第二百七十四話 立て、行け、そして――
――ヒュウッ……ドゴォオオォォォォッ!!
風切り音と突然の爆発、そして大気を伝って肌を叩く爆風。
リシィがその華奢な体で僕を抱え込み、光翼で衝撃を和らげてくれる。
失いかけた意識は引き戻され、彼女とは別の僕を呼ぶ声を聞く。
「――サカ――クサカだろ!? しっかりしろ! 衛生要員、こっちだ! くっそっ、なんて重さだ……手を貸してくれ! 退避!」
周囲が白い……銃声と、煙幕……僕を引き摺るのは……。
「モリ……ヤマ……?」
「ああ、俺たちが来た! ここは支える、意識を保て!」
――キュラキュラキュラキュラドパンッ!! ゴガアアァァァァッ!!
履帯が石畳を踏み進行する音、発砲音、爆発音。
数人の自衛隊員が僕を引き摺って運び、彼らごとリシィが光翼で護っている。
少し頭を上げると、入れ違いで進出した二台の10式戦車が大通りを塞ぎながら発砲し、その周囲でも何名かの自衛隊員が展開し小銃を発砲していた。
「10式が二台とは太っ腹だろ? もう帰れないかも知れない俺たちに、日本政府からの餞別だ。だからくたばるんじゃねえ、クサカ!」
「モリヤマ……何で……僕だと……」
「それは今どうでも良い話だが、こんな美人の姫さまが傍にいるのはお前しかいないだろうが!」
「それも……そうだ……。モリヤマ、離してくれ……あいつは、エウロヴェは人が相手に出来る存在ではない……。僕が……立ち向かわないと……」
「カイト! 今はダメよ! 貴方が死んでしまうっ!!」
「それ……でも……」
その時、ヒュウッと風向きが変わった気がした。
「来訪者に続けええええええっ!!」
「おおおおっ!! 軍師をやらせるな!!」
「火砲をもっと前に出せ!! 全員で運ぶぞ!!」
「戦列を築け!! これ以上は一歩も近づけるな!!」
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」
探索者たちが、衛士たちが、そして騎士も、一般人にしか見えないような人まで、後退する僕たちと擦れ違い大通りの先へと駆け抜けて行く。
頼もしい英雄たち……それでも……奴には……。
「おいクサカ、聞いてないぞ! こっちの世界にはすげえもんがあるんだな!」
「……え?」
ルテリアに、朝焼けの空を覆い隠してしまうほどの巨大な陰が落ちる。
機動強襲巡洋艦アルテリア――見るも無残な破壊の跡を残す巨艦が、大気圏再突入を終えこの地に帰って来た。
低空で大気を巻き上げ、艦体の至るところから黒煙を吐き出しながら、ルテリア湖の方角へと墜落して行く。
だけど、通り過ぎたアルテリアは残していった。
空から舞い降りる数千の探索者たちを、何者をも阻む真の英雄たちを。
「ハッ、マダ借りハ返してもラってナいぞ、くタバるナ小僧!」
「ベン……ガード……」
「カイトくんに傷を負わすとは穏やかでない。奴にはツケを払ってもらおう」
「セオリム……さん……」
「カイト、そこで見てると良いワッ! ワインレッドの正騎士を鹵獲したのヨッ!」
「ア、アリー……」
「全隊突撃!! これ以上の侵攻を許すな!!」
「シュティ……ラ……」
ベンガードとセオリムさん、そしてその仲間たちが颯爽と通り過ぎて行く。
正騎士の肩にはアリーとミラーが乗っていて、特殊仕様かその配色は真っ赤だ。
そうして、英雄たちが次々と空から舞い降り、勇ましく大剣を振り被ったシュティーラの号令とともに、我先にと大通りの先へと駆け抜けて行った。
思わず仰いだ朝焼けの空には三本の飛行機雲。
アサギとブリュンヒルデ、もう一人はヘルムヴィーゲか。
皆が皆、何かを守るために拳を振り上げ、意気を露わにする。
「ここで下ろしてください」
血で汚れることを厭わず、袈裟斬りにされた僕の体に触れたのはサクラだ。
今にも泣きそうな、怒ってもいるような、それでいて覚悟を秘めた表情で、僕が路上に下ろされるのと同時に彼女は神力を込めた。
通り過ぎる人々は既に大通りを埋め尽くすほどとなり、こちらに向けて「後は任せろ」と口にしながら、次々とその姿を視界から消して行く。
「リシィさん、【翠翊の杖皇】を喚び起こしてください。神器の力でなければ、この傷は癒やせません」
「ええ、力を貸して、サクラ」
「はい」
