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第二十五話 団らん 父と母と娘と

 ――【九嘆禍原】にほど近いレストランの一角。



「それじゃあ……サ、サクラ、はい」



 サクラは恥ずかしそうに、それでも素直に口を開けてくれる。


 そうして、僕はサクラの口元まで一口大に千切ったパンを運び、だけど彼女は焦ったのか何なのか手を離す前に口を閉じてしまったんだ。

 指に触れたのは柔らかい唇の感触。自分のものとはまるで違う驚くほどの瑞々しさに、僕は慌てて先端だけが飲み込まれた指を引き抜いた。



「んっ……」



 サクラは物憂げな視線を僕に向けながら、静々とパンを咀嚼している。


 昼食時をだいぶ過ぎた店内は席が三分の一程度しか埋まっていないものの、この場を支配する妙な沈黙は何だろうか。

 皆は料理を食べ進めながら、視線だけは僕とサクラを交互に行ったり来たりして、何か言いたげにそれでも何も言わず、恨めしそうにただ見守っているだけ。


 だから僕は冷静に、できるだけ皆を刺激しないように、指先をお手拭きで拭ってから飲み物に口をつける。



「あの、ごめんなさい……カイトさんの指まで舐めてしまいました……」

「どぅふっ!? だだ、大丈夫。良く考えたらパンは片手でも食べられたね……」



 サクラはパンを飲み込んでから、今の出来事を率直に告げた。


 途端に周囲では沈黙が現実の物理現象となり、まるで気温が氷点下まで急激に下がってしまったような気がするけど、気のせいだ。


 今のサクラは先日の怪我で右腕を吊っているから、今度ばかりはと僕が食事の世話をしているのだけど、昨日からこの状況が続いて落ち着かない。

 わかっている。皆はサクラの状態に配慮し、駄々っ子となったリシィはもちろん、ノウェムでさえも今は仕方ないものと見守ってくれているんだ。


 ま、まあ、正直なことを言うと、心臓には悪い。



「カイトさん、魚の身を解していただけるだけでも助かります。あとはフォークでも食べられますから、ご無理はなさらないでください。皆さんも気にされますし……」


「う、うん、だけどサクラが気を遣う必要はないよ。これまでは僕のほうが支えられてきたから、積もり積もった感謝の気持ちを行動で示したい。だから今は……」


「そうね。サクラはがまんしすぎなの。わたしたちにはえんりょしないで」

「うむ、今回ばかりは我らが我慢する番だ。気にせず主様を頼るが良い」

「ですです! あっ、お茶は私が淹れますですです!」


「あ……皆さん、ありがとうございます……」



 普段は自分から蚊帳の外にいるアサギでさえも、今はコクコクと頷いている。


 今日は、何だっけ……確か“ドッキリドキドキ☆神代遺構じゃないよ☆アーキィル動物ふれあい公園だよ☆”に、午前中から行って見て回ったんだ。


 内部は管理階を除いた四階層分が動物園として一般に解放され、神代の……つまり僕の良く知る種の動物から、進化なり変異なりで新たに生まれた種まで、大体二百種以上があの中で生育されているとのこと。


 はしゃぐテュルケを先頭に、皆も皆で楽しげに見て回っていたけど、僕はその中でも厳重な檻で閉じ込められた魔獣区画に最も興味を引かれた。

 墓守以上に多様な形態でその種類の桁も違うから、今は遭遇頻度の高い魔獣の生態や構造、狩り方までを勉強している。この時代で生きていくのなら、いずれはどこかで遭遇することになるのかも知れないのだから。


 何にしても、お昼が回ってから一度表に出て入ったのが、今いるレストランだ。



「お兄さんとサクラお姉さんっテ、初めて会った時から夫婦みたいデ、何だか少し羨ましイ。ボクにはずっとお父さんしかいなかったかラ」


「んっ!?」

「んなっ!?」

「ふえぇっ!?」

「……(コクコク)」


「ふぉっ!? ネネネル、な、何を言っているんだい? 僕とサクラはまだそういう関係ではないから、変に誤解される発言は……アサギは何で頷いているんだ」


「カ、カイトさん……『まだ』と言うのは……その、つまり……あの……」



 あわわ……そういうこと(・・・・・・)もあるかも知れないと思っただけで、他意はない。


 サクラは恥ずかしそうに頬を赤く染め、両手の指先をもじもじと這わせながら上目遣いで僕を見詰めてくる。こうかはばつぐんだ!


 そ、それは良いとして、こんな時に一番の問題は二人のお姫さま……。



 ――ガタッガタタッ!



