第二十八話 のどかな旅路 最初の目的地
皆が蒸し風呂でフラフラになる大惨事が起きてから、今日で十日が過ぎた。
原因としては、そもそもが慣れない蒸し風呂だったこと、そして揃いも揃って緊張から心拍が異常に上がっていたことによるものだ。
あれからは貸し切りも断固として断り、通常の営業時間に男女別で入浴することにしたので問題は起きていない。
入浴は最も隙が生まれる無防備な時間でもあるから、サクラが頑なに傍にいようとしたのは心配するあまりだったんだ。
「それじゃあ、後のことはよろしく頼む。アシュリン」
「アシュリンにお任せなのよ。さっすがに直ぐは解放できないから、役割を終えた後はしばらく凍結状態で封鎖しておくのよ」
「それが良い。解放はいつか人々が正しく扱えるようになった時にでも」
「カイトしゃんのお願いは、アシュリンにとって絶対なのよ~」
アシュリンはそう言うとにこやかに笑った。
今はヘルムヴィーゲの姿なので少し印象が異なる。
「お兄さん、お姉さんたちモ、また会えるよネ?」
「ああ、縁があった以上は帰ってきた時にでもまた立ち寄るよ」
「ボクは、お母さんが目を覚ましたら一度ルテリアに行ってみるつもリ」
「そうか。それなら次に会えるとしたらルテリアでかな」
「うん、待ってるヨ」
ネルの母親が眠る施設は、配達を依頼していた書簡が届けられたあと、空を単独で飛んできたアシュリーンによって調査が行われた。
電力や一部機能の復旧はまだだけど、それも近いうちに改善することで、実際の目覚めはさらに前倒しできるそうだ。
神代遺構【九嘆禍原】――元々は“方舟”というより、オービタルリングに繋留されていた移民船の生体保護ベース、そして特殊医療区画に当たるもの。
これは移民先の惑星環境に合わせ、地球から連れ込んだ動物に遺伝子操作を施すこともできるらしく、それが暴走し魔獣を生み出してしまったとのこと。
ここは探索者の働きで封じ込めに成功したけど、世界中ではいまだに同様の遺構が稼働しているとも聞くから、つくづくろくなものが残っていない。
今のこの世界で、“魔物”と呼ばれる存在の脅威をなくすためには、その大本となる神代遺構のすべてを停止しなければならないんだ。
「カイトさん、支度は整いました。いつでも出発できます」
「うん、名残惜しいけど、明るいうちにできるだけ進もう」
「はい、まだまだ遠いですからね」
「それじゃ、僕たちは行くよ。ネル、お母さんと仲良くな」
「お兄さん、お姉さんたチ、本当にありがとうございましタ!」
「アシュリン、皆にも僕たちは無事に旅を続けていると伝えておいて。次は……」
「直ぐなのよ。原型を留めている輸送機を見つけたから、次はおみやげを持ってカイトしゃんのアシュリンが駆けつけるのよ~」
「はは、それは頼もしいな。その時を楽しみにしているよ」
そうして、僕たちは半月を過ごした宿の前で馬車に乗り込む。
見送りはアシュリーンとネル、それに宿の従業員だけで、何かと恩を売ろうとするアーキィル騎士団長には伝えず、こっそりと出ていくことにしたんだ。
後ろ髪を引かれながらも僕が手綱を握ると、馬車は滑らかに走り出す。
皆は手を振り、見送りの姿が見えなくなるまでそう遠くない再開を願った。
―――
「カイトさん、本当に腕はもう大丈夫ですから、交代していただいても……」
「いや、特に何てことはないよ。サクラは盗賊の襲撃にだけ気を配っておいて」
「は、はいっ、物音を聞き逃さないようにしますね!」
サクラは犬耳をピンと立て、御者席の隣席から警戒を始めたけど、その表情は少し申し訳なさそうだ。
本人は大丈夫だと言うけど、まだ彼女の右上腕には痣が残っているので、完全に治るまで馬車の運転は僕とテュルケの交代で済ますつもり。
大事を取り、サクラにはあと一、ニ週間は大人しくしていてもらおう。
「んー、わたしにもできないかしら?」
「どうだろう、こうしてのんびりと進んでいる分には良いけど、手綱を強く引く状況がこないとも限らないからね。僕とテュルケに任せて」
「んにゅ……」
御者席には、サクラの他に僕を挟んでリシィも座っている。
「主様ぁ……乗り心地が格段に違うぞ。これでは体が鈍ってしまう……」
「はは、体が痛くなるよりはマシだよ。アシュリン様様だ」
余り物だったボロ馬車は、アシュリーンによって改良が施された。
