第二百七十三話 無より生ずる者
僕が一歩を踏み出した瞬間、エウロヴェが緋剣を薙いだ。
位置関係はエウロヴェの左側面にいて、左前方から横薙ぎに迫る緋剣を、長い銀槍で受けるには大きく振らなくてはならず不利。
だから僕は一歩を踏み込み、斬撃の下を掻い潜るように接近する。緋剣が頭上を紙一重で交差し、斬る皮もない兜を削る感覚がおぞましい。
そうして近接する僕に対し、エウロヴェは燃え盛る火輪から炎の矢を放ち、緋剣はあらゆる物理法則を無視して直角に曲がった。
だけど、忘れてもらっては困る。
僕の体が神器であることを、何よりも頼もしい彼女がいることを。
僕の首を狙った緋剣を阻んだのは、リシィが操る黄鏡。黄鏡は剣身を器用に叩き、逸らされた緋剣は僕の背後で地に落ちる。
連射される炎矢にしても、最早人の身から逸脱した僕を捕らえることは出来ず、人外の機動力が残像を残して一瞬でエウロヴェの背後を取った。
「ここっ!」
ゲーマーにとって背面攻撃は基本、銀槍を突き出し火輪を狙う。
だけど、人外は相手も同様で、捕らえたかに思えたエウロヴェも瞬時に眼前から掻き消えた。
石畳に残る融解した筋、背後からは超越存在の威圧とも、身を燃やす熱量とも取れる気配。全ての感覚は、奴が背後に回ったことを知らせている。
そして、頭上から迫り来る悪寒、これは凝縮された神力の塊だ。先程の物理法則を無視した緋剣の軌道から、防御しようと銀槍を掲げれば胴体は真っ二つ、避けようとしても変わらない結果が待ち受けるだろう。
相手は身長が十メートルもある巨体。少しの空隙があるとすればその間合いの内側、なら今一度、更に踏み込むしか凌ぐ手立てはない。
そう、緋剣は握られていないだけで、腕を起点にしているのは確か――
――キュドッ!! ゴッ!! ゴッドオオオオォォォォォォォォォォッ!!
僕は石畳を蹴り、背でエウロヴェに体当たりをかました。
振り下ろされた緋剣は断頭台の落ちる刃のようで、石畳に亀裂を作る。
ただ、間合いの内側は常に隙があるとも限らないだろう。少なくとも赤光の衝撃波があることから、僕は態勢を立て直すため直ぐに背後を蹴って離れた。
身を翻し振り返ると視界に飛び込んだのは、火輪を真上から貫く光槍。
「カイト!」
「大丈夫、良くやってくれた!」
僕とリシィは二人でひとつ。
防御が間に合わなければ互いが互いを何とかするし、どちらかがエウロヴェの隙を作れば、残されたほうが攻撃を仕掛ける。
恐れることは何もない、二人で超越存在に対する戦闘を組み立てるんだ。
「そんな、確かに貫いたはずよ!」
「……っ!?」
だけど、光槍に貫かれ確かに一瞬だけ黒ずみ始めた火輪は、まるで何事もなかったかのように炎を噴き上げ元の状態に戻ってしまった。
『侮り難し、騎士よ。そして、禍つ龍が血脈の娘よ』
「くっ、超越存在は伊達ではないというのか……」
火輪は燃え盛り、炎は修復だけでなく更に緋剣を生み出していく。
片側六本、総計十二本の緋剣が、エウロヴェの背で翼となり業火を燃やす。
ひとつひとつが因果をも斬り裂く剣だ。僕の内にも同様の力が在る限り容易く干渉されないとはいえ、何度も斬られてしまったらどうなるのかはわからない。
今のところリシィは狙われていないけど、今ので僕と同様に敵性と認識されてしまったか……いや、最初から狙われていたんだ、油断は出来ない。
「リシィ、攻撃と防御を分担しよう。今なら出来る気がする」
「ええ、任せるわ。けれど、隙があったら私も攻撃を仕掛けるから」
「ああ、頼む」
リシィが黄鏡と同時に光盾を形成する。いや、盾ではない。
硬度と同時に柔軟性を持ち、黒杖の干渉がなくとも操作を可能とするため、彼女の背から生える十二枚の光翼として形作られていた。
十二本の緋剣に対し、こちらは黄鏡と十二枚の光翼、不足はない。
『我が真なる緋翼をもって滅びよ』
「やれるものならな……!」
