第三十話 再会 船旅の前に
「海側はずいぶんと趣が違うんだな」
「はい。外洋からの玄関口になることと、建物を再建したことで、新市街区と旧市街区では建築年代に開きがあるそうですね」
「再建? 何かあったのか?」
「私も詳細は知りませんが、二十五年ほど前に海魔獣が襲来したと聞いています」
「か、海魔獣……航海の途中で遭遇しないことを祈るけど……」
「エスクラディエで討滅された個体を最後に目撃情報もないそうですから、私たちが遭遇する可能性は限りなく低いかと思います」
「うん、どのみち海での戦闘はルテリア艦隊に頼るしかないし」
「そうですね、私も泳げないので……」
「え、意外だ……」
サクラは一通り説明すると恥ずかしそうに俯いてしまった。
新市街区――馬車を走らせて壁沿いに進むと狭かった道は徐々に開け始め、潮の香りが強くなってきた辺りで街の雰囲気をガラリと変えた。
褐色の西洋風の町並みが、象牙色のリゾード風の街並みになったんだ。装飾の類は変わらずに赤色が象徴だけど、印象的には写真でしか見たことのない地中海の観光地と言ったところだ。
外周を回った路は街中を目指す進路となり、路幅はそう変わらずに二車線を維持しているものの、露天がなくなった分は滑らかに移動できている。
そして、さすがは騎士皇国。街中の至るところに騎士の姿があり、分隊単位で行進する様は規律正しく、その抑止力は犯罪を未然に防いでいるのかも知れない。
「サクラ~~ッ! サ~ク~ラ~~~~ッ!」
通り過ぎる騎士隊を眺めていると、通りの先に手を振る人がいた。
遠目にも黒髪とわかるから、あの人が約束の日本人で間違いないだろう。
彼女の隣にはもう一人、獣種の女性が淑やかに佇んでいて、話に聞く限りではサクラの母親ということだから僕は何となく緊張してしまっている。
やがて、馬車は彼女たちに近づいたところで路肩に止められた。
「お母さん! スグさん!」
「おはぁ~、ひっさしぶりぃ~。しばらく見ないうちに綺麗になったねぇ~」
「サクラ、良く来ましたね。元気そうで何よりです」
サクラは馬車から飛び降りて二人の手を取った。嬉しそうだ。
僕もそんな再会を眺めながら、リシィの脇を抱えて一緒に馬車を降りる。
一人では降りられないから、本人は不服そうだけど今は仕方がない。
「カイト、ありがと……」
「うん、我が君のためならお安い御用さ」
「ん……あれがサクラのおかあさまなのね。そっくりだわ」
「本当に、姉妹だと言われてもしっくりくるくらいだ」
さすがは親子か、年齢相応の淑やかさにしっとりとした雰囲気をまとう美人は、サクラが成長した姿と言っても良いだろう。
髪は緩くウェーブする暗いショコラブラウン色で、左肩から体の前面に流されリボンで結ばれている。瞳は桜色……ではなく、赤みが強い赤銅色。
そして服装は淡い橙色の着物と、サクラの日本好きは母親の影響もあるようだ。
もちろん犬耳と尻尾を備え、サクラに良く似て優しげな微笑を浮かべているものの、腰にはベルトで吊るされた日本刀が一振り……。
地球人類種とアグニール焔獣種のハーフだ、やはり凄いんだろうな……。
「カイト……いやらしい目でみていないわよね……?」
「断じて見ていません!! 断じてっ!!」
「それならいいのだけれど……」
「そちらがサクラの担当するお方と、テレイーズの……」
リシィにジト目で見上げられながら、サクラの母親とも目が合った。
「あっ、ご紹介します。カイトさん、こちらが私の母のサクラコ ファラウェア。もうお一方が優理 宮都さん、私の古い友人でもあります」
「初めまして、カイト クサカと言います。サクラにはいつもお世話になっています」
母親も同じ“サクラ”なんだなと気になりつつも、僕はまず丁寧に頭を下げた。
「ふふっ、良いお方に巡り会えたようで、サクラの母として私も嬉しく思います」
「はっ!? あっ、ありがとうございます!」
思わず心臓が跳ねてしまった……。
サクラコさんの微笑は、極上を通り越して天上にまで至りそうだったからだ。
この笑顔を向けてもらえるのなら、もう他には何もいらないと思えてしまうほどのあまりにも麗しい笑顔……。サクラもいずれはこうなるのだろうか……。
そんな風にドギマギと胸を高鳴らせていると、もう一人の女性……ミヤトさんが近づいてきて、僕の全身を興味深そうに眺め始めた。
「ふむふむふむ、知ってるよぉ、君のことはサクラが手紙で知らせてくれていたからぁ~。よっぽど気に入られたんだねぇ、にくいなぁ~、このこのぉ~」
「おふっ……えーと、ミヤトさん? や、やめてください」
「『スグさん』か『スグリ先生』でいいよぉ~」
「そ、それなら、スグさん……」
何か、スグさんの印象は誰かを思い起こすな……。
とりあえず、この後はサクラが全員分の紹介をしてくれた。
リシィの事情も手紙で伝えてあるそうなので、ひとまずは安心だ。
こうして僕たちは、しばらくお世話になる彼女たちに迎え入れられた。
―――
「えっ!? アケノさんと親友なんですか!?」
「そうだよぉ~。馬が合うって言うのかな、この世界じゃ数少ない日本人同士だし、アケノとは姉妹みたいなもんかなぁ~。あ、昨日も来てたよ」
「……?」
冗談かな? あの人、ルテリアに残らなかったか?
