第五話 爆誕 龍血の――!?
突如として岩窟内に響いたリシィの悲鳴に、僕は湯船から飛び出した。
万全でない体は重く、まだ馴染めていない義足を岩棚に引っかけては転んでしまい、ゴツゴツとした岩が剥き出しの肌を切り裂く。
僕は何でリシィの傍を離れてしまったのか……エウロヴェの脅威がなくなったからと、彼女の騎士であることに変わりはないのに……!
「リシィッ!!」
彼女たちは、岩窟内を隔てる巨大な鍾乳石の直ぐ裏、隣の広間にいた。
歩いても二分とかからない距離は、だけど僕にとっては遠く感じられ、それでもやはり二分とかからずにリシィの姿を視認する。
良かった、墓守や魔物に襲われたわけではないようだ……。
何があったのか、リシィとテュルケは湯の中で立ち上がり、アサギは護衛するだけのつもりだったのか、服は着たまま湯船の外で立ち竦んでいる。
至急を要する事態ではなさそうだけど……何か、違和感を感じる……。
「リシィ、テュルケ、今の悲鳴は……?」
「お、おにぃちゃん……姫さまが……」
テュルケは首だけをこちらに向けて訴えかける。彼女は水着代わりの手ぬぐいを体に巻いているものの、湯上にはもう一組が浮いていた。
それは当然リシィのものだろう。彼女に視線を向けると、青光に煌めく湯が裸身の背を下から照らし、その光景はまるで……まるで……うん?
あれ、リシィはあんなに……。
「ぬ……?」
後から追いついたノウェムも違和感を感じたのか、ジャブジャブと湯をかき分けて僕からは見えないリシィの正面に回り込んだ。
「おぬし……これはどうしたことだ……?」
ノウェムがリシィの隣に並んだことで、僕はようやく事の異常さに気が付く。
「う……カイト……私は……どうなってしまったの……」
リシィは上体を捻じって肩越しにこちらを向いた。
その瞳色は緑と青が混じり合う碧となり、それ以前に色々と足りない。
成長期のテュルケよりも、皆の中で最も低いノウェムよりも、更に身長の低くなったリシィが、僕に救いを求め手を伸ばす。
胸がない、体の丸みがない、何よりも顔立ちがおさない……。
その姿は……まるで……。
「私……私……」
「リシィッ!!」
咄嗟に僕は湯に飛び込み、彼女が倒れる寸前で抱き止めた。
間違いない……どういうわけか、リシィは幼女となってしまったんだ。
何が起きたのかもわからないまま、僕たちは岩窟から逃げるように退避した。
―――
「何かわかったか?」
「お待ち下さい。ただ今、成分解析中です」
岩窟から表に出た僕たちは、まず近くの森の傍に野営地を築き、意識を失ったリシィをテントの中で寝かせた。
次に、アシュリーンを呼ぶためサクラがルテリアまで走り、今はやって来たヘルムヴィーゲと共に湯の調査中だ。
原因は解析が終わるまで不明。そもそもが、同じ湯に浸かっていたテュルケは何ともなく、後から踏み入った僕もノウェムの体にも異変は起きていないと、原因が湯に直接あるとは考え難い。
だけど事態は現実のもの。何度となく確認したけどリシィの体は間違いなく全身が縮み、年の頃が十歳前後の幼女の姿に様変わりしてしまっていた。
「カイトさん、どうですか?」
「まだ、何とも言えない……。リシィの様子は?」
「一時的に上がっていた熱は下がりました。今はテュルケさんがお傍にいます」
しばらくリシィの傍についていたサクラも岩窟内にやって来た。
ヘルムヴィーゲは服を着たまま湯に入り、あちらこちらに移動しては湯に手を差し入れ、この事態を引き起こした原因の特定を急いでいる。
「いったい何が起こったのでしょうか? テュルケさんは、リシィさんが光ったと……」
「推測に過ぎないけど……同じ湯に触れた僕やノウェム、テュルケに影響がないことから考えると、リシィにしかないものが影響を及ぼしたと考えられる」
「リシィさんに……それは、“神器”ですね……。“龍血”であれば、カイトさんにも同じ現象が起きているはずです」
「ああ、考えられるとしたらそうだろうな……。そもそも神器には、生命に影響を与える“創生”の力や、過去の改変までしてしまう因果干渉力があるから、“若返り”を可能としても何ら不思議ではないんだ」
「“若返り”、ですか……。確かに、断ち切られた竜角はそのままでしたから、緋剣の力とは少し違うように思えます。元に戻せると良いのですが……」