足回りと居住性に手を加えられ、馬もアーキィルで最良のものと交換してもらったんだ。手綱が繋がる先では、新たな黒毛の馬が美しい筋肉を躍動させ、馬車を引くにもまるで負担なく大地を踏み締めている。
エスクラディエまでは、この調子であと二週間ほどとまだ遠い。
この街道はルテリアとの間を繋げる主要貿易路だから、常に巡回する騎士団が魔物掃討を行い、よほどのことがない限りは安全らしい。
その代わり、ルテリアからの高級物資を目的とする盗賊が出没するそうだけど、アサギが容赦なく銃を撃つから油断しなければどうとでもなるだろう。
風景は右に林、左に田園地帯が広がり、南下を続けたことでほんのりと暖かくなった気候が、のどかな旅路を演出してくれていた。
「エスクラディエから先は外洋かあ。何だかワクワクするな」
「カイトは船がすきだものね」
「そうなのですか? 初耳です」
「ああ、船もだけど、波に揺られる船旅は昔から憧れなんだ」
「サクラ、気をつけてね。船を見るカイトはまるでこどものようなのよ」
「ふふっ、それは是非とも目にしたいです。楽しみができました」
「はいですです! 私もお船は大好きですですっ!」
「おお、テュルケは同士か。船旅を楽しもうな!」
「はいですです~っ!」
僕たちの目的地、リシィの故郷となる“テレイーズ真龍国”は海を渡った先だ。
かつての戦争の痕跡や、一万年以上もの時間の経過が大陸を別の形に変え、地図を見たところで元がどこに当たるのかはわからなくなっている。
それでも、大陸の東の外れに存在し、細かく分断されてしまっているその島国は、ひょっとしたら日本なのではと僕は確信を持っていた。
時の隔たりが大きすぎて、かつてを思い起こすものは何も残されていないだろうけど、もしそうならこの時代で僕は自分自身の故郷も目指すこととなるんだ。
あれからどう変わってしまったのか……エウロヴェがいなくなった今、青光の柱もなくなっただろう東京には創生した大樹だけが残ったはず。
そのまま残っていたりはしないよな……。
「ふにゅ……のりごこちが良すぎるのもこまりものね……。気候もほどよくあたたかくて、眠くなってしまうわ……」
「そうだね。ノウェムなんかもう寝ているし、リシィも寝ていて良いよ」
「ん……わたしの夢が神龍テレイーズのゆくえの手がかりにもなるんだもの、そうさせてもらおうかしら……」
「ああ、まだまだ先は長い。休める時に休んでおいて」
「ええ、カイト……ひざをかりるわね……んぅ……」
リシィはよほど眠かったのか、幼女らしく目を擦りながら僕の膝に頭を落とし、直ぐ眠りに落ちてしまった。
あまりにも一瞬だったので、夢の中からテレイーズに呼ばれたのではないかとも思えてしまうくらいに。
寝息を立てるリシィを見下ろしながら、僕は左手で彼女の髪と頬を撫でる。
「んゆ……カイ……ト……だい……んにゅにゅ……」
「ん……? だい……?」
陽ざしはただ柔らかいばかりで、これからは何の波乱もないと告げているかのように、僕たちの道行きを穏やかに照らしていた。
―――
長旅を馬車に揺られ続け、街道沿いの宿場町に立ち寄りながら、今度こそ何ごともなく二週間の道程が過ぎた。
なだらかな丘を越えたところで、僕たちはようやくその街並みを目にする。
「うわ、想像していたものと違う……。あれは城ではなく、神代遺構か……?」
「はい、詳しくは知りませんが、神代遺構を城として周囲に街が造られ、今の形になっていったと聞かされています」
「なるほど……。確かに遺構の強固さなら城塞にもなりそうだ」
まだ数十キロは離れているけど、エスクラディエ城の威容は良くわかった。
外壁に囲まれた街はルテリアとさほど変わりないけど、その中心部にそびえ立つのが、基部から迫り出した二対の構造物を持つ謎の【神代遺構】だ。
「テュルケ、双眼鏡を取って」
「はいですです! どうぞです~」
この双眼鏡はリストに載っていれば詳細が出る、今こそ活用する時だろう。
……
…………
………………
そして、双眼鏡のレンズ越しに改めて城を見た僕は驚いた。
“E.F.S. エスクラディエ CVSAー13”
これは、アシュリーンが以前、アルテリアを呼称した識別名と似ている。
とすると艦種識別記号、“CV”は間違いなく“航空母艦”を意味するものだ。
エスクラディエ騎士皇国……つまりここも、大戦時に落着した航宙艦を拠り所とし、やがて大国となるまで発展した歴史を持つ国なんだ……。
人類が滅びてしまった後も、その遺産を糧に世界は連綿と続いている……。