第一話 変わり行く時代の片隅で
「ありがとう。……その、変なところを掴んでしまって、ごめん」
「い、いえ、大丈夫です。まだ体に力が入らないのですから、仕方ありません」
長い眠りから目覚め、サクラの治療を受けながら早くも五日目。
お陰様でベッドから何とか起き上がれるようになり、皆に支えられて居間まで下りようとしたところ……まあ、バランスを崩して掴んでしまったんだ。
何をって……うん、鷲掴みにしたらダメなところを……。
「だから我が力を貸そうと言うたのに、主様は頑なだからな」
「安全面を考えたら頼りにしたいけど、それだといつまでも筋力が戻らないから、無理を言って本当にごめん」
「カイトはそうやって、女の子に密着されるのが好きなのよねっ!」
「リシィ!? 違うよ!? 自力で下りようとしたんだ!?」
「知らないんだからっ! ふんっ!」
「ごめんなさい!?」
とリシィは言いながらも、サクラと一緒に肩を貸してくれている。
神脈炉を利用した活性治療で急速に回復はしているけど、右腕と右脚を失って物理的に活動が困難なことは変わりない。
僕の体は、かつて砲狼に食い千切られた右腕は勿論のこと、骨折しただけだったはずの右脚も大腿部から綺麗になくなっていた。
神器を顕現する力は当然なくなり、サクラの見立てでは完全な人に戻ったわけでもないらしいけど、能力的にはガタ落ちだ。
だけど、それでもこれで良かったんだ。
一応、ルコから受け継いだ青光の力が多少は残っているらしく、落ち着いたら神力の扱いを学んでいきたいと思っている。
エウロヴェを討滅したことで差し迫る脅威はなくなったとはいえ、そう遠くないうちにリシィの故郷を目指す旅に出るのだから、最低限の役には立ちたい。
……
…………
………………
エウロヴェは本当に討滅されたんだよな……?
「カイトおにぃちゃんっ! 食事の用意は出来てますですっ!」
「テュルケ、いつもありがとう」
「えへへっ!」
やっとの思いで辿り着いた居間では、テュルケが朝食の準備を整えていた。
椅子に座らされ、リシィとサクラの体が離れたことで何とか一息吐く。
「今日もおかゆとスープだけか……」
「今はまだ我慢してください。カイトさんは三ヶ月も胃が空だったのですから、少しずつ慣らしていかないと体が驚いてしまいます」
「だ、だよね……左腕だけの食事も慣れないし……」
「それはご心配なく! 私が食事のお世話もいたしますので!」
「うっ……そ、それはありがたいけど、自分でも訓練させて欲しい……」
サクラは目を輝かせ、どうも僕の世話を出来るのが嬉しいらしい。
逆隣ではリシィが頬を膨らませたまま、不機嫌そうに食卓を見詰めている。
僕はサクラに「はいあーん」をされてしまう前に、左手でスプーンを取って料理に口をつけた。
今日の朝食は、おかゆとコーンスープにアッフェル……リンゴのことだけど、果物をすり下ろしたデザートと物足りなくはある。
「お塩加減はどうでしょうかあ?」
「うん、美味しい。味付けもテュルケが?」
「えへへっ! ですですっ!」
「我はアッフェルをすり下ろしたぞ」
「うん、ノウェムもありがとう」
どうにも慣れないな……。
久し振りの平穏はどこかに何かが潜んでいそうで、どうしても警戒してしまう。
今は何かあってもこの体ではどうにも出来ないから、これが戦場から帰還した兵士の気分だとするなら、慣れるまでは相応の時間がかかりそうだ。
宿処の居間は、初めて訪れた時と何ら変わりない。
品のある甘い花の香りが漂い、元々は喫茶店だったという室内は暖かく穏やかで、物語の中で目にした大正浪漫を思い起こされる雰囲気だ。
この時代で最も安らげる空間……これがまだ夢の中でないことを願う……。
「もう、不器用なんだから。動かないで、拭いてあげるわ」
「え、あ、こぼしてた……。ありがとう、リシィ」
この数日で少しずつ聞かされた話によると、世界は、ルテリアは変わった。
あの日、エウロヴェの討滅と同時に特攻した“天の宮”により、【天上の揺籃】は徐々に地球から遠ざかっているそうだ。
長い年月をかけ、いずれは太陽に突入して燃え尽きる軌道。惜しくもあるけど、墓守の生産拠点が絶えず空の上にあるのは、この世界の未来にとって良い影響があるとは思えないから、これで良かったんだ。
