第二百七十ニ話 騎士 対 剣皇
時間の感覚がない、どれほどの時間を暗い宇宙にいたのか。
視線を巡らすと、東の果てで地平線が紫色の輪郭を滲ませ、辛うじて朝が近いことだけはわかった。
僕とリシィは操縦席から脱出し、重力に引かれ地上へと落ちている。
少しずつ離れるアメノハバキリはもう限界だろう。そもそもが継ぎ接ぎだった機体は、ひとつふたつと炎の筋を増やし、爆散するのも時間の問題だ。
眼下には、建物の瓦礫と墓守の残骸に埋もれるルテリアが近づいている。
「リシィッ!!」
「ええっ!!」
自由落下で晒される強風の中で、僕たちは身を寄せ合い声を張り上げた。
着地の衝撃を吸収するため、リシィは僕の首に手を回し、僕は彼女の大腿部を左腕で抱えて座らせるような状態とする。
体を押す大気は重い。そんな状況でも、全身が龍血の神器となった僕と、竜種であるリシィの行動を制限することは出来ない。
そして、リシィが黒杖を抜くとともに、落下するだけだったベクトルが変わった。
飛翔が出来るほどではないけど、物体に指向性を付与する黒杖の特性により、上方へと引っ張られた僕たちは落下速度が緩まったんだ。
「カイト、あそこ! エウロヴェよ!」
「ああ、このまま防衛部隊の前に出る!」
ルテリアの残骸の合間、今まさに行政区画を横切る大通りを、エウロヴェが【重積層迷宮都市ラトレイア】に向かい悠々と歩いていた。
既に戦闘も始まっていて、衛士隊による火砲の砲撃が緋炎の巨人の周りにクレーターを作り出し、探索者に至っては既に被害が出ているようで、エウロヴェの進行に押されジリジリと後退しているだけだった。
「神們を統べし者 天地渾沌に笑う者 黄鱗に栄える者 白金龍の血の砌 打ちて 焼きて また打たん 万界に仇する祖神 黄鏡を以て見よ 葬神ニ盾 【黄倫の鏡皇】!!」
もうアルテリアには頼れない。
ザナルオンの“死の虚”と同様に、ヤラウェスの“精神干渉”も取り込んでいると断定し、顕現した【黄倫の鏡皇】はリシィが光盾の代わりに黒杖で操作する。
「逃がすものか! こっちを向け、エウロヴェエエエエエエエエエエッ!!」
地上を目前にして、僕は銀槍を力の限りに投擲した。
――キィンッ! ゴッドオオオオォォオオォォォォォォォォォォォォッ!!
アメノハバキリが爆散し、ルテリアの上空で巨大な火の玉に変わる。
そして、全ての人々が突然振って来た空の異常を見上げ、エウロヴェもまた太陽のように燃え盛る顔面を空へと向けた。
誰もが見上げるのは僕たち。リシィの光結界と黄鏡に護られ、空を覆い尽くした猛る炎を抜け、黄金色に目映い輝きを発しながら大地へと落ちる。
辿り着くは、エウロヴェの真正面。
――ゴオオォッ……ズンッ!! ズズンッ!!
両足で着地し、片膝を突くと同時に大通りの石畳が円状に陥没した。
静寂が訪れる。探索者たちの奮戦の声が止み、轟き続けた砲撃も止む。
そして、僕は銀槍を形成し空に掲げ、今一度エウロヴェに向ける。
『来たか。神魔相成る騎士よ』
「僕は龍血の姫の“銀灰の騎士”。この力の使い方は違えず、決して“魔”に魅入られるつもりもない」
『そうした人間の自惚れが、かつて自らを滅ぼした』
「ああ、そうだ。今一度機会が欲しいとは願わない。お前を滅ぼすことが間違いだとしても、その間違いを押し通し、僕はこの先で正しく在ることを貫き通す」
『詭弁だな、騎士よ』
「それで良い」
火輪が炎を噴き出し、銀槍に勝るとも劣らない刃渡りの緋剣が形作られる。
エウロヴェが手を振ると、宙に浮いたままの緋剣も薙ぎ払われ、燃え上がった瓦礫がまるで初めからなかったかのように掻き消えてしまった。
存在をなかったことにする力……。あれに触れてしまえばただでは済まないと理解しつつも、僕とリシィは共に地面を蹴ってエウロヴェに接近する。
一合目、横薙ぎにされた緋剣をリシィが黄鏡で受け止め、僕がその隙を突き銀槍で頭を狙うも、エウロヴェの自由な左腕で払い除けられ、最初の一合は両者共に傷ひとつ負うことなく凌ぎ凌がれた。
二合目、ほんの少し開いた間合いを詰め、僕は銀槍の連突でエウロヴェの頭を狙い続け、それに紛れてリシィが五本もの光槍を瞬間形成し刺し貫こうとする。
だけど、背後に回されこちらの手が届かなかった緋剣が、上段からギロチンの如く襲いかかって光槍を砕き、僕たちも既のところで後退って避けた。
緋剣は振り下ろされた勢いのまま大地にめり込む。
三合目、これまでの攻撃は布石。リシィが砕かれた金光の粒子を再び光槍に形成し直し、都合四槍が交差し緋剣を路上に縫い止める。
そして、僕とリシィはこのわずかな時間で左右に展開し、銀槍と最後の一本となった光槍でエウロヴェの背面で浮かぶ火輪を突いた。
――かに思えたその時、ぬるりと嫌な予感が僕の心臓を逆撫でる。
「リシィ、防御!!」
――ズズンッ!! ドゴォッ!!
