第二百五十五話 罪を烙く
見ているだけでも気が狂ってしまいそう。
グリゴリー ブレイフマン……どんな生き方をすれば、あんな歪んだ精神となってしまうの……。
今は全員で「殺せ、殺せ」の大合唱……「死にたくない」と言っている人が、死なない体となったから欲求のために“死”を求めるだなんて……どうかしているわ。
カイトは【銀恢の槍皇】を作り出して私の傍に寄り添ってくれた。
私は袖で自分の頬を拭う。人の命を奪う禁忌は思っていたほどに重くなく、それはあの狂った人物だからこそ感じることで……だからと軽くもないの。
慣れたくはないけれど、覚悟はしなくてはならない……。混沌の中にあり、最も狂気をもって人を傷つけるのは同じ人なのだから……。
「イハハッ! 思ってもなかった拾い物だぁ、小娘もなかなかなかなかなかなか侮れない! もっと、もっとだっ! もっともっともっとっ俺を殺せええええええええっ!!」
どんなに覚悟をしても、あまりにも深い闇に心が蝕まれてしまいそう。
飛びかかって来るブレイフマンをカイトは銀槍の腹で打ち退け、アサギもブリュンヒルデも対処に手を焼いて殴りつけることで追い返している。
カイトの表情は、状況を打開しようと考え続けている時の顔だわ。
ブレイフマンを追い返すだけで近づけようとしないのは、私を慮ってのこと。
私が少し涙をこぼしてしまったから……。
「本当は、どうすることが最善なのかしら……」
「それは……わからない。今は、これからあいつが傷つけてしまうかも知れない誰かのために、僕たちがここで奴を何とかしないといけないんだ」
「そうね……野放しには出来ないわ」
「カイト様、リシィ様、あなた方ばかりが手を汚す必要はありません」
「ブリュンヒルデ、そうは言っても決断するのは僕たちなんだ」
「はい、ですからこれは私の独断。機動力に秀でたお二方にここまで先行していただきました。少しばかりご協力をお願い申し上げます」
「え……?」
群れをなして飛びかかるブレイフマンを、その更に背後から天井を蹴って現れた疾風と暴風が、鉄鎚と戦斧を振るい吹き飛ばしてしまった。
そうして、火の粉を撒き散らしながら傍に着地したのは私も良く知る人物。
「カイトさん、リシィさん、お待たせしました! 私もともに戦います!」
「サクラ!?」
もう一人、金色のたてがみを持つ獅子もまた、片手で巨大な戦斧を振るって目の前で立ち塞がった。
その背は私たちの姿を覆い隠してしまうほどに大きく、まるで狂気から守ってくれるかのように頼もしくも見える。
彼のことも知っている……彼は……。
「ハッ、くダラん。戦場で敵にマで情けをカけるとハ、本当にくダラん」
「ベッ、ベンガードまで!? どういうことだ、ブリュンヒルデ!?」
「実況中継をしていました。合流までは徒歩で後四十分はかかりましたが、お二方の脚力なら五分以下にも短縮することが可能。ですからお呼びしました」
「そ、そんな無茶な……」
「私だけではないのね……」
「リシィ?」
「カイトを支えたいと願うのは、私だけではないの。そうよね、サクラ」
「はい! カイトさんとリシィさんを傷つける輩は、この私が決して許しません! 傷が心にまで至るのなら尚更に、私が深焔の業火をもって滅却します!」
サクラの輪郭が炎と燃え、舞い散る火の粉が大気さえも焦がしている。
それなのに、私たちは少しも熱くないわ。サクラはこれほどまで怒っているのに、私たちにとってはとても安らげる温もりとしか感じないの。
【烙く深焔の鉄鎚】が、過去の世界で見た時と同様に展開する。
開放され露出した鉄鎚の核は赤々と燃え、私たちには影響がないにも関わらず近くにいるブレイフマンを燃やしてしまった。
振るうことも、触れることすらなく、サクラが見ただけで燃え上がってしまったの。
「イギィッ!? 熱い! 熱いっ!? 何だこれはっ!? 気持ち良くなヒャァッ!! やめろっ!! やめっイギャアアアアァァアアァァァァァァァァァァァァッ!!」
再生なんてしなかった……。ブレイフマンは姿形も残らず、一瞬で炎とともに消し炭と消えた。
そうして男たちの間には動揺が広がる。自分たちを殺し尽くすことの出来る相手が目の前に現れたことで、仏頂面に奇妙な怯えが浮かび上がっている。
「燃え……た……?」
