第六話 駄々っ子姫さま と 【時揺りの翼笛】
◇◇◇
――暗い、とても暗い、無機質な部屋の片隅で少女が泣いている。
広くもなく狭くもない灰色の室内には窓がないけれど、うずくまる少女が薄っすらと発光していて内部の様子は見通すことが出来た。
これは、夢……私は今、テントの中で眠っているはずだもの……。
少女が私の存在に気が付いたようで、俯いていた顔を上げた。
その姿は、金眼金髪で側頭部には折れていない竜角があり、服は薄っすらと透けて発光する不思議な材質のワンピースを着ていて、私に良く似た――
――“私”。
けれど……それなら、今“私”を見ている私は誰なのかしら……。
『わたし……あなた……。わたしは……ここに、いるの……』
“私”が、部屋の隅でうずくまったまま、弱々しくか細い声で話した。
もう一人の“私”のあまりにも尊い儚さは、まるで一夜のうちに消えてしまう月光のようで……私は――“私”を――ここから連れ出そうとして――。
『たす……け……て……』
――目を覚ますと、私は変わらずテントの中にいた。
頬に熱を感じ、手で擦ると指先が濡れる。
……あれは私ではない。けれど、自分の半身を引き裂かれてしまったかのような、世界の全てを憐れむような悲哀が胸のうちから溢れ出て、涙が止まらない。
私は嗚咽を殺し、周囲で眠る皆を起こさないように、一人で泣く。
あの少女はきっと……“神龍テレイーズ”。
私と……もう一人の、“私”……。
―――
「ふぬーーっ! 我の特等席がーーーーっ!!」
翌朝、昨晩のうちに合流していたガーモッド卿とアディーテも一緒に、私たちはまだ肌寒い気温の中で焚火を囲んで朝食を取っている。
皆、椅子にするための手頃な石を拾ってきて、円陣を整えているわ。
ノウェムが憤慨しながらカイトの脚に絡みついているのは、私のせい。
「主様、片方の脚が空いているではないか! 我もっ、我もっ、一緒にっ!」
「ご、ごめん……。邪険にするわけではないけど、両手が塞がるし、リシィもこんな状態だから、今は譲ってあげて欲しい」
「うぐぅ……まさか我の特権が、こんな形で奪われることになるとは……」
私は今、朝食の前に駄々をこねてカイトの膝の上に座っている。
ふ、普段ならこんなことは絶対に要求できないのだけれど、今の私の体はノウェムよりも小さいんだもの、主としては当然の権利だわ。
私自身も、思いもよらないお願いができたことに驚いている。やはり、精神まで影響を受けてしまっているのかしら。
「仕方あるまい……。今は我のほうが姉と言っても過言ではないからな……。リシィよ、十分で交代としようではないか」
「やーーっ!」
「ぬあーーーーっ!!」
「は、はは……何だこれ……」
「ふふっ、微笑ましいですね」
「ですですっ、姫さま可愛らしいですぅ~」
「そうかなあ……可愛いけど……」
ん……か、完全に密着している状態で、カイトにそんなことを言われたら恥ずかしくなってしまうわ……。けれど、不思議と今の状態では意固地になることもなく、より彼に抱っこをせがむようにしがみついてしまうの。
心と体が別々になってしまったのか、す、少なくとも嬉しいことは確かだわっ。
そ、それに、昨晩の夢……カイトが傍にいてくれないと、また悲哀で胸が締めつけられるようで、今はどうしようもないもの……。
「しかし、このような事態は前代未聞。この神代遺構は入念な調査の元、新たな観光地と期待もされていたのだが……」
「ベルク師匠も調査に?」
「然り。某の体はあの亀裂を通れぬが故、外で待機していた。その時は何ごともなく、安全を確認できたと判断したのだが……姫君、申しわけない!」
「ガーモッドきょう、あなたのせいではないわ。湯じたいは人にえいきょうを及ぼさないとヘルムヴィーゲのちょうさ済みよ。あきらかにしんきによるものだもの」
「それしか考えられないからね。皆が起きる前に、ヘルムヴィーゲが湯元を探しに岩窟の奥へと向かったから、そのうち戻ってくるよ」
す、少し喋りにくいわ……どうしても舌っ足らずになってしまうの……。
「それはそうと……主様の膝の上に座るのは譲るとしても、何故におぬしは食事まで食べさせてもらっておるのだ! ずーるーいーぞーーーーっ!!」
ノウェムの言う通り、私は先ほどからずっと、カイトが口元まで運んでくれる朝食を食べている。
「し、しかたないわっ、机がないんだものっ。料理に手をのばそうとすると、いちいちおりないといけないのっ!」
どう考えても言い訳だけれど、ここは押し通させてもらうわ!
