第八話 旅立つ前のひととき
【岩窟湯殿】に通い始めて二週間が経過した。
「ま、また負けた……」
「へっへー! カイトにーちゃん、弱くなったな!」
「ヨエルが強くなったんだ。ヤエロさんも全く勝てないとボヤいていたよ」
「とーちゃんが一番弱いんだ。カイトにーちゃんはマシなほうさ!」
「言うようになったな……」
今日は、目覚めてから始めてヨエルとムイタが宿処に遊びに来ている。
僕は久しぶりにヨエルと将棋をしているけど、三戦やって全敗と既に手も足も出なくなっていた。
ムイタはリシィとソファーの上でごっこ遊び。幼女化したリシィにはムイタも最初こそ戸惑ったものの、少しすると以前よりも更に懐いているようだ。
リシィの服は新たに買い込んだ……というよりは、少し前にユキコさんが持ち込んだミニドレスを着ている。
青色を基調とし、袖部だけが分割されたノースリーブワンピースは、幼女化したことでよりいっそう華奢さを増した彼女の肩を剥き出しにしてしまっていた。
それにしても、細い肩は触れたら本当に壊してしまいそうだな……。
「カイト、そんなに見られたら……。なにかおかしいかしら?」
「ほわっ!? い、いや、今の平穏を噛み締めていただけだよ!」
「そ、そうね……またこんな風にすごせるなんて、夢にも思わなかったもの」
「ね~ちゃ~、きしさんがおひめさまたすけにくるの~」
「ええ、『僕が必ず君のことを守るよ』! こ、これ、はずかしいわ……」
二人が遊んでいるのは、最近になってルテリアの子供の間で流行っている、“龍血のお姫さま人形”と“銀灰の騎士人形”を使ったお姫さまごっこらしい。
勿論、事の仕掛け人はユキコさんと、ついでにアケノさんまで絡んでいるそうで、何やってくれているんだ、あの人たち……。
「ふむむ……平穏なのは良いが、常に旅に次ぐ旅、更には迷宮行と、忙しない日々はそれなりに楽しくもあった。目的を失った今となっては至極退屈よ」
「ノウェム、まだ僕たちにはやることが残っているよ……」
「くふふ、そうであった。しばし安眠を貪るとしよう」
ノウェムが円卓に頬杖をつき、本当に退屈そうにそんなことを言った。
刺激的な毎日ではあったけど、命の危険が常にあるのは勘弁して欲しい。
「カイトさん、こちらに署名をいただけますか?」
「うん、二つ欄があるね……こっちは、日本語で?」
「はい、お願いします。お手数をおかけして申しわけありません」
「いや、必要な手続きだから。サクラこそ、率先してやってくれてありがとう」
「ふふ、私も長旅はしたことがないので、少し楽しみなんですよ」
「そうだな、僕もルテリアから出るのは楽しみだ」
「はい♪」
サクラに渡された書類は、要するにルテリアから出るための許可申請書だ。
来訪者はルテリア行政府の保護下にあるため、近隣ならともかく、他の街などに行くためには少し面倒な手続きが必要となる。
シュティーラは二つ返事で「良いぞ」だったけど、ツルギさんが体面上の手続きは済ますようにと、書類一式を持って来てくれたんだ。
――カララン
しばらくすると、宿処の扉が備えつけられた鐘を鳴らして開いた。
「ただいまですです! 途中で迷ってたモリヤマさんにお会いしましたです!」
入って来たのは、食材の買い出しに行っていたテュルケと、あまりにも似合わない西洋貴族風の服を着たモリヤマだっだ。
「テュルケ、お帰り。えーと、誰?」
「お、おい、クサカ!? 戦闘の時に頭でも打ったか!?」
「い、いや、ごめん。変な服を着ているなと思って……」
「勘弁してくれ。行政府からの支給品だぞ……」
「それはそうと、荷物を運んでくれたのか。ありがとう、モリヤマ」
「なに、ケモミミ少女がうんしょうんしょと荷物を抱えていたら、手を貸すだろう?」
「その通りだ! モリヤマとは良い酒が飲めそうだ!」
「おうとも!」
二人はカウンターに荷物を起き、モリヤマだけ円卓の僕の隣に座った。
彼はリシィを見て怪訝な表情をしているけど、まあ不思議に思うだろうな……。
「クサカ、戦闘以来の久し振りだ。話したいこと、聞きたいことは山ほどあるが、とりあえず部隊全員からの快気祝いを持って来た」
「……っ!? こっ、これは!! アッパレ一番醤油ラーメン!!」
モリヤマが机の上に置いたのは、アッパレ一番醤油ラーメン五個パック三袋。
少し前まで日本に帰っていたのでありがたさは薄れるけど、今後は同じ味が二度と手に入らないはずだった、インスタントラーメンが目の前に置かれたんだ。
