第四話 神代遺構【岩窟湯殿】
行政府に呼び出された理由は、本当にお礼と依頼だけだったようだ。
他にも現実的な褒賞の話、細かな情報交換などもあり、最も気になったことといえば、やはり【天上の揺籃】で保護された人々の処遇について。
これには勿論、志願して自ら来た守山たち自衛隊員も含まれ、その来訪者の総数は確認されただけでも二万六千人ほど。多いか少ないかで言えば異常に少なく、あらゆる時代の世界中から連れ去られ、この人数で済むはずがないんだ。
既に多くが【虚空薬室】に放り込まれてしまったのか……それとも、超常的な力により元の世界に戻されたのか、その答えを知る術はない。
ひとつだけ言えることは、来訪者は帰れる。
グランディータは姿を消す前にセントゥムさんの前に現れていて、廃城ラトレイアがあった場所に元の世界への帰還門を開いたと告げたそうなんだ。
だから、可能性のひとつに過ぎずあくまでも希望的観測だけど、連れ去られた人々の大半は既に帰されたと僕も行政府も考えていた。
残された人々については、帰還門が単独での踏破困難な迷宮深層ということもあり、行政府と探索者ギルドの支援で徐々に送り届けられる手筈となっている。
勿論、僕も帰りたいのなら帰っても良いとのことだけど、そのつもりはないと、不安そうな表情を向ける皆に告げた。
【重積層迷宮都市ラトレイア】――この大迷宮は役割を変えながら、これからもルテリアを支える【神代遺構】として存在し続けるんだ。
そして――。
「ここか……」
ルテリアの西の外れから馬車で一時間ほど、僕たちは行政府から調査を依頼された、大断崖の新たに出来た亀裂までやって来ていた。
周囲は背丈より高い岩がいくつも転がり、水量は多くないけど、ちょっとした滝壺が形成されている岩間にある空間だ。
目的地はその一番奥、直角に切り立った大断崖の岩壁に、人が一人やっと通れる程度の幅で亀裂を確認することが出来る。
「えーと、本当に脅威はないんだよな?」
「……問題ない。……調査は済んでいる」
ここまでの案内は、幾分か喋るようになったアサギだ。
今はアルテリアの戦闘服を着込んでいるものの、強化外骨格はなく、装備はハンドガンとアサルトライフルを背負っているだけ。
それにしても、調査を依頼されたにも拘らず、その調査が既に済んでいるとはどういうことか……?
「亀裂の奥から変な匂いが漂ってくるわ」
「何でしょうか……濃い神力の気配もありますね」
「奥の方が光ってますです。神力の光でしょうかあ?」
そんな謎の亀裂を、リシィとサクラとテュルケが興味深げに覗き込んでいる。
この場にいるのは、彼女たちの他に後はノウェムだけ。ベルク師匠は防衛部隊の指揮、アディーテは湖底の調査と、二人は夜になってから合流する手筈だ。
僕も皆が覗き込む亀裂に近づく。
「この匂いは……温泉……?」
「主様、考えていても埒が明かぬ。奥に進もうぞ」
「そうだな、荷物を下ろして入ろう。警戒は緩めないように」
―――
亀裂に入った僕たちは、鉄鎚を構えるサクラを先頭に奥へと進む。
内部は岸壁がそのまま割れて出来た洞窟になっていて、立ったまま進むことは出来るけど、二人が擦れ違うことは出来ない程度の幅だ。
奥へ進むほどに温度と湿度が上がり、サアァと水の流れる音も聞こえる。
高い温度と水流に、硫黄とは少し違うけど独特の鼻を突く匂い……この奥に何かがあるとしたら、“温泉”としか思えないんだよな……。
「これは……」
「サクラ、何かあったのか?」
「はい、これは……恐らくは神代遺構ですね……」
「神代遺構……!?」
サクラが奥に進むと、直ぐに脇へと逸れて姿が見えなくなった。
二番手に続いていた僕も同様に進み、やがて狭洞から開けた場所に出る。
「なん……だ、ここ……」
「ふわぁ、キラキラですですっ!」
「ふむ、神代遺構が天然の洞窟に飲み込まれたものか」
「驚いたわね……。見たところ、ただの湯殿に見えるけれど……」
亀裂の奥にあったのは、リシィの言う通り何らかの湯溜まりだ。
推測にしか過ぎないけど、恐らくはかつてのスパリゾートが埋没し、長い時間の経過で鍾乳石に侵蝕され洞窟化。結果として、このような半人工半天然の広大な地下浴場が、この時代まで残されることとなったのではないだろうか。
床と天井を繋ぐ鍾乳石のせいで全容は把握出来ないけど、湯船の数が見えるだけでも二桁はあり、更に奥まで空間が広がっていることはわかる。
天井は高く、青く発光する結晶体が至るところに存在し、湯自体も濃い神力の溶け込んだもののようで、空間全体が神秘的に輝く青色で染められていた。
