第二百六十九話 神殺しの器
「あ、あぅ……主様……なのか……」
ノウェムがこちらを痛ましい感情の籠もった視線で見ている。
「カイト、意識はあるわね?」
「……ア……アあ」
「大丈夫よ。私が何に変えても、貴方を必ず元の姿に戻すから」
リシィは悲壮な表情でそう言い、唇を噛んで僕の頬に触れた。
不思議な感触だ。彼女の手の柔らかさはあるのに、頬に沈む感じがない。
僕は視線を下ろし、自分がどうなってしまったのかを確認する。
右手には銀槍が握られ、それを持つ腕もいつも通り銀炎の燃える神器だ。
だけど、左腕も右腕と同様に神器で形作られた甲冑となり、それは当然右脚も、そして左脚も、四肢が繋がる胴体まで銀灰色の異貌となってしまっていた。
自ら望み、リシィが叶えてくれた、彼女のための【銀灰の騎士】。
更に僕は、鏡のように周囲を映す銀槍の表面で自身の顔を見る。
それは人のものではない、龍をモチーフとした西洋の騎士兜。触れる感触があるということは、この鋼の装甲そのものが今の僕の皮膚ということなのだろう。
ありがたい……人型であるのなら、自分自身の意志で皆を守ることが出来る。
「ダジョ……ブ……スコシ話しヅライけど、コレなら直ぐ慣れるヨ」
僕は口元の硬い感覚に違和感を覚えながら、それでもはっきりと答えた。
この甲冑の下で生身の体がどうなっているのかはわからない。声を出すと口部が金属音を立てて擦れるため、あまり都合の良い楽観視は出来ないだろう。
だけど、リシィが元に戻すと言うのなら、僕は彼女の成すことを信じる。
僕は僕のまま、彼女と皆のために、どこまでも騎士で在り続けるだけだ。
「ええい! これ以上は侵蝕が進まぬよう刹那の時で片を付けるぞ! リシィ、主様を元に戻すは誓いだ、決して違えるでないぞ!」
「元よりそのつもりよ! 私だって、カイトには生身でいて欲しいもの!」
僕たちの異常に勘付いたエウロヴェが金眼をこちらに向けた。
エウロヴェを押さえるグランディータも、周囲を飛び回りながら戦うサクラも、テュルケも、ベルク師匠も、アディーテもまた、姿を変えてしまった僕に気が付く。
そして、皆の視線に応じようと銀槍に力を込めると、全身の甲冑の隙間から勢い良く銀色の炎が噴き出した。
『自らを【神魔の禍つ器】と変えてまで、我を滅ぼさんとするか。我はエウロヴェ、龍と人とにより生み出された禍つ力に後れは取らぬ。永久に滅びよ』
エウロヴェの火輪が再び炎を噴き上げる。
グランディータは因果を焼く炎に晒され、新たに顕現した緋剣にも斬り裂かれ、頭部で弧を描き地響きを立て床に倒れてしまった。
真の【緋焚の剣皇】、それも今度は同格の剣が五本。
エウロヴェは鎌首をもたげ、僕たちの存在も受けた体の傷も、まるで何でもないことかのように、ただ虚無を内包する金眼で見下ろしてくる。
これが絶対存在……僕たちでは、カトンボにすらなれないのか。
「滅びないわ! 私は、私の騎士は、私の仲間たちは、これまでどんな苦難も力を合わせて乗り越えてきた! ずっと穴蔵の底で、人を憎むことしか出来なかった貴方とは違う! 私のカイトはっ! 貴方みたいな根暗な神様よりも、ずっと、ずっとっ、器の大きな人なんだからーーーーーーっ!!」
リシィが叫んだ、それは耳に余韻となって残るほどの絶叫。
「根暗ナ……神様……ハはっ、アの圧倒的な存在ヲ前ニしたら、とてもソんな風にハ思えないケド……確かに、そうなのかもな」
「くふふっ、それは良い。そう思うと、途端にあの龍が初いものと見える」
「リシィさんには同意ですが、カイトさんはまた無茶をして後でお説教ですからね!」
「カカッ! これは恐ろしい、サクラ殿の怒気で街ひとつが灰燼に沈んでしまう!」
「姫さまー! 私もそう思いますです! カイトおにぃちゃんは私にとっても、山よりも、海よりも、いっぱいいーっぱい、おっきいおにぃちゃんですです!」
「アウーッ! カトーはいつも干し肉くれるいいやつーっ!」
