第九話 世界へ――
あの戦いから、眠っていた期間も含めて五ヶ月が経過した。
この間は体のリハビリと技の鍛錬、後は神力操作の習熟に費やし、ルテリアの治安維持にも協力しようとしたけど、これはシュティーラにもツルギさんにもはっきりと断られてしまったんだ。
おかげで神力の扱いに多少は慣れ、かつてのルコのような青光の剣は作り出せないまでも、騎士剣に纏わせるくらいはできるようになっている。
ルテリアの街も見て回ったけど、避難した人々も大部分が戻り、各地で再建が進んで以前の活気も戻ってきていた。
そして、今――。
「私の御印入りの短剣と証書だ。エスクラディエ領内では、これを出せば関所から皇城まで止めることはできん。リシィがその様では権威も何もないからな」
ルテリアの最外周第三防護壁を抜けた街の外、ここまで見送りに来てくれたシュティーラから派手な装飾の短剣と筒を渡された。
「シュティーラ、何から何までありがとう」
「構わん。貴様らに大恩があるのは我々こそだ。慌ただしく発つ友人にせめてもの礼を、次に戻る時は晩餐に招待しよう」
「ええ、このすがたでは恥ずかしいから……。かならず、ルテリアにもどるわ」
「その日を楽しみに、新たな迷宮探索拠点都市ルテリアで待つ」
そう、僕たちは今、外の世界へと向かい旅に出ようとしている。
「カイト殿、姫君、皆……すまん! 役目を果たした暁には必ずや後を追う! しばしの別れを惜しみ、今はただ見送ろう!」
「アウー、ごはんー、おにくー。アウー、後で追いかけるー」
残念なことに、ベルク師匠は防衛部隊の指揮を引き継ぐまで、アディーテは湖の調査が一段落するまで、今しばらくはこのまま残る。
僕としても後ろ髪を引かれる思いではあるけど、後から追いかけてくれるそうなので、きっとまた以前のように窮地に駆けつけてくれるに違いない。
「ベルク師匠、アディーテ、僕たちはのんびりと旅を続けながら待っています。そう遠くないうちにまた」
「ガーモッドきょう、アディーテ、かんしゃするわ。ほんとうにありがとう」
「くっ、カイト殿……姫君……何と勿体ないお言葉……!」
「アウー! おにくー!」
「はは、仕方がないな。はい干し肉、一切れだけだよ」
「アウーッ! カトーすきーっ!」
「カイトしゃん、一緒に行きたいけど……【虚空薬室】の後始末はアシュリンにしか出来ないのよ……。ブリュンヒルデを再起動できたら飛ばすから、それまでちょびーっとだけ傍を離れるのよ」
「ああ、アシュリン、君がいてくれて本当に良かった。これからもルテリアのことをよろしく頼む、待っているよ」
「い、言われなくてもなのよ……カイトしゃん……」
「また必ず会えるから、泣かないで」
アシュリーンは外見だけ怜悧なまま、目尻に薄っすらと涙を滲ませている。
ここまでの反応ができるとなると、もう人と何ら変わりはない。彼女は隣人として、既にこの街と、この世界にとって欠かせない存在なんだ。
不完全な施設状況のため、ブリュンヒルデの再生には手間取っているようだけど、お互いの言葉通りまた直ぐに会えるさ。
「カイくん、これは日本コミュニティのみんなから。体に気を付けてね」
「ルコ、ユキコさん、ゼンジさん、ありがとう。これはお弁当と……双眼鏡?」
「旅には必要でしょ? 一応神代遺物だよ、親方とサトウさんが修理したんだ」
「アシュリンも部品と設計図を提供したのよ!」
「はは、本当にありがとう。旅で活用させてもらうよ」
ルコと、彼女の背後ではユキコさんとゼンジさんも涙ぐんでいる。
「みんなも元気でね……。また帰って来るんだよね……?」
「ルコさん、私たちは世界間を跨ぐわけではありませんから、必ず戻ります。その間は、宿処の管理をよろしくお願いしますね」
「うんっ、任せてサクラちゃん!」
「ルコ、いろいろとありがとう。カイトを連れていくけれど、かならず一緒にもどるわ」
「あはっ! やっぱり小さくなったリシィちゃんは可愛い~。抱き枕に出来なかったのだけが心残りだよ~。帰って来たらお泊まり会しようね!」
「んっ!? そ、それはかんがえておくわっ!」
ルコはそんなことを言いながらリシィを抱え込んで離さない。
そういえば、何かと抱き枕にしようとして結局は逃げられていたっけ。
「ルコさんっ、その時は私も一緒にお願いしますですっ!」
「勿論テュルケちゃんも一緒にだよ~。帰りを待ってるからね!」
「人との別れとは、一時のものでもこうも寂しく思うのだな。主様」
「ノウェムは加わらなくても良いのか? 何気にルコのことは好きだよね?」
「むぅ、主様は良く見ておるな……。ああも抱き締められたらまた泣いてしまう」
「今くらいは別に良いと思うけど……」