そして、迷宮探索拠点都市ルテリアでは再建が始まり、僕が眠っている間にひとまず主要路の復旧だけが済んでいるらしいけど、まだそれ以外の多くが建物の瓦礫と墓守の残骸に埋もれているとのこと。
「カイトさん、考えごとですか?」
「うん。あ、いや、大丈夫。ルテリアの状況を反芻しているだけ、元通りになるには長い年月がかかるんだろうな」
「そうですね……。ですが、アシュリーンさんの計算によると、わずか二年で元通りに出来るそうですよ」
「岩盤から傾いたのに……動けるようになったら、真っ先にお礼に行きたい」
「はい、カイトさんの義肢も出来ているそうなので、週末にでもお伺いしましょう」
「次代の神と崇め奉られるのは、アシュリーンだったりしてな……」
聞くところによると、アシュリーンは重機を持ち込んで片っ端から復興に尽力しているそうだ。
ルテリア湖に着水した機動強襲巡洋艦アルテリアは、竜骨がへし折れて艦内に浸水、二度と復元も出来ない状態とのことで、これで完全にこの地球から航宙艦がなくなってしまったこととなる。
何度も何度も、自分に言い聞かせるように「これで良かったんだ」とは思うけど……正直な気持ち、何が最善だったのか自分自身ではわからない。
「主様、眉間に皺を寄せ、そうまで気に病むことはない。人知れず世界を揺るがしていた此度の騒乱、主様の尽力がなければ何もかもが確実に滅んでいたのだ。巻き込まれただけで、ここまで尽くしてくれた主様を、我は心より誇りに思う」
「私もノウェムさんと同じ思いです。カイトさんには、これから最大限の平穏な日常を謳歌していただきますからね」
「ですです! なくなったおにぃちゃんの神器の代わりに、私が腕となり脚となりえいやーですですっ!」
「そうだな。いまいちまだ実感が湧かないけど、満足に動けるようになるまでは、のんびりと平穏な日常を過ごさせてもらおうかな」
「カイトは目を離すと直ぐに無理するんだから。しばらくは付かず離れず皆で監視するから、体だけでなく心までしっかりと休むのよ。良いわね?」
全員の視線が真摯に僕を見詰める。
これでは、迂闊に考え込むことも出来ないのではないだろうか……。だけど、だからこそ僕を思っての彼女たちの配慮だ。無下には出来ない。
「ああ、精一杯に頑張らないよう頑張るよ」
「……妙な物言いだわ。頑張るのは悪いことではないけれど、引っかかるわね」
「は、はは、これは性格だから。それよりも、まだ朝も早いのに外は随分と慌ただしいんだね。作業音というよりは戦闘音に聞こえるけど……」
朝の静かな食卓……というわけにはいかなかった。
話している間に、どこからか争うような音が聞こえ始めたんだ。
リシィが、サクラが、皆が困ったような表情を浮かべる。
「これは、防衛部隊と盗賊団が交戦していますね……」
「えっ、盗賊団……!? 残存墓守ではなく……!?」
「カイト、今の【重積層迷宮都市ラトレイア】は、埋もれていた神代遺構や遺物の多くが掘り返され、地表に露出してしまっている状態なの。【天上の揺籃】が浮上したことによる思わぬ副産物だけれど……ルテリアはこれまで以上の“探索拠点”として、多くの探索者だけでなく、盗人が集う無法の街となってしまっているわ」
「なんてことだ……。平穏が訪れると思ったら、よりにもよって……」
「勿論、サークロウスさんを中心とした、探索者と衛士隊による防衛部隊が睨みを効かせていますから、無闇矢鱈なことは出来ません。ご安心ください」
「そうか、世界中に散った墓守も完全に停止したわけではないんだよな……。より一層の抗う力を求め、誰もがそれを手に入れるための行動を起こす。エウロヴェに同調するわけではないけど、人の業とはやはりどこまでも深い……」
今は唐突に訪れた変わり行く時代のただ中にあり、誰もが淘汰されないよう行動を始めているんだ。
「僕も何か……」
「カイトはダメ!」
「カイトさんはダメです!」
「主様は大人しくしているが良いの!」
「おにぃちゃんはゆっくりしてくださいですです!」
「は、はい……」
世の中を気にする以前に、何よりもこの監視網が一筋縄ではいかない……。