いつの間にか、周りにはノウェムとテュルケとベルク師匠とアディーテもいる。
「ノウェム殿、テュルケ殿、アディーテ殿、某たちは盾となる。カイト殿が再び立ち上がりしその時まで、エウロヴェを阻んでみせようぞ」
「うっ……ぐすっ、主っ様はっ、これ以上っ傷つけさせぬっ、うぐっ」
「はいです! まっ、まだっ、泣きませんですですっ!!」
「ウウーッ!! アディーテは怒ったーっ!!」
皆も涙の一滴を残し、僕の視界から消えて行った。
残ったのはモリヤマと名も知らない衛生要員、そしてリシィとサクラ。
エウロヴェから受けた傷は、恐らく“久坂 灰人”という存在そのものの傷だ。
リシィは涙を流し、【翠翊の杖皇】の神唱を呟きながら血が溢れ出す傷口を押さえ、サクラもまた輪郭に炎を宿しながら神力を注ぎ込んでくれている。
「何てこと……ルニ! ニティカ! 手伝って!」
「……アケノさん……ここは、危ない……」
「カイトくんは黙って!」
「クサカさん!? これはいけません、神力の扱いに長けた者を!」
「ルニ……さん……」
続いて姿を現したのはアケノさんだ。彼女が手招きすると、ルニさんと……確か鳳翔の給仕で、サクラに面影が似ているニティカさんも姿を現す。
そして、歌い続けるリシィの熱い涙が一滴、僕の頬に落ちて流れた。
「僕……は……」
こんなところで寝転がっている場合ではない……。
こんなところで僕だけが立ち止まって良いはずがない……。
エウロヴェを滅するための龍血の神器……これでは何が“神殺しの器”か……。
既に三体もの龍が落とされ、永遠不滅の存在でないことはわかっている……。
だから、立ち上がれ……立ち上がれ……立ち上がるんだ……!
「カイトさん!?」
「カイト!? ダメ!!」
無理やり上体を起こそうしたところ、不意に周囲の動きが、時が止まった。
僕を治療するための【翠翊の杖皇】の翠光が、目の前で小さな人型を現す。
「リ……リヴィ……!?」
いや違う……更に人型は膨らみ、その姿はグランディータに。
彼女は僕に慈しむような眼差しを向け、直ぐに銀光と翠光を残して消えた。
暖かくも柔らかな翠銀の風が、僕の内に吹く――。
「カイトさん、動かないでください! これ以上の流血は……血が……」
「カッ、カイトくん!? ど、どうなってるの……お姉さん何が何だか……」
「お、おい、クサカ……何なんだ!? 血溜まりが消えた……!?」
「カ……カイト……?」
――キュバッ! バシュウゥゥッ!
探索者たちが形作る戦列を割り、大通りを赤熱する閃光が駆け抜けた。
石畳に亀裂を作り、地下迷宮層まで抉ったそれはエウロヴェによるものか。
だけど、その攻撃から僕たちを護った盾が眼前に展開する。
【神蝕の銀盾】――如何なるものも侵蝕する大盾が、神力をも喰らい尽くす。
「お、おい……クサカ……?」
「悪い、モリヤマ。自衛隊の出番はもらう」
大通りの先で、今もエウロヴェに対峙する探索者たちが幾人も上空に跳ね飛ばされ、霧と消えるように存在を消されてしまっていた。
空では、ブリュンヒルデがアサギを庇って緋剣の斬撃を代わりに受け、胴体を真っ二つにされてしまった。
人の命が虚しく掻き消える戦場に雨が降る。
いや、これは雨ではない……墜落したアルテリアが跳ね上げた湖水だ。
雨のように降る湖水は熱せられ水蒸気となり、街を白い靄の中に隠していく。
声が、聞こえる――
――立て、立て、立て。
「立て……!」
――行け、行け、行け。
「行け……!」
「カイトさん……?」
「カイ……ト……?」
自らが発し、自らを奮い立たせる言葉が、胸の内で確かな“衝動”に変わる。
禍神如きに、これ以上は人の平穏を奪われてなるものか……。
なればこそ――
「進め!!」
――ドッ!! ゴオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!
銀色の炎が空高く噴き上がり、終焉をもたらすかのような紫空を塗り替えた。
全身を銀炎に包み込まれ、そうして僕は今一度立ち上がる。
誰もが呆然と見上げ、自分自身も何が起きたのか知る由もない。
今一度、【銀恢の槍皇】を顕現する。
神を殺す槍、何よりも人々の希望となる槍、旧世界から新世界への餞。
「人を想い、形作られたこの槍、二度と折れぬと知れ!!」