「い、良いのか……? この世界だと貴重品だぞ……?」
「ああ、俺たちはクサカを尊敬している。だからこれは敬意でもある」
「微妙に安い気がするけど……」
「プレミア価格分だ。ありがたく受け取ってくれ」
「それなら遠慮なく……」
僕はそそくさとインスタントラーメンをサクラに渡した。
「へえ、この世界にも将棋はあるんだな」
「にーちゃんも出来るのか? 俺と勝負しようぜ!」
「相手になろう。これでもガキの頃は、“将棋大将”とまで言われたからな。俺はマコト モリヤマ。お前は?」
「ヨエル!」
挨拶も手短に、モリヤマとヨエルによる将棋の一戦が始まる。
「モリヤマ、自衛隊はどのくらいがこの世界に来ているんだ?」
「多くはない、帰れない可能性があることはクサカから聞いてたからな。志願を募り、その中から更に選抜された三十六人と10式の乗員六人だ。車両は10式の他に軽装甲機動車一両、73式装甲車二両、装甲車が古いのは勘弁してくれ」
「そうか……だけど、帰ることは出来る」
「らしいな、どのみち俺たちは最後まで残る。日本国民……この世界ではまとめて“来訪者”か、全てを無事に送り返してからようやくだ」
「何年かかるかわからないのに、大したもんだな……」
「クサカに言われたくない。それに、少なくとも俺は帰るつもりもない。ケモミミパラダイスを放り出してどこに帰るんだ? なあクサカ、サクラさんを……」
「ダメ」
「即答かよ!?」
モリヤマは最後に小声で耳打ちしてきたけど、僕は全力で拒否した。
彼にしても、ミラーにしても、何でサクラばかりが人気なんだろうか……いや、その気持ちはわかるけど、僕は彼女の想いを裏切るつもりはない。
「まあ、当分俺たちは、この街の独立小隊として防衛に協力する。何だっけか、あのメイド服の……アシュリン?彼女から弾薬や燃料の供給も受けられる。だから、クサカはもう無理せず後は俺たちに任せてくれ」
「そうは言っても、僕たちは旅に出てしばらくはルテリアを離れるよ」
「そういうことは先に言ってくれ!? そ、そうか……どこに行くんだ?」
「リシィの故郷だよ。行方のわからない神龍テレイーズも探さないといけない」
「次から次へと……くれぐれも気を付けてな……」
「ああ、言われなくともだ」
旅に出る前にモリヤマとの会話は小気味良く、僕は心から安心してしまう。
同じ日本人、年齢も近いだろう男同士は、本当に古くからの友人だと思える。
「ところで、お姫さまの姿が見えないが……。そこの女の子がやたらと似ているのは……まさかとは思うが、クサカとお姫さまの娘なんてことは……」
「はあっ!?」
「んっ!?」
先ほどのリシィを見ての反応はそんな方向に考えていたからか!
「いやいや! いや、た、確かに説明しなかった僕も悪いけど、彼女がリシィだ! とある暴走した【神代遺物】の干渉を受け、一時的に幼女の姿になってしまっただけなんだ! 変な勘違いはするな!」
モリヤマは驚愕の表情をリシィに向けた。
リシィはリシィで、ソファの上で耳まで真っ赤になってしまっている。
僕も顔に熱が籠もって熱い。ま、まだいまいち実感が湧かないけど、その手の未来があるかも知れないとつい妄想してしまうからだ。
モリヤマめ……突然の爆弾を投げてくれたな……。
「お、驚いた……この世界ではそんなこともあるのか……」
「ああ、掘り返された【重積層迷宮都市ラトレイア】では、そんな【神代遺物】が数多く露出している。発見した場合はくれぐれも迂闊に触らないようにな」
「その情報は隊に持ち帰ろう。感謝する、クサカ」
まだ自衛隊にまでは伝わっていなかったか、ルテリアは未だに混乱の途中だから仕方がない。
この街が完全に落ち着くまでは離れたくないけど、僕たちにしか出来ないことの責任は最後まで果たすつもりだ。
リシィが穏やかに暮らせるよう、懸念は全て取り除く。
「それにしても、大人の姫さまは絶世の美人だったが……これはこれで、可愛さが萌えゲージを振り切ってるな。つくづくクサカを羨ましく思う」
「だろう? だけど見て愛でるだけだ。それ以上に手を出そうとしたら、彼女の騎士である僕が相手になるからな」
「ふにゅっ!? さ、さきほどからおとなしく聞いていれば……あ、あまりおだてられてもっ、反応にこまるんだからっ! カイトのバカバカバカバカッ!」
「おわーーーーーーっ!?」
リシィはソファから移動して僕の背中をぽこぽこと叩く、痛くはない。
「何というか、本当に微笑ましい光景だ……。うらや……」
「王手っ!!」
「ちょ!? まっ!?」