そうして十二本の緋剣が乱舞を始め、僕たちとエウロヴェの間は、踏み入ると存在自体が抹消される空間と化す。
緋剣の軌道は赤く燃え、大気自体も熱せられ石畳も赤熱し、この場所こそが、この世に現出した焦熱地獄の様を現してしまっている。
僕は思い描く、自身の内に流れるグランディータとテレイーズの龍血に願う。
これまで、リシィは戦うほどに新たな力を目覚めさせた。
なら僕も、彼女に付き従う騎士として、龍血の姫に相応しく在りたいと願う。
「月輪を統べし者 天愁孤月を掲げる者 銀灰を抱く者 白金龍の血の砌――」
もう何度となく聞き、覚えてしまった神唱。
「打ちて 焼きて また打たん 万界に仇する祖神 銀槍を以て穿て 葬神五槍――」
リシィが光翼で緋剣を凌ぎながら驚いた表情を浮かべている。
「禍神を――邪龍を滅する龍血の神器、今ここに! 【銀恢の槍皇】!!」
僕の体から、僕の踏み締める大地から、銀光の粒子が舞い、宙に渦巻く。
その数は十二どころではなく、倍以上の数をもってそれぞれが銀槍を形作る。
顕現するは、全てが【銀恢の槍皇】。
「リシィッ!!」
「え、ええっ!!」
そうして、リシィは銀槍が落下する前に黒杖を振るった。
僕が次々と形作り、リシィによって射出される様は多連装ロケット砲。
銀槍はその全てが神威を秘めた束となり、緋剣を潜り抜けエウロヴェを狙う。
龍血が願望を力に変えるのなら、僕にだってやってやれないことはない。
『騎士よ、見事。されど、なればこそ滅ぼさなければならぬ』
エウロヴェが石畳を割り一歩を踏み出す。
既に銀槍は三桁にまで迫る勢いとなり、だけど全てが緋剣に阻まれ粒子と消え、辛うじて抜けた一本はエウロヴェが素手で掴んでしまった。
『至らず』
――バキイィッ!!
「なら僕が――ぐっ!?」
その瞬間、突如として視界が噴き出す血の赤色で染まった。
灼熱が僕の体を縦断し、それはそのまま肩口から袈裟斬りにされたことを示していた。
ただ、エウロヴェが一歩を踏み出し、銀槍の一本を握り潰しただけ。緋剣は未だに全てが間合いの外、剣筋もなく、他に体を斬り裂く何かがあったわけでもない。
「嫌ああああああああああああっ!!」
銀光が散り、中途で形作られた銀槍が地に落ち粒子と消える。
傍らのリシィが叫び、咄嗟に体を支えてくれるも、僕は膝をついてしまった。
「ガハッ! ぐ……どこ……から……」
「カイトッ!! カイトォッ!!」
しまった……これは“刃槍”と同様の力か……? 封印したことで、自分自身の意識からも遠ざけてしまっていた……。
しかも……これは……空間干渉なんてものでもない……。緋剣の力を打ち消すはずの僕以外の何かに干渉し、結果として対象を斬り裂くことが出来る未知の……。
ぐっ、リヴィルザルの“創生”がなければ……もう僕は……。
『人間とは、我らに比べれば歴史浅き存在に過ぎぬ』
「だとしても……その歴史を斬ったとして、無限にも等しい要因の中から……結果を一人に収束させるなんて……出来る……のか……」
『我は無より生ずる者。人間にあらず、人間の概念は我を縛らず』
「ゴボッ、ガハッ!! 最初から……抗うことも出来ない相手だったと……」
『我は無より生ずる者。名をエウロヴェ。何人も、我を阻めず』
「クソッ……クソッ……ぐっ……」
「カイトッ! カイトッ! 嫌っ! そんなの嫌よっ!!」
自らの流れ出た血が足元に血溜まりを作り、思考することも困難になるほど意識は朦朧とし、エウロヴェを見据える視界が閉ざされ始める。
ただの一撃で、拮抗しているかに思えた状況が覆されてしまった。
あまりにも……あまりにも、存在の格が違う……。
神器の恩恵があったとしても、抗える相手ではなかった……。
見えない刃を、どうすれば防ぐことが出来るのか……。
僕は……僕たちは……ここまで来て……。
血が流れる――意識が途絶える――。
リシィの泣いて呼ぶ声だけが、繰り返し僕を呼んでいた――。