実は今でも周りにいて、名前を呼ぶと出てくるとかはないよな?
スグさんは年上のようだけど、大きくタレ気味な目のせいで若干幼く見える。
前髪は切り揃えられ、真っ直ぐの黒髪が腰の辺りまで長く伸びていることから、赤縁の眼鏡をかけていなかったら日本人形に見えていたかも知れない。
サクラコさんが彼女の担当になった理由だったりして……?
服装はシャツにスカートと至って普通の町娘の格好に、白衣のような異国の意匠が施されたロングコートを羽織っているので、先生と言われればそうも見える。
「それよりもさぁ、いろいろと気になることがあって、調べさせてくれるよねぇ~?」
「な、何をですか……?」
スグさんの視線が、適当に腰を落ち着けている部屋中を巡る。
僕の腕、リシィ、ノウェム、アサギの銃器類、ついでにテュルケのお胸様と、彼女は教師として招かれるほどだから、知的好奇心の塊なのは合点がいった。
室内は館の外観を見た時の印象と変わらず、広々とした地中海リゾート風で開口部から流れ込む潮風が穏やかで心地好い。
海が近い割には湿度もそう高くなく気温もちょうど良いので、しばらく旅の疲れを癒やすにはこれ以上ない環境だろう。
だというのに、僕の周りの密度は高いんだよな……。
「リシィ、ノウェム、大丈夫だよ。解剖されるわけでもないし……」
「それはどうかなぁ~?」
「ひぅっ!?」
「うぐぅっ!?」
スグさんとは低い葉型の机を挟み、やはり座面の低い椅子に腰を落ち着け対面している。
そんなゆったりとした環境にもかかわらず、リシィとノウェムはここに来た時から僕の後ろで隠れるようにしているんだ。
「あの……スグさんは小さい娘がお好きですか?」
「もちろんだともぉ~! 中身は関係ない、むしろ合法は最高じゃないかっ!」
「で、できれば愛でるだけで……」
「うふふうふ、だいじょぶだいじょぶ、痛いことはないからぁ~」
サクラとサクラコさんは親子水入らず、奥の厨房に二人で行ってしまった。
テュルケはうわぁ~とでも言いたげな表情で離れて荷物の整理をし、アサギは相変わらず我関せずと部屋の隅で銃器の手入れをしている。
そんな中でスグさんは、人類を補完する計画でも立てそうなどこかの総司令のような手を組むポーズを取りながら、僕の背後に鋭く眼光を送っているんだ。
リシィとノウェムは、この獣の目に先ほどから怯えていたのか……。
「あ、主様っ、あやつはまずいのっ。あの目はっ、我の貞操の危機なのっ」
「ノ、ノウェムにどういするわっ。あれはえものを狩る者の目よっ! カイト、わたしの騎士として身をていしてまもりなさいっ!」
「う、うん……スグさん、ほどほどにお願いします」
「じゅるり……。幼女の怯える表情もなかなか乙なものだけどぉ~、嫌われたくないから君の言う通りほどほどにするよぉ~。これからのこともあるしねぇ」
スグさんは前のめりだった姿勢を正し、椅子の背もたれに体重をかけた。
「世界中に波及した【重積層迷宮都市ラトレイア】での騒動は、君たちも街の外を見てきた通り、各地に墓守とも呼ばれる【鉄棺種】を分散させてしまったんだ」
彼女は急に雰囲気を変えたものの、それは話の内容に従ったせいだろう。
「はい、知っています……」
「これによるさらなる問題は、その墓守に生存域を脅かされた生態系まで、ついでに変化が訪れていることだねぇ~」
「それは……つまりどのように……」
「テレイーズを目指している君たちの前に、もしかしたら深海から浮上する何かが現れるかも知れないと言う話さ。この旅はきっと困難なものになるよぉ~」
それはともすれば、聞いたばかりの海魔獣……まさか……。
「さあ、詳しい情報の擦り合わせをしようじゃないかぁ~。君たちの向かう、元は日本と呼ばれた地に帰還を果たすためにもっ!」
「……っ!? 気がついて……!?」
「うふふうふ、遺構なんてそこかしこにあるからねぇ~。気がつくさぁ~」
話の途中ですが、これにて第十章本編の終了となります。
ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
続きまして、ルテリアに残ったモリヤマたち自衛隊の様子を描く小話を挟み、引き続き第十一章の開始となります。
そして彼らの旅はいよいよ海を渡り、戦闘艦による海戦から海賊の襲来など、まだまだ見どころ盛りだくさんでお送りします。
新たな敵性が現出する中、果たしてカイトたちは海上で上手く立ち回れるのか……。
お楽しみいただけたら幸いです!