倒れたグランディータも、体を震わせて今再び起き上がった。
その龍の表情は、血に塗れながらもどことなく緩んでいるように見える。
これは、エウロヴェを前に随分と余裕のある会話だ。
だけど、僕たちはこれで良い。
『滅びよ、滅びよ、滅びよ』
そして、エウロヴェは五本の緋剣を宙に放った。
一本がベルク師匠たち、一本がグランディータ、残りの三本が僕たちに向けられ、勢い良く大気を斬り裂き迫って来る。
「ソんなに、龍血の神器が怖いか……。エウロヴェッ!!」
迫る三本の緋剣、ノウェムが、リシィが、そして僕が迎え撃つ。
まずはリシィが蒼衣を翻し、その大きく広がった蒼色のヴェールは独自の意思を持つかのように蠢き、緋剣の一本を“死の虚”に飲み込んでしまった。
僕もまた神器となった体で銀槍を突き出すと、切っ先同士が触れ合った瞬間、ズクリと沈む感触とともに銀色の侵蝕が緋剣を崩壊させる。
これが人と龍が共生し創り上げ、対龍対神器とまで昇華された龍血の神器。
それ即ち、リシィに与えられたこの体、内包する特性は――“神殺し”。
そして、僕が最後の一本に対応しようとした瞬間、これまでに見たことがないほどの大きな転移陣が、緋剣の進路に避けようのない大口を開けた。
転移先は、事もあろうに緋龍の背後。
ノウェムによる渾身の転移陣が、再び緋剣を返し火輪を貫いた。
『グゥオォオオオオォォォォオオォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!』
エウロヴェが苦痛の雄叫びを上げる。
先程は損害を与えられなかった火輪、“緋龍の逆鱗”が今度は砕けたんだ。
実体を持たない炎にも見えるそれは、緋剣に貫かれたことで一部が断裂し、断たれた先端から黒ずんだ炎と変わり散っていく。
悠々と絶対存在そのもののだったエウロヴェが吠えた。
耐え難い苦痛に身を捩り、その咆哮が“絶対”ではないと告げている。
「くふっ……やった、やったぞ主様……!」
「ノウェム! なんて無茶を……!」
「ノウェム……貴女……」
ノウェムは既に一度“転移”能力を使い、僕たちを宙に留めることにも“飛翔”能力を使い続けている。
そして、更に今の緋剣の転移……。顔色は青ざめ、まだ血こそ流れてはいないものの、肩を大きく揺らして息をする様は酷く苦しそうだ。
「これくらいは、何てことない……。だから……一息に終え、主様の精一杯で褒めておくれ……くふっ、くふふ……。リシィも、我を褒めてくれても構わぬのだぞ?」
「……ええ、なら最後まで耐えて。地上に帰ったら、ノウェムの気が済むまで褒めてあげるんだから」
「ああ、後もう少しだけ我慢してくれ。献身を無駄にはしない……!」
のたうつエウロヴェに対し、僕たちは矛先を向けた。
ベルク師匠たちは、全員で力を合わせて緋剣の斬撃を凌ぎ、グランディータもまた因果を焼く炎に身を焦がしながらも緋剣を噛み砕いた。
「エウロヴェ、お前たちに比べたら人は確かに虫けらのような存在だ! だからと、その存在の全てを消されるほどに手遅れではない! 恨むなら恨め、その代わりに僕が人々の矛となり、全力で反抗する!!」
『グゥオオォォォォッ! 母なるセレニウスだけでなく、我をも滅ぼすか……! ならば、この生存がための闘争、今ここに雌雄を決するとせん……!』
ベルク師匠たちが、グランディータが攻撃を仕掛けようとした瞬間、それまで苦しんでいたエウロヴェが、僕たちに向けて勢い良く首を伸ばし始めた。
少しずつ黒ずむ火輪からは、数百、数千、いや数万に達するほどの炎の矢が放たれ、リシィが咄嗟に形成した光結界を叩き、貫く。
これは、ひとつひとつが【緋焚の剣皇】だ。幾万もの緋剣が飛来する。
「ノウェム、耐えてくれ!! リシィ、“死の虚”ごと貫くぞ!!」
エウロヴェが大アギトを開き僕たちを飲み込まんとする。
僕たちもまた正面から対峙し、緋龍が内包する”死の虚”を迎え撃つ。
これが最後だ……緋焚の剣皇 エウロヴェ!!