この場所は、来訪者なら誰でも検討がつきそうな施設だけど……行政府が僕たちを指名してまで送り込んだ理由はいったい……。
「……お風呂。……ゆっくりくつろいで来いと、シュティーラが」
そんな疑問の中、アサギがアサルトライフルを肩から下ろしながら告げた。
「……え?」
「……お風呂」
「う、うん、お風呂? ここが? え?」
「カイトさん、ここにある湯溜まりは、とても高純度な神力が溶け込んだものです。もしかしたら……カイトさんを労うようにと、行政府の計らいなのかも知れません」
「それはつまり……本当は調査でなく、養生しろということだった……?」
「そういうことになりますね。サークロウスさんはあのように見えて、かなり人を喜ばせたり驚かせたりするのがお好きなので……」
「な、なるほど……。僕たちは一杯食わされたわけだ……」
今頃シュティーラは、「あっはっはっ!」と笑っているんだろうな……。
「えと……少し熱いけれど、澄んでいて問題はなさそうだわ」
「随分と上質な神力溜まりだ。これなら主様の体にも良い滋養となる」
リシィとノウェムもお湯に手を入れ確認している。
「そういうことかあ……拍子抜けだけど、好意に甘えてゆっくりとしようか」
「わーいっ、神力温泉ですです! おにぃちゃんっ、一緒に入りますですっ!」
「うん、一緒に入ろう……えっ!?」
僕は周囲を見回す。
湯の傍にリシィとノウェム、僕を見て微笑を浮かべるサクラと、袖を掴んでピョンピョン飛び跳ねるテュルケ、後は案内が済んだことでくつろいでいるアサギ。
何てことだ……こんなところで、男が僕一人しかいない……!
―――
結局、僕はラッキースケベイベントが発生する前に大人しく湯に浸かった。
サクラとノウェムは背後にいるけど、リシィとテュルケ、アサギは奥に行ったようだ。
「うん、それならそうと言ってくれれば、水着を用意したのにな……」
「そうですね。手ぬぐいしか持参しなかったので、少し心許ないです……」
行政府としては、僕がやらかすことまで期待しているのではないかと思う。
グランディータの龍血と神脈炉を持つ男の周りに、神龍由来の王族や神代起源種の女性ばかりと、種の繁栄を望むのなら好機と考えたのではないだろうか……。
「まあ、人の気持ちこそが大切だから……まずはお互いが……」
「カイトさん、どうかしましたか? 少し強かったでしょうか……」
「えっ、あっ、大丈夫! ごふっ、ダイジョブデス!」
「それなら良いのですが、何かあれば言ってくださいね」
サクラは僕の背に手を当て神力治療を施してくれていたけど、思わず独り言を呟いてしまったせいで、覗き込むよう前に回り込んで来た。
僕を心配する表情は最近益々艶が増し、纏め上げた髪から首筋を伝って肌に貼りつく後れ毛が煩悩を刺激する。
更には、さして大きくない手ぬぐいを胸と腰に巻きつけているだけなので、僕は思わず視界に入った深い谷間に毛細血管を刺激されてしまったんだ。
ああ……最も大きな驚異がなくなったせいか……これまでは耐えられていた欲が、自分の内でムクムクと膨らんでいくのを感じる……。
だがしかし、だがしかしだ! 紳士として、騎士として、まずは誠実であることが第一! ここで、安易に流されることがあってはならない!
「と、ところで、リシィたちはどこまで行ったんだろう?」
「隣の湯でしょうか、その鍾乳石の裏にも大きな湯溜まりがありますね。内部に墓守や魔物の気配はないので、奥に行かれても安全かと思われます」
「くふふ、あの小竜は、主様と同じ湯に浸かることが恥ずかしいのだ。このような褒美は、我が身に訪れた僥倖とただ享受すれば良いものを」
「ノウェム……と言いながら前に回り込まないでくれないか? 流石にこの状態では膝の上に座らせないよ?」
「むうぅぅっ! 良いではないか! 少しくらいは密着したいの!」
「せめて上がって服を着てからにして!?」
リシィとテュルケ、それと護衛のアサギは、僕が離れて服を脱いでいる間に洞窟の奥へと行ってしまったんだ。
気持ちはわかる……。自分を想ってくれている相手と一緒にとか、どんなに不屈の精神でも屈したくなってしまうから……。いや、それを言うのならサクラとノウェムもそうなんだけど……今は視界に入れないことで耐えているんだ。
まあ、もう調査が終わって安全が確保されているのなら、僕のことは気にせずゆっくりとしてもらいた――
「きゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「リシィの悲鳴!?」
くっ、何も出来ないからと油断が過ぎた……!!