第三十話 龍血の姫 と 灰の騎士
第一章終了につき、いつもより文字数が多めとなっております。
――夢を見ていた。
それは、遠い、遠い時代の戦いの記録。
スペースエレベーターを巻くほどの巨大な三柱の龍が、ファクトリーを守ろうとする機甲師団と戦っていた。しかし、戦闘がそう長引くことはなく、オービタルリングの基部から切り離されたファクトリーは、地上に崩落を始めてしまった。
天翔ける巡洋艦が、落下軌道を逸らすために最後の突撃を敢行する。
大地では敵も味方も入り乱れ、自分たちの上に落ちてくる、巨大なそれを見上げている。
最後まで己の使命に殉ずる者、祈りを捧げる者、逃げ出す者、何も出来ない者、誰もが自分に課せられた天運を祈り、呪う。
これは、ただの“記録”だ……今はもう、神話となってしまった遠い神代の記録。
どうすることも出来ない。
……だと言うのに、僕は必死に何かを救おうと手を伸ばしている。
伸ばした手の先には、父さんと母さん。
地球で行方不明になったはずの両親が、そこにはいた。
人混みに飲まれ、その姿を見失う。
叫ぶ、声が出ない、伸ばした手は何者にも触れることを許されない
これはただの“記憶”だ。
遠い、遠い過去の、忘却の彼方に消えていくだけの――
目を開けると、そこは既に馴染んだ宿処の自室だった。
こぼれた涙を拭い、視線を巡らすと、ベッドの脇にはサクラがいた。
いつもの大正メイド姿で、姿勢良く椅子に座る彼女を見て、僕は少し安心する。
「……おはよう」
「おはようございます、カイトさん」
他にも言うことがあったんじゃないかと思うけど、今はこれしか出てこなかった。
サクラは少し困ったような面持ちだったけど、やがて微笑を向けてくれる。
「えーと……状況を聞いても良いか?」
僕は若干……いや、かなり重い体を起こしながら聞いた。
おかしい。左脚が吊るされて、全身に包帯が巻かれている。
最後に覚えている、戦闘終結時の自分の状態よりも酷くなっているんだ。
「はい、墓守の侵攻から九日が経過しました。今はもう皆さん落ち着いています」
「九日……? その間、僕は……」
「ずっと、寝ていました。心配しました」
サクラはそう言って、僕の左手を取って自分の胸に抱いた。
凶悪とも思える柔らかさと、彼女の早い心音が、手を通して伝わってくる。
だけど今は、それを役得と喜べるような心境じゃなかった。
「その……ごめん、心配をかけた。サクラ、ありがとう」
「はい」
僕のお礼に、サクラは優しく微笑み返してくれる。
聞かなくてはならないことを考えると、その微笑を見ても尚、気が重い。
「……ヨエルとムイタは無事?」
「はい、大丈夫です。カイトさんの懸念通り、第一防護壁の大門にいて、見つけたギルド職員が直ぐに保護したそうです。入れ違いになってしまったようですね」
「良かった……本当に良かった……」
「ふふ、毎日カイトさんのお見舞いに来てくれていますよ?」
「そうか、今度お礼をしないとな」
サクラは手を離してくれない。
話をしている間、ずっとこのままの状態でいるつもりなのか。
流石に少し煩悩が刺激されて、良からぬことが頭を過ぎってしまう。
だけど……だからこそか、一番大切な女性が思いに浮かぶ。
「リシィたちは……?」
「リシィさんもテュルケさんも無事です。あの二人はそもそも竜種ですから、生命力の強さは他の種族とは比べ物になりません」
「そうだったのか。一安心だ」
「はい」
心が重い。聞くことも躊躇してしまう。
謝ることさえ許されないんじゃないかと、自分で自分を責める。
「サクラ……あの場にいた人たちは、どのくらい亡くなったんだ? 僕が……」
「カイトさんっ!」
「……うん?」
「勘違いをしないでください。彼らは墓守に対する専門家です。例え外からの指示があったとしても、それを実行して、その行動に責任を持つのは探索者一人一人です。誰でもありません、カイトさんでもありません、勘違いをしないでください」
「え、でも……」
「でももへったくれもありません! カイトさんが責任を感じるのは勝手ですが、それは探索者としての誇りを持って戦い抜いて、それでも散ってしまった者たちに対する冒涜ですよ!」
サクラは、らしくない強い語調で僕を責める。
だけど、言うことは良くわかる。ぐうの音も出ない。
僕を慮ってもあるんだろう。それでも多分、彼女の言葉は正しいんだ。
責任から逃れたいわけじゃないけど、必要以上に自分を責めるのも、残された者の役目とはきっと違うんだ。
「うん、ごめん。完全には納得も出来ないけど、それでも理解は出来た。せめて、祈り続けることくらいは許して欲しい。それで良いかな?」
「……はい。ですが、カイトさんがもし暗い陰を落とすのなら、私が……リシィさんもテュルケさんも、必ず無理やりにでも引き摺り出しますから」
「はは、それは頼もしいな。その時は是……うぷっ!?」
キャーーーーーーッ!?