「リシィよ、それは言い訳であろう。そのような言い訳が通るとでも……」
「やーーーーっ!!」
「駄々をこねたとて、実際のところ中身は……」
「やーーーーーーっ!!」
「ふぬあーーっ!? お、幼子とはこうも恐ろしいものなのか……」
「そうだよ……。ノウェムは自覚もなく今までやっていたのか……」
「自覚はあったの……」
「白状した!?」
これは……私の勝利ね! ノウェムを制すれば、もう阻む者はいないわ!
彼女は諦めたのか、とぼとぼと隣の石に座って朝食を食べ始めた。
少し悪かったかしら……けれど、ノウェムはこれまでカイトの膝を独り占めしていたんだもの、次は私の番でも良いわよね。
小さくなった口では話すことも食べることも慣れなくて、カイトがフーフーと冷ましてくれたスープを、スプーンから少しずつ飲み込んでいる。
「リシィさん、お口の周りについていますよ。お拭きしますね」
「んっ……ありがとう、サクラ」
「えへへ、何だか本当の家族みたいですぅ~。おにぃちゃんがお父さま、サクラさんがお母さま、姫さまがお二人の娘。幸せな家族の光景ですですっ!」
「んにゅっ!?」
「ほわっ!?」
「わっ、私が……お母さん……」
カ、カカカカイトと家族というのはっ、アレだけれど……ど、どうせなら娘よりも、あ、あぅ……テュルケは何てことを言うの! 恥ずかしいわっ!
「アウー! なら私はペットー! 働かなくてもおにくうまーっ!」
「は、はは……アディーテらしいな……」
ん……異常事態のはずだけれど、何故かしら不思議と平穏ね……。
◆◆◆
一夜が明け、最初の驚きとは裏腹に思いのほか平穏な時間が流れていく。
幼女となったリシィは、どうも精神にまで影響があるらしく、昨晩から妙に要求が激しくなっているんだ。少しこちらが躊躇すると、直ぐに駄々をこね膨れてしまうので、まさしく幼女、これこそ駄々っ子姫さま。
まあ、それでも限度はわかっているようで可愛いのだけど……このままでもありなのでは、と思ってしまう自分こそ少し自重するべきだろう。
そして、朝食時の歓談が終わる頃になると、休むことなく調査を続けていたヘルムヴィーゲが岩窟から戻ってきた。
「湯元の近くでこのようなものを発見しました」
彼女が持っていたのは、拉げた棒……いや、“杖”か。
ゆらゆらと翠光を垂れ流し、明らかな【神代遺物】と推測できるけど、その見覚えのあるデザインからこれが何かは直ぐに理解が及んだ。
「なるほど……“試製神器”だな……」
「その通りです。試製神器【時揺りの翼笛】。限りなく完成神器に近いもので、リヴィルザルの“創生”の力を込められたものとなります」
「やはり【翠翊の杖皇】の派生か……。だけど、これは壊れているよな……」
「機能は完全に損なわれ、現存する施設では修復も困難です」
「能力は?」
「本来は生体活性を目的として作られたものですが、“創生”に干渉するため体細胞に想定外の影響を及ぼし、最終的には封印されたものとなります」
「うーん……原因としては【天上の揺籃】浮上の衝撃で破壊され、不完全な状態で稼動していたということか……」
【時揺りの翼笛】、翠杖に良く似た全長一メートルほどの、良く見ると“笛”だ。
先端が拉げてしまっているので、一目で壊れているだろうことはわかる。
「リシィ様、この状態で問題の解決はできませんが、稼働状態を止めることは可能です。翠光に触れないよう、神器を扱う要領で干渉していただけますか」
「え、ええ……わかったわ。とめればいいのよね」
ヘルムヴィーゲは屈み、リシィの前で【時揺りの翼笛】を掲げた。
そしてリシィが恐る恐る手をかざすと、これまで垂れ流しだった翠光が消える。
「これで安全です。皆様、この岩窟はもう神力の豊富なただの温泉ですから、ひとまずは湯に浸かり、しばしの湯治とされてはいかがでしょうか」
「助かったよ、ヘルムヴィーゲ。その前に、リシィを元の姿に戻す方法を知りたいのだけど……心当たりでもあるのか?」
ヘルムヴィーゲは翠笛を箱に梱包しながら、僕の問いに答える。
「ひとつだけ。“創物”の特性を持つ者が、今もどこかに存在します」
「……そうか、“神龍テレイーズ”」
【天上の揺籃】から姿を消し、発見に至らなかった最後の神龍。
彼女はいったい今どこでどうしているのだろうか……。