皇女殿下は首を傾げた。
ああ、なんとなくわかった……。シュティーラからの書簡に何が書いてあったのかはわからないけど、これは幼女姿のリシィが目的なだけだな……。
だから特に用はない、公になったとしても外交的な奉迎で理由はつく。
「わたくしが、リシィに会いたかったのよ」
「そうかと存じ上げます」
「んぅっ、やぁぁっ、頬擦りしないでぇぇっ! うぅ……カイトォ……」
ナタエラ皇女殿下は自分の膝上のリシィに対しやりたい放題だ。
今のところは撫でられ頬擦りされているだけなんだけど、肌を撫でる皇女殿下の手つきは別の生き物のようで、リシィの声が徐々に上ずっていくのはわかる。
一国の姫と皇女として、何かと会う機会があったんだろうけど、そのたびにあれでは苦手意識が芽生えてしまうのもよーくわかる。
「で、では、そうですね……スグさんからも話を聞きましたが、テレイーズを目指して航海するに当たり、墓守や魔物の動きで注意しておくことはありますか?」
「あら、まずは道中の安全から確認するのね。“英雄”とまで呼ばれる所以はさすがといったところかしら」
「何かまずかったですか……?」
「そんなことはないわ。わたくしが常日頃から相手にする多くは、自らの利を優先する貴族や商人ばかりだから珍しかっただけよ。好印象だわ」
皇女殿下はそう話している間も、リシィの口元にお菓子を運んでは拒絶されている。
「それについてはっきりと告げるのなら、リシィの安全までを考慮し、海路はおすすめできないわね。護衛がルテリア艦隊といえども海に飲まれることとなるわ」
「海に飲まれる……?」
「大海魔獣レヴィアタン、南エルリヤ海で姿を現したとつい今しがた報告を受けたばかりなのよ。現出地域の海上要塞群島では、二ヶ月ほど前からお父様……騎士皇が墓守掃滅のため指揮を執っているけれど、少し心配だわ」
「なん……」
「カイトさん、まるで私たちを阻むような……」
「これはさすがに偶然だと思いたい……」
サクラの懸念はもっともだけど、そうと判断できるだけの情報がない。
レヴィアタン――日本では“リヴァイアサン”と呼ぶほうが馴染みのある、旧約聖書に登場する海の怪物、もしくは悪魔だ。
姿形は多様に描かれ、その中には海龍の姿で描写される物語もあることから、姿形の似通う神龍に近しく生み出された個体の可能性がある。厄介だな。
それにしても……。
「墓守の掃滅に、皇様が直接前線まで出ているんですか?」
「当然、ここは騎士皇国なのよ? 最大戦力である騎士皇が陣頭指揮を執ることこそが皇族たる矜持。わたくしも、シュティーラと剣を交えるくらいはやれてよ」
「そ、それは失礼しました。確かに、武に秀でた国と聞いていました」
つまり、現在この皇城に騎士皇は不在だったのか。
「とはいえ主様よ、陸路は我が力を振るわねば踏破も困難ぞ?」
「ノウェムさんの仰る通りです。東には数千メートル級の大亀裂がありますから、陸路を進むにしても、越えるまでは海上を船で進むのが通例となっています」
「そうなってくると、ルテリアに戻って輸送機の修復を待ったほうがいいか……?」
「大亀裂には翼竜の巣もありますから、現状での判断は難しいですね」
「そうか……」
いちおう半分だけ来た道を戻れば、アシュリーンがルテリアとアーキィル間の通信を確立しているので、彼女に判断を仰ぐことはできる。
「それ以外で迂回はできないんですか?」
「できるよぉ~。大陸を回り込んでさらに時間がかかるけど、ぶっちゃけ航海期間が伸びたら、それはそれで魔物にも墓守にも襲撃される機会も増えるねぇ~」
「結局、どの道を選択しようとも旅路である以上は危険と……」
「それについて、現状を知らせた上でわたくしから提案があるのだけれど、よろしくて?」
これまでリシィを撫でくり回していたナタエラ皇女殿下は、この時に始めて手の動きを止め、至極真面目な表情で向き直った。