サクラがやっと手を離してくれたと思ったら、今度は頭を抱かれた。
豊満な胸に埋もれ、余すことなく柔らかい感触が、僕の顔面一杯を包み込む。
聞いたことがある……人は柔らかいものに包まれると、どんな状況であっても安心してしまうと……!
しかも力強い! 抜けられない!?
覆す力! 覆す力!? 頼む!! 無理!?
「へえ……話し声が聞こえたから、ようやく起きたと思って覗いてみたら……良いご身分ね? カイト……」
リシィ、いつの間に!? 声低っ!?
いつからか、部屋の中には僕を見下ろしているリシィがいた。
紫色の瞳で、蔑んだかのような視線はむしろ僕にはご褒美……違う!
「あれあれ……お嬢さま、これはもう“にゃの刑”でしょうかぁ」
テュルケエエエエッ!? “にゃの刑”って何!?
そこはかとなく気持ち良さそうで危険な薫りがする!
辛うじてもちもち……違う! 胸から上げた視線をリシィに向けて弁解する。
「フゴフゴ! フフンゴフゴッ!!」
「んっ……」
あばばばばばば、墓穴!?
ああああ、さっきまでのシリアスはどこに、責任を感じていた重々しい僕の覚悟は一体どこに!? 『無理やり引き摺り出しますから』と言うのを実践してくれたんだとは思うけど、タイミングが悪くない!?
サクラさん!? 降参! 降参します!!
「フゴゴゴーッ!!」
顔が青くなって来たところで、僕はようやく解放された。
―――
僕の目の前で、リシィが腕と脚を組んでどうもご立腹な様子だ。
この状況に追いやった当の本人のサクラは、『何か食べるものをご用意して来ますね』とそそくさと出て行ってしまった。
テュルケも、『フンスッ』とまたしても良くわからない表情で、『お茶を淹れて来ますです!』とサクラについて行った。
これ、どこかで見たことがある。下手に言い訳をすると状況が悪化する奴だ。
「ごめんなさい!」
僕はベッドの上で華麗な土下座を決めた。
一応怪我人のはずだけど、酷い有様の割にはもう体は平気なんだ。
僕の意識がない間に、サクラが治療をしてくれていたことは間違いない。
「良いわ。この前の活躍に免じて、今だけは許してあげる」
許された。
リシィは元気そうだ。
以前と変わりなく見えるけど、肩口からは包帯が見えている。
変わりなく見えても、やはり傷は負っているんだ。
「ふぅ……カイト、傷が治ったら、貴方には私と迷宮に入ってもらうわ」
「えっ? 突然何を……まあ、僕もそのつもり……」
「それは、私の【銀恢の槍皇】なのよ」
リシィが僕の右腕を指で差して告げた。
指し示す先には、今も変わらず鈍い金属光沢の灰色の篭手がある。
「は!?」
僕は改めて、間近で自分の右腕を見る。
ジャコッジャコッと音を立てて動く、厳つい有機的なデザインの篭手。
およそ人の腕には見えないけど、これは間違いなく僕自身の腕のようだ。
触覚まであるけど、どうにも馴染まない感触なので気持ち悪い。
右脚も確認すると、やはり灰色の脚甲のままそこにあった。
【銀恢の槍皇】――と言った。
「えっ……これ神器?」
「そうよ」
「えーと、どう言うことなのか聞いても良いか?」
「ええ、その上でのお願いと言うことになるわ」
リシィの瞳の色は緑と黄のグラデーションで、どこか静けささえ湛えたその瞳からは、特に怒っているような印象は感じられない。
「私が“テレイーズの当主”と言うことは、自己紹介で知っているわよね」
「うん?」
「テレイーズ家とは、神代期に存在した“神龍テレイーズ”の龍血を受けた竜種の末裔。そして私は、“龍血の姫”と呼ばれる一族でただ一人の、神龍より授かった神器をこの龍血に宿した存在なの。そして“龍血の姫”の役目とは、神器を次代に継ぐまで守り続けること」
僕はようやく、彼女の告げることの重大さを認識し始めた。
そもそも、最初から気が付くべきだった、僕は【銀恢の槍皇】を間近で見ている。
あの神々しくも、決して人が至ることの出来ない領域にある、神々の遺産を。
「こ……これ?」
「先ほどからそうだと言っているわ」
「……か、かなりまずいよね?」
「まずい、どころじゃないわ。一族の者に知られたら……私はともかく、カイトはただじゃ済まされないでしょうね」
「ど、どうすれば……」
「どうにも出来ないわ。どうしてそうなったのかも、わからないんだもの」
ああ、どうしてこんなことに……どうしたもこうしたも、奴らの仕業か……。
“覆す力”=“神器”、なるほど……そう言うわけか……。
だけど、それをリシィから奪うことになるのは、全く想定していなかった。
これは、取り返しがつかないな……。
「あの、怒っている……?」
「怒ってはいないわ。経緯はどうであれ、あの状況で生き残った人々を、私を救ってくれたもの。感謝しているわ。そうね……カイト、ありがとう」
「そ、そうか……こちらこそありがとう、リシィ」
「けれど、こうなっては仕方ないから、私に協力することは確定だからね?」
「ああ、何でも言ってくれ、君のためなら最善を尽くそう」
リシィは何故か少し頬を赤く染め、自分の折れた角を擦りながら告げる。
「私の目的、私は何に変えても、まずはこの竜角を取り戻すわ」
「ああ、僕もそのつもりだ」
「盗人の名は、セーラム高等光翼種 ノウェム メル エルトゥナン。私たちは、彼女の行方を追っているの」
「はあっ!?」
「何?」
「あ、い、いいえ、何でもないです……」
……ノウェム!?