「わ、我はっ、お祖母様とローウェの前で散々に泣いたっ! これ以上は枯れ果ててしまうのっ!」
「それなら、次に会える時のために涙は取っておかないとな」
「むむむぅ……」
皆が皆、それぞれの別れを惜しむ。
友人だけでなく、この場には見ず知らずの探索者や衛士、それに擦れ違うだけだった街の人々まで、旅立つ僕たちのために集まってくれている。
「はいはいっ、お姉さんからはこれをあげちゃうっ☆」
「アケノさんはこんな時まで変わりませんね。それとも内心では……」
「えっ! 縋りついて行かないでって泣きつけば良かった!? カイトくん、お姉さんと別れるのがそんなに嫌なの!? しょうがないな~、じゃあ……」
「ごめんなさい!! そんなことよりこれは……本?」
「そんなこととは何よ~、ぷんぷんっ! これ、ソウヤさんからの餞別よ。世界各地の街や神代遺構とか、様々な情報が注釈付きで記されている世界事典?」
「す、凄い……図書館だと曖昧だった部分まで……。僕がお礼を言っていたとお伝えください。本当にありがとうございます」
「ふっふ~、ひとつ貸しね!」
「ツルギさんに対してですよね!?」
アケノさんは相変わらず本心が良くわからない。
彼女がくれたのは分厚い大判の本だ。パラパラとページをめくると、街の地図や土地の高低差、各地の風景などの絵とともに、様々な情報が事細かにまとめられていて、これは旅をする上で何よりの贈り物だ。
ツルギさんは何かと忙しくしている人だから今はいないけど、ルテリアに戻ったら改めて自分の口からお礼を伝えたい。
「良いか、カートリッジはひとつにつき、霊子力の補充に二時間かかる。お前さんはぼーっとしてる割に無茶するから、残弾に気をつけろ。アサギ、聞いてるか?」
「……聞いてる。……わかった」
親方とサトウさんは、アサギに武装の注釈を何度となく説明している。
彼女も僕たちと一緒に行くこととなったのだけど、旅先では強化外骨格のメンテナンスができないことから、武装はアサルトライフルとハンドガンのみ。墓守を相手するには不足だけど、野盗などは一方的に相手取ることが可能だ。
サクラにばかり頼るわけにもいかないから、来訪者といえども銃器の扱いに長けたアサギの存在はとてもありがたい。
僕も大腿部のホルスターにハンドガン、ベルトには騎士剣と高周波振動短剣、後は小型の霊子力盾と物々しい装備はしている。
「アリー、そろそろ行ってしまうでゴザル。隠れてないでお別れを言うでゴザル」
「べっ、別に必要ないワッ! どうせ直ぐ戻って来るなら、お別れなんて……あっ」
皆の陰に隠れていたアリーと目があった。強気な口調の割には泣いている。
そうだよな、彼女は親元を引き離されて誰よりも別れが辛いはずなんだ。
「アリー、やることを終わらせたらできるだけ早く戻るよ」
「わかってるワッ! せ、せいぜい野盗にぶっ殺されないことネッ!」
「はは、気を付けるよ。ミラーも、後のことは頼んだ」
「拙者に全てお任せでゴザル! サクラさんと離れるのは忍びないが……“忍”とは、心に刃を隠し人知れず耐え忍ぶ者でゴザル!」
いつから忍になったのかは知らないけど、彼は圧倒的に大丈夫そうだ。
後は……。
「ヨエル、ムイタ、少し行ってくるな。ルニさん、色々とお世話になりました」
「カイトにいちゃん! 俺、にいちゃんが帰って来るまでに、大会を開けるくらい将棋を広めるよ!」
「にぃ~ちゃ~、ねぇ~ちゃ~、ババ~イ」
「皆様、ルテリアのことは私たちにお任せくださいなあ。お戻りになる日を心からお待ちしておりますわあ」
心が躍る、未知の世界への旅路に期待と不安が胸を鼓動させる。
“迷宮探索拠点都市ルテリア”――僕はこの街と人々が好きだ。
だから、僕たちは全てを終わらせてこの街に帰る。
「クサカ、こっちの準備はいつでも良いぞ。乗ってくれ」
モリヤマが73式装甲車の後部ハッチから乗り出して手招きした。
途中までは自衛隊の装甲車による送迎と至れり尽くせりだけど、僕たちの旅はまず“エスクラディエ騎士皇国”を目指すところから始まるんだ。
「ああ、わかった。みんな、名残惜しいけど行こうか」
「ええ、みな……いつかまた」
「はい。皆さん、行って参ります」
「さ、さっさと行くのだっ。これ以上は……ぐす」
「ううぅ、またですですーーーーっ!」
「……了解」
そして、僕たちは装甲車に乗り込み、手を振る多くの人々に見送られ、短くも既に故郷となった迷宮探索拠点都市ルテリアを後にした。
「お待ちくだされですぞー! ホイホイを! 皆様のホイホイをお忘れですぞーっ! お別れをっ! ホイホイにも何卒お別れをーーーーーーっ!!」
「……えーと、振り返らずに、僕たちは目的地を目指そう!」