第十五話 普通の旅路も楽ではない
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「良い天気だ……平和なのは良いこと……」
「ふふ、そうですね。こんな日が続くことを願います」
フラグだな……。
僕たちは、墓守の残骸が撤去されたことを見届けてからフィレンテに戻った。
ガラトラン副団長は名誉挽回の機会が欲しかったようだけど、目指すエスクラディエで人を待たせているので、先へと進むことにしたんだ。
とはいえ、フィレンテでは足止めされていた人々が一斉に移動を始めたので、僕たちが戻る頃には乗り合い馬車はなくなってしまっていた。
馬車販売も在庫がなくなり、探索者ギルドの伝でようやく手に入れたのが、今乗っている中古の幌馬車だ。
フィレンテに戻ってから半日、翌朝に出立してから更に半日。
「エスクラディエまで二週間だっけ、それまでこの揺れは体が痛くなりそうだ」
「乗り合い馬車がなくなるとは思いませんでしたからね。こんなことになるのなら、ルテリアから馬車で移動するべきでした」
「モリヤマたちが送りたがっていたからなあ……」
手に入れた幌馬車は昔ながらのもので衝撃吸収機構がなく、街道の凹凸が車輪を伝わりもろに体まで響いてくる。
今はサクラと二人で御者席に座り、のんびりと流れる景色を眺めているけど、幌の中では旅慣れたリシィ、ノウェム、テュルケがお昼寝中だ。車内にはできるだけ布を敷き詰めたので、板張りのままの御者席よりはましかも知れない。
覗き込むと川の字になった三人と、最後尾で外を警戒するアサギが目に入る。
結局、アサギは色々と説明を求めても詳しく話してくれなかった。
大戦の影響により時系列が出鱈目だから、彼女が実はテレイーズから人型が生み出されたリシィの直接の始祖、なんてことがあっても不思議ではない。
もしくは、僕と同じく過去に飛んだ人々の末裔……答えは出ないな……。
「サクラはその、お尻とか痛くならない? 大丈夫か?」
「はい、私は大丈夫ですよ。カイトさんのお傍にいて、穏やかな陽ざしの下での緩やかな旅路は、何よりも願ってやまなかったことですから」
「そうか……たくさん心配かけたからね。エウロヴェ以上の脅威はさすがにないだろうし、こんな日々が続くように願うよ」
「はい♪」
本当に何事もない旅路の中で、僕たちはゴトゴトと馬車に揺られながら、時折通り過ぎるフィレンテに向かう商隊と挨拶を交わす。
同様に足止めされていたルテリアに物資を運ぶ商隊だろう。探索者の護衛付きで、規模の大きなものだと十台以上の車列と擦れ違うこともある。
各地で盗賊の襲撃が活発になっていると聞いたけど、これなら道中も安全かな。
こんな穏やかな日だ、今のうちにサクラには伝えたいことを伝えてしまおう。
「サクラ、僕に何かできることはないか?」
「え? あの……カイトさん……?」
「これまで支えられてばかりだったから、僕からもサクラに喜んでもらいたいんだ。遠慮はいらない、やりたいこと、欲しいもの、何でもできるだけ叶えるよ」
何でもとは大きく出たけど、本当にそのつもりで彼女には報いたい。
「そ、それでしたら……今は手綱を握っているので、あまり大それたことはできません……。ですから、このブラシで私の尻尾を梳いていただけますか?」
「えっ!? あ、うん、良いよ。喜んでやろう」
正直なところ、その大それたことまで覚悟していたけど謙虚だ。
サクラは荷物からブラシを取り出し、「失礼します」と言いながら僕の膝の上に尻尾を回してきた。
思えば触れたことはなかったけど、ブラッシングの必要があるのかと思えるほど艶々で滑らかで暖かく、それでいて最高のもふもふだ。
何か良い匂いもするので、これはむしろ僕のご褒美ではないだろうか……。
「そ、それでは失礼して……」
「はい……んっ……」
一房を撫でるように梳くと、サクラはピクリと反応した。
「驚くほど滑らかだね。とても綺麗だ」
「あ……ありがとうございます。嬉しいです」
ゴクリ……。何だか妙な気分にさせられるけど、隣では僕がブラシを動かすたびに、頬を赤く染めたサクラが切なそうに身を捩っている。
はぁー、ふぅー、平常心大事。今は彼女を喜ばせることだけに集中するんだ。
「サクラ、力加減はどう?」
「はい、カイトさんはお上手ですね。癖になってしまいそうです……」
「はは、別に今だけのつもりはないから。旅先でも、何かの時はいつでも頼んでくれて構わないよ」
「ありがとうございます。その時はまたお願いしますね、ふふ……んっ……」
み、身を捩る様が何とも色っぽい……。どうもいけないことをしている気分なんだけど、これは紳士力を試されているのか……くっ、平常心……平常心だ!