おそらくは、これこそが本来の対外的な皇女殿下の姿なんだろう。
「はい、聞きます」
「墓守との海上戦闘に際し、以前シュティーラにルテリア艦隊の援護を求めたことがあったのだけれど、素気なく返されてしまったのよ」
「それは、提案の内容はなんとなく察しがつきました」
「さすがね、リシィは良き騎士を見つけたようで、わたくしも安心だわ」
「ありがとうございます。つまり、僕たちに予定通りの航路をと仰るわけですね」
「聞くところによると、艦隊はあなたたちの指示に従うようシュティーラから命令を受けているそうだから、道すがらの艦砲射撃を正式に依頼するわ。どう足掻こうとも条約が足枷となり、いまだに帆船のうちの艦隊では相手にならないのよ」
「ルテリア艦隊が指示に従うというのは初耳です……。僕たちに正式な指揮権はないので、合流してからの相談となりますが……」
「それで構わないわ」
聞いた話では、確かに鋼鉄製の近代化艦船はルテリアのみの禁制らしい。
そのため多くの国ではいまだに帆船が主力となり、近隣に存在する【神代遺構】の恩恵によっては、それ以外の動力船もあるかも知れないとのこと。
これまでは、墓守に対抗する必要のあったルテリアのみが唯一の例外だっただけで、世界中に脅威が拡散してしまった以上は変える必要のある部分だ。
「僕としては皆の安全が第一なので、依頼を受けるだけの理由があればと」
「そうね。人に対する道中の安全を保証するわ」
「ずいぶんと漠然としていますが……」
「甘く見ないでもらえるかしら。わたくしの保証といったら、エスクラディエ騎士皇国の後ろ盾ともなるのよ。それはつまるところ、あなたたちに三十万の騎士が付き従うも同然のこと、世界有数の犯罪組織であろうとおいそれと手を出せないわ」
「すみません。数字上はよくわかりますが、実際に旅をするのは僕たちだけで効果のあるものなんですか?」
実際問題として、エスクラディエを出てしまえば何があろうとも三十万の騎士が駆けつけることはなく、相手によっては意味をなさないものだ。
「あるわ。シュティーラの御印を持っているでしょう、そこにわたくしの御印まで加わった場合、各地の同盟国からもあらゆる優遇措置を受けられるわ。もちろん、物資であれ権限であれ、他に必要なものはすべて用意するつもりよ」
「すべては、かなり破格に思えますが……」
「よいのよ。リシィの無事がわたくしにとっては何よりなのだから」
「なるほど……」
結局そこに終始するのなら、変な話だけどこれ以上にない信頼ともなる。
「リシィ、依頼を受けてしまえばレヴィアタンと墓守の戦闘域に踏み込むこととなる。墓守が拡散した世界で、どこを進むにも危険がつきまとうのなら……」
「受けるわ。わたしたちは、いつだって守るべき者のためになんだから」
そう答えたリシィの瞳は夕陽色で、僕を真正面から映している。
「聞くまでもなかったか……。さすがは僕の姫さまだ」
「んにゅ……べ、べちゅにカイトのものになったわけではごにょごにょ……」
「はぁああぁぁぁぁっ! このようなリシィの反応は始めてだわっ! 初々しいわっ! ああぁぁぁぁぁぁんっ! 思わず身悶えてしまうほどの可愛らしさに、レヴィアタンなんてどうでもよいから代わりにリシィをいただけないかしらと、首を縦に振るまで監禁したいほどだわっ! どうかしら? ねえ、どうかしらっ!?」
「ダメです」
「そうよね、リシィの騎士だものね……ならあなたも一緒に……」
「ダメです」
「つれないわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
皇女たるや伊達ではない、と見直してすぐにこれだ……。
同一人物か疑わしいほどに再び陶酔状態に陥った皇女殿下を前に、僕たちは粛々と正式な依頼の手続きを進めることとなった……。