「ガッハッ!?」
僕は大通りの二車線を吹き飛ばされ、建物の瓦礫で背中を強打した。
リシィは辛うじて黄鏡による防御が間に合ったようだけど、やはり吹き飛ばされエウロヴェを挟んだ反対側の路上に転がり、衝撃で咳き込んでしまっている。
その原因は、エウロヴェを包み込み炎と燃える赤光の球体の仕業。
「ぐっ……今のは正騎士が使っていた全周攻撃……」
龍の姿から人型になったことで、腕、脚、体幹を活用した防御、力押しだった緋剣の使い方にしても変化が生まれている。
これならむしろ、龍の姿のままだったほうが相手しやすかったかも知れない。
僕は、自分の体が激突したことで砕けた瓦礫を押し退け大通りに戻った。
今の衝撃を受け大きく吹き飛ばされてしまったところで、神器の体に目立った傷はなく、また動けなくなることもないようだ。
ただ、力を振るうごとに甲冑の隙間から噴き出す銀炎は勢いを増し、このまま人の意識を失い神器となってしまうのではないか、と不安が胸を過ぎる。
『自ら神魔の禍つ器と化すことを願いし者が、己自身を恐れるか』
「黄鏡の影響下で心まで読むのか……?」
『否、貴君が纏う神炎の揺らめきこそが証。我が認めた者がそのような有様とは、些か評価が過ぎたようだ』
僕はこいつを侮っていた……。
絶対存在で在り、人を滅ぼすほどに憎みながら、頂点から見下ろすだけでなく、時に対抗することの出来る存在として認めてしまう。
僕がやらなければいけないのは、龍を滅する力に振り回されるのではなく、人として並び立つ意志をもち、神器となった自身を己の手の内で制御することなんだ。
息を深く吸い込み、そして強く大きく吐く。
心なしか勢いを増していた銀炎が収まり、僕の心の内で波打っていた感情も、水滴が波紋だけを広げる凪いだ湖面のような状態となった。
絶対に勝たなければならないという、強迫観念染みた意識はもうない。
僕は戦士でも、軍師でも、ましてや英雄なんかでもない、ただのゲーマー。
そうだ、難しく考えることなんてなかった。
今まで当たり前だったことを、当たり前のものとしてやるだけで良かったんだ。
「ふぅ……エウロヴェ、“ゲーマー”という存在を知っているか?」
エウロヴェは答えない。
「“ゲーマー”は、誰よりも多くの世界を救ってきた存在なんだ」
そう、だから今のこの世界を救うことも当たり前。
屁理屈だとしてもそれで構わない。きっとこれから、僕たちのこれまでの行動が上手いこと絡み合い、決して至ることのないラスボスに突き刺さるに違いない。
肩の力が抜け、手に持つ銀槍が心なしか軽くなったような気がした。
「格ゲーは久しぶりだけど、まだラウンドは始まったばかり」
リシィが、エウロヴェが、僕の纏う雰囲気が変わったことに気が付く。
騎士で在りたいとは思うけど、僕本来の甲冑の下の姿は捨て切れない。
そうして、銀槍を再びエウロヴェに向ける。
僕は戦士でも、軍師でも、ましてや英雄でもない、ずっと忘れてしまっていた。
僕はそう――ただのゲーマーなんだ。
「最終決戦はこれからだ、“神の視点”」