「ん? そういえば、あれほどひっきりなしに通っていた馬車列が途絶えたね」
「え……あ、そうですね。遠目にも街道を通る馬車は見当たりません」
出遅れた僕たちの馬車は一台。今まで途絶えることなく擦れ違っていた馬車列まで、今は少なくとも見える範囲に存在しなくなっていた。
ああ、これはあれだな……僕だったら見過ごさないと思う。
おあつらえ向きにここまでずっと森の道中だし、街道封鎖の対処のために騎士団の巡回も止まっているらしいし……“絶好の獲物”ってやつだ。
「サクラ、周辺に人の気配は?」
「はい? あ、何か……嫌な臭いが……」
「けっけっけっ! そこのボロ馬車ぁ止まりやがれぇっ! こんなところにぃ一台でとろとろ走ってると危ないぜあぁ!」
「こうなるよなあ……」
サクラの言う嫌な臭いの正体、それは森の中から現れた武装集団だった。
前方に五人、おそらくはすでに後方も取り囲まれ、その出で立ちは見たまま某世紀末の様相で、誰が見ても盗賊だとしか思えない親切な格好をしている。
「なあ“ぜ”の兄貴ぃ、すんげー上玉だぁ。売り払う前にお楽しみしないべあぁ?」
「けっけっけっ、それもそうだな“べ”の弟ぉ。金には困ってないから、しばらく俺たちに奉仕してもらうぜあぁ」
えーと、シマウマっぽいひょろ長い獣人が“ぜの兄貴”で、それよりも体格の良い熊の獣人が“べの弟”らしい。
酷い獣臭が鼻を突き、アディーテがいたら洗濯してもらいたいくらいだ。
「カイトさん、馬車の中に……」
「おぉっとぉ、妙な動きはしてくれるなよぉ。ルテリアからちょろまかしたこの【神代遺物】がぁ、てめぇらを痛い目ぇに合わせちまうぜあぁ?」
「なっ!? 【神代遺物】持ちか……!」
見ると、“ぜの兄貴”はいくつもの丸い穴が空いた鋼鉄の盾を持っている。
噂に聞く、露出してしまった迷宮から【神代遺物】を入手した盗賊だ。
その特性がわからない以上は、迂闊に近づくことも……。
「あっ! あの時の盗賊さんですです! また悪いことしてますです!?」
「べあっ!? あの時の可愛いメイドちゃん!? 何でここにべあぁっ!?」
騒動に目を覚ましたテュルケが、幌から顔を出して盗賊たちを指差した。
「知り合いか?」
「親方さんのお使いに行った時、私にぼっこぼこにされた盗賊さんですです!」
「おっ、おまっ!? そそれじゃ俺たちが弱いみたいじゃないぜあっ!?」
「弱いですです?」
「ぜあっ!?」
「うにゅ……なにかあったにょ……?」
「むぐぐ……ちょうど主様と良いところの夢だったのに……」
「べあぁっ!? じょじょ上玉がいっぱいべあぁっ! “ぜ”の兄貴ぃ!」
「“べ”の弟ぉ! こいつは行きがけの駄賃にちょうど良いぃ、ルテリアから逃げ出した甲斐があったもんぜあぁっ! 【神代遺物】の力、見るが良いぜあぁっ!!」
「……っ!?」
――ゴイイイイィィイイィィィィィィィィィィンッ!!
“ぜの兄貴”はそう言うと、隣に立っていた“べの弟”を鋼鉄の盾で殴った。
当然、頭を殴られた“べの弟”は、その重そうな巨体で街道に倒れてしまう。
「どうぜあぁっ! この黒くて大きくて硬い【神代遺物】! 最強ぜあぁっ!!」
……あ、わかった。
「“べの弟”が昏倒したけど、良いのか?」
「ぜあっ!? き、貴様ら、よよ良くも“べ”の弟ぜあぁぁああぁぁぁぁっ!!」
なるほど、間抜けなのも良くわかった。
それに本人は【神代遺物】と思っているようだけど、違うな。
あれはただの“たこ焼きの鉄板”だ。
「テュルケ、遭遇したのがあれで良かったね」
「ですです! また騎士団に引き渡しちゃいますですっ!」
――パパパンッパンッパンッ!
その時、馬車の背後からも妙にリズミカルな銃声が聞こえた。
「ぐぎゃ!」とか「へげっ!」とか「おかあちゃん!」とか、盗賊たちの痛々しい悲鳴が聞こえるので、アサギが容赦なく制圧したんだろう。
相手の獲物は、【神代遺物カッコワライ】と後は良くても剣だから、僕もハンドガンを一発撃てばそれで終わりそうだ。
「カイトさん、私は邪魔をされて少し不機嫌です」
「なんだかわからないけれど、やってしまってもかまわないわね」
「くふふふふふ、乙女の夢を邪魔する輩だ。死すら生ぬるいな」
「悪い人は、改心するまで“金光の柔壁”の中にぽーいですです~♪」
「と、言うわけだ」
「ぜ、ぜあぁっ……!?」