 案の定、リシィとノウェムは二人揃って立ち上がった。



「べっ、べつにっ、カイトが誰をおよめさんにしようとっ、主としてはじゆういしを尊重しゅるけれどっ……だからって、騎士にとって主がいちばんなのは変わらないんだからっ! べ、べつにわたしがカイトと……かんちがいしないでよねっ!」



 リシィはそうまくし立てながらも、表情はどこか悔しそうで泣きそうだ。



「小僧、なかなかに言いよるな……。だがしかし、現在において主様の妻は我の他におらぬがゆえ、その厳然たる事実だけは認識を改めよ! これはセーラムからの思し召しふにゅうっ!? あうじしゃまーっ!?」



 ノウェムに至ってはネルに詰め寄ったので、僕は手を伸ばして彼女の頬を軽く引っ張った。お餅みたいに伸びる。



「ノウェム、今は婚姻がどうとかでなくて、家族の団らんが大切だよ」

「む……すまぬな、そうであった。ネルよ、ならば我を母と思うが……」

「セーラム高等光翼種でモ、流石にボクより小さいト……」

「どの口が我をちんちくちんと言うのかふにゅっ! あうじしゃまーっ!?」



 ネルは僕たちのやり取りを見ておかしそうに笑っているけど、事実として彼の前で彼の両親は揃ったことがないんだ。

 このことで気を遣うのは違う。それでも今ばかりは、ネルも含めた僕たち家族団らんの時間を大切なものとして欲しいと願う。


 いずれは彼の母親が目覚め、今が良い思い出に変わるまで。



「そ、それでサクラ、今のは……そのうち……」


「ふふ、良いんですよ、カイトさんはいつだって正しく向き合ってくれます。私はいつまでもお待ちしていますから、今は順番にですね」


「ああ、それでも腕の怪我が良くなるまでは、できるだけサクラを優先するよ」


「はい♪ ありがとうございます♪」



 そうして、にこやかに笑ったサクラの背後から後光が差し込んだ。

 聖母がいるとしたら間違いなく彼女のことだろう、僕には勿体ないくらいだ。


 また今度、次こそ落ち着いた場所で尻尾のブラッシングでもしてあげたい。



「それじゃあ、まずはリシィから」

「な、なに……?」

「え、『はいあーん』して欲しいんだよね?」

「んにゅっ!?」

「にゅ?」




 ◇◇◇




 い、今の流れからどうしてそうなってしまったのかしら……。


 サクラのことを羨ましく思っていたのは確かだけれど……ネルが変なことを言い出すから、何か流れがおかしくなってしまったわ……。


 カイトは気にした様子もなく、私のスプーンを取ってシチューをすくった。



「べつにわたしはっ、そんなことを要求したつもりはないわっ!」


「あ、そうなのか。ごめん、勘違いして……なら、ノウェ……」

「ダメェッ! わたしにもあーんしてぇっ!」

「ええっ!? どっち!?」



 あああ……また私ではない“私”が急に出て来てしまった。


 こうして、まるで自分を俯瞰して見ているような私とは違う“私”が、確かに今も自分の中に存在している。

 いえ、ここまで来てもつい意地を張ってしまうだけで、確かに私と“私”の総意であることは確かなのだけれど……それでも表に出してしまうのは、私ではなく“私”の仕業……。本当に意味がわからないわ……。


 主張を違えたことでカイトは困惑してしまっているけれど、それでも彼はおそるおそるシチューを口元まで運んで食べさせてくれた。

 こんなことで途端に気持ちが晴れるなんて、私の心はずいぶんと軽いものね……カ、カイトにだけだけれどっ!



「んっんっ……おいちぃ」


「『おいちぃ』……!? ありがとうございますっ……!!」



 私が不意に漏らした言葉で、カイトは何故かやり遂げた表情をしているわ。

 何かしら……舌っ足らずは今の状態ではどうにもならないのだけれど……。



「ん、んぅ~~」



 続いてカイトは、シチューがついて汚れた私の口を拭ってくれた。

 こ、これでは夫婦どころか父と娘のようだわ……由々しき事態ね……。


 考えたことはないと言ってしまうと嘘になるけれど、わ、私だって彼とのこれからの将来を考えないわけではないの……。

 どうしたくても、国のことを考えると自身が望んだ通りにはいかない……。カイトにはルテリアに残ってもらってサクラと……とも考えたことだってあるわ……。


 だって、ようやく困難を乗り越えたのに、カイトをテレイーズの国に連れ帰ってしまったら……。私は……“”は……本当にどうしたいの……。



「あはは、お兄さんとリシィお姉さんはお父さんと娘のようだネ」


「んっ!?」

「はは、僕も娘ができたみたいな感覚だよ」



 こっ、これは本当に由々しき事態だわっ……!


 “私”が神龍テレイーズなら、お願いだから居場所を教えて……!

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