「何にしても、調査が終わるまではどうしようもない。日が落ちてきたことだし、ここはヘルムヴィーゲに任せて夕食の準備をしようか。僕も手伝うよ」
「は、はい、そうですね。せめて、リシィさんには栄養をつけていただきましょう」
僕とサクラは再び岩窟を後にする。
“神器”――超常存在に対抗するため、星龍の力を組み込まれて作られたものだけど、実際のところ、その特性については完全に解明されていないと聞く。
根源から生じる力……世界そのものへの干渉力……エウロヴェの言った通り、使い方を間違えると自分たちを滅ぼしかねないものだ……。
神器の保管庫【極光の世界樹】は、今もまだこの星の宇宙に存在する。
―――
「リシィ、体調が悪かったりはないか?」
野営地に戻った僕は夕食作りを手伝い、つきっきりだったテュルケと入れ替わりで、リシィを運び込んだテントの中に入った。
彼女は既に体を起こし、自分の手に視線を落としていたものの、直ぐに顔を上げてこちらを見る。やはり不安なようで、瞳の青色は濃い。
「ええ、だいじょうぶよ。なにか……わかったかしら?」
幾分か幼く舌っ足らずになった声音は可愛らしいけど、若返りが精神や記憶にまで影響を与えず、本当にただ外見が幼くなっただけのようだ。
「ヘルムヴィーゲが調査中だ。推測はしたけど、聞くか?」
「いえ……検討はついているわ。しんき……のえいきょうよね……?」
「ああ、恐らくは……。リシィ、必ず原因を突き止めるから、しばらくはその姿で我慢して欲しい。その間、僕に出来ることなら何でもするよ」
リシィは少し逡巡するような素振りをしてから、僕を見て小さく頷く。
瞳色は緑に青と思うところはあるようだけど、落ち着いてはいるみたいだ。
僕は改めて彼女の全身に視線を巡らせる。
今はとりあえずテュルケのブラウスを着せられているけど、それでもなお服は弛んでしまっているので、かなり体が小さくなっているのだろう。
竜角は折れたまま、幼い顔立ちは美貌が鳴りを潜めて可愛らしさが増し、全体的に小さくなった分の大きな瞳で、僕を恥ずかしそうに上目遣いで見ている。
そう、上目遣いで……僕を見て……。
「カイト……い、いまのわたしを、あまりじっくりと見ないでほしいわ……」
「ほわっ!? ごごごごめんなさいっ! 一応、しっかりと確認をね!?」
「ううぅ……こんなすがたになって恥ずかしいんだからっ! カイトがこどもの頃のしゃしんを見られて、恥ずかしがっていたきもちがようやくわかったわ……」
僕は、頭を【烙く深焔の鉄鎚】で殴られたかのような衝撃を受けてしまった。
リシィの恥じらいながらも隠すことのない上目遣いは、より一層赤みを増した頬とともに僕の心臓を貫き、何か得体の知れない情動が胸の内で膨らんでいく。
庇護欲だろうか……抱っこして延々と愛でたい気持ちに駆られるんだ……。
そんなことを思っていると、リシィはこちらに向けて控えめな口を開けた。
「うん? どうしたんだ?」
「うん、ではないわっ! それは夕食よね、たべさせてくれるのよねっ!」
「えっ!? そこまでは考えていなかったけど……体が動かし難いのか?」
「そ、そんなことはないけれど……なんでもしてくれるって……言ったもん」
――ズキューーーーンッ!!
……な、何か今、更に僕の胸を何かが貫いた。
あれ……これは、精神まで幼児退行していないか……。駄々っ子リシィは極稀に出てくるけど……流石に普段の彼女だったら、まず間違いなく他人に食べさせてもらうなんて要求はしない。
だけど今のリシィは、まるで親鳥が餌を運んで来るのを待っている雛のように、頬を赤らめさせながらも口をパクパクと動かしている。
ぐ……こうも口元を意識させる動きをされると、先日の口付けを思い出してしまうけど……今のリシィと僕の外見年齢は明らかに十歳以上も離れている。
迂闊に手を触れようものなら、即座に案件となりお縄になってもおかしくない……現状はそれほどにまずい由々しき事態だ……。
これは何としてでも、元に戻す方法を見つけ出さないと……。
「えーと……リシィが良いのなら、遠慮はしないけど……」
「んーっ! いいからはやくっ! じゃまが入らないうちにっ!」
「わ、わかった……。ちょっと待って、冷ますから……」
まあ、良いだろう……これもまた僕にとってはご褒美だ……!