『それは我のせいだな』――あれか!
目先の対砲狼のことで頭が一杯で、そこまで思考が及ばなかった。
目の前に機会があって、見す見す取り逃がしていたのか。
知らなかった……で済む話じゃない。
「そいつは今どこに?」
「恐らくは迷宮に」
世界中に撒き散らされバラバラだった欠片が、不自然にも集まって綺麗に嵌り、何か得体の知れないものを形作っていく感覚。
何が何でも僕を迷宮に誘おうとする、そんな不快な予感。
確信はない。だけどこれも、確実に“三位一体の偽神”の手の内だ。
してやられた……この世界は、それこそ“神の視点”がいるんじゃないのか?
箱庭を見下ろして、娯楽だと悪びれもなく楽しむプレイヤー。
だとしたら手詰まりだ、どうすれば良い?
今は手段がない……だけど……。
「カイト、どうかしたの? 難しい顔をして」
「いや……何でもない。覚悟を決めていたんだ。神器の代わりが僕に務まるかはわからないけど、リシィを全力で守るよ」
「……っ!! あ、ああありがとっ……けれど、無理はしないで。神器を振るった反動で、下手をするとバラバラになってしまうから」
「ほあっ!?」
「気が付いていないの? サクラの治療と神脈炉のお陰で、今は何ともないようだけれど、全身が複雑骨折だったのよ?」
「な、なん……だと……」
「カイトはその腕と脚の神器の影響で、身体能力まで向上しているの。けれど、人の身で神器を振り回せるほどの強度はないわ。だから、砲狼の時のように動くと、次は砕けるわよ? バラバラに」
「バラバラに?」
「バラバラに」
ああ……何てことをしてくれたんだ、“三位一体の偽神”。こんな中途半端な力で、一体僕にどうしろと言うんだ……都合の悪い時はだんまりか。
骨折覚悟の一撃、文字通りの“肉を切らせて骨を断つ”。
……逆か、“骨を断って肉を切る”。洒落にもなっていない。
「カイト」
「……何?」
リシィは更に頬を赤く、耳まで真っ赤にして視線を彷徨わせている。
瞳は……何か、文字通り色々に明滅していて感情がわからない。
「カイトッ!」
「はいっ!?」
「貴方は、これから私の騎士になりなさい! これは主命よ!!」
「はっ? リシィ、どうし……」
「主には跪き敬うものよ! これからは貴方もそうしなさい!」
「はあっ!?」
「私を奪ったんだから! しっかりと責任を取りなさい!」
その言い方はダメ! 主に僕の世間体がマッハで消し飛ぶから!
「待って! 奪ったのは神器だよね!?」
「うるさいっ、主の決定には黙って従うものっ! カイトは私に一生跪くのっ!!」
「はああっ!? 待って、話し合――」
「んーーーーっ! これは決定なのーーーーーーっ!!」
何これ? 誰これ? これは、素?
高潔で誇り高き龍血の姫はどこに行った!? 駄々っ子か!!
何がどうしてそうなってしまったのか、テンパったリシィの動揺は、サクラとテュルケが生暖かい視線を向けて戻ってくるまで続いた。
僕はこの日、龍血の姫に跪く……うん、まあ本望ではあるな。
“灰の騎士”になった。
これにて第一章本文の終了となります。
ここまでご覧いただけた全ての皆さまに感謝を。誠にありがとうございました。
続いて、第二章に入る前に幕間とEX小話を挟みますが、こちらは三人称で進行する主人公たちとは別の視点となります。ご了承ください。
次章からは、ようやくヒロインがツン(外)デレ(内)の本領を発揮していくはず……お楽しみいただけたら幸いです!