「【烙く深焔の鉄鎚】は【緋焚の剣皇】の試製神器となります。因果に干渉する力は限定されていますが、使い手が認識する対象の罪を烙く。罪の塊のようなそこの罪人には効果覿面かと思われます」
「……はっ!? そうか、意識を逸らされていた……。初めから、あの厄介な能力をなかったことにすれば良いじゃないか……!」
「あっ! 因果にまで干渉する力……!」
「カイト様、リシィ様、相手の言動に飲み込まれてはなりません! あなた方は、既に世界を変革し得る力を己が内に持っているのですから。それは星をも創生する力を持つ神器、何を恐れることがありますか!」
ブリュンヒルデが私とカイトをたしなめる。
何故、気がつかなかったの……。この男の異常性に飲み込まれ、私もカイトもどうしようもなく悲観的な思考になってしまっていた……。
思考を“生と死”に固定され、それを覆すことが出来る自分たちの力から目を逸らされてしまっていた……。
相手に飲み込まれてはダメ……なすべきことのために、己の意志ひとつをもって力の使い方を決めるの。
「ありがとうブリュンヒルデ、おかげで目が覚めた。だけどそれなら、サクラやベンガードまで呼び寄せる必要はなかったんじゃ……」
「因果への干渉は重い、負担は分散すべきとの判断です。私の演算を超えた不測の事態に備え、全てを焼き尽くすために皆様のご協力をお願い申し上げます」
「ハッ、良いように使ワれるのハ癪ダガ、小僧にハ借りガアる。これで清算ダ」
「……任務、了解」
ベンガードは振り返りもせずに了承し、アサギも強化外骨格の下で表情は見えないけれどブレイフマンを牽制しながら頷いた。
私は蒼衣を解除する。初めから必要なかったもの、狂人にも生と死にも翻弄されないで、カイトと共にどうにか出来ると信じ続ければ良かったの。
【天上の揺籃】に進入し、これから邪龍と対峙しなければならない緊張からなのか、どこかで臆病になってしまっていたのね。
そうよ、私たちは三柱の邪龍どころか、六柱の神龍の力を神器として受け継いでいるのだから、初めから恐れることなんてなかったの……!
「イハッ……イハハッ! 何をゴチャゴチャとっ! なら俺たちは死ぬ前に増えるっ! 殺し尽くせないほど、増えて増えて増えて増えて増えて増えまくりだああああああっ!! イヒィアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
「無駄です、最初から見ていましたよ。瞬きの刹那で再生が出来ないのなら、私はその刹那を見逃さずに燃やし尽くします」
ブレイフマンが自分で自分を互いに斬ろうとし、それを許すまいとサクラが火の粉を撒き散らして跳躍した。
彼女の言う通りだわ。近接武器で斬りつける隙なんて、自らがその隙を狙ってくれと言っているようなもの。
サクラがブレイフマンたちの合間に下り立ち、業火を宿した鉄鎚を一回り振るうと、周囲にいた男たちは一人も余すことなく燃え上がった。
「イヒギャッ! あっちいっ! 燃えるっ! 俺が燃えるっ!」
「やめろっ! こんなの気持ち良くないっ! まだシ足りねえっ!」
「死ぬっ! 死にたくないっ! 消えるっ! 俺が消えるるるるるるっ!」
「ヒギィィィィッ! あちいいいいっ! どうせなら一発イハァアアァァァァ……」
一人二人と次々と燃えていく、その抱えた罪の分だけ一瞬で消えてしまうかのように、最初からいなかったかのように、跡形もなくどこかへと霧散していく。
そして、残されたブレイフマンたちは我先に方々へと逃げ出したけれど、その先に回り込むのは鋼鉄の騎士と金色の獅子。
「ハッ、クソ共ガッ! 同じ顔で手間バカりカけサせヤガって、沈め!」
戦斧の腹で叩かれ、昏倒したところをまた焼かれる。
「……逃がさない」
鋼鉄の拳も、逃げるブレイフマンたちの意識を一撃で刈り取っていく。
「リシィ、緋剣を最大顕現で振るう。あの能力ごと、奴の人格を形成した過去の全てを斬るということは、やはり人一人を殺すに等しいかも知れないけど……僕と一緒に振るってもらえるか?」
「ん、今更よ。貴方に寄り添うことを選んだのは、私自身なの」
「ありがとう。今度は自分だけはなしだよ」
「ん……うん、わかったわ。一緒にね」
そう、“死”にも恐れることはないの、私には神器がある。
それに、何よりもカイトが傍にいてくれるのだから。




