第二百五十四話 互いに寄り添う
「小僧、俺はキサマに殺されるため追って来た! 疼くんだよぉ、恋い焦がれるみたいによぉっ! ここで待った甲斐があった! イハッ、イハハハッ! 殺してくれ! 殺してくれ! 殺してくれ! 殺してくれ! これまで以上の最高の絶頂を俺によこせぇっ! イヒィィハアアァァァァッ! ンギモヂイイイイィィィィィィィィッ!!」
ブレイフマンは白目を剥き、股間を膨らませながら絶頂に達した。
そんな狂人の有様にリシィは顔を歪めて慄き、僕は震える彼女を背に庇う。
だけど本当に気が触れていたのは、背後に立つ二人目のブレイフマンが、絶頂に達している一人目のブレイフマンを袈裟斬りにしてしまったことだ。
青光の剣身を持つ大振りの鉈を肩口から差し込み、ギコギコとまるでのこぎりで切るかのようにゆっくりと胸部を横断し脇腹で抜いた。
血を撒き散らし、臓物をこぼしながら、一人目は二つの肉塊に変わる。
「うっ……何てことを……」
「リシィ、見るな……!」
「おいおい、もっと良く見てくれよ。俺は、俺たちは、『死にたくない』と言ったぁ。殺して欲しいが、死にたくはねえ。イハッ、死ぬ快楽は最高なんだぁ」
二人目が一人目の頭を踏みつけながら言う。
そう、ブレイフマンはあの状態でも尚、死んでいなかった。
切断面が蠢き、まるで別の生き物かのように急激に肉塊が膨れ上がる。
肉塊は一瞬で形を整え筋肉となり、筋肉は撚り集まり人の形に。崩壊した砂城が逆再生されるかのように、人の誕生を早回しで見るかのように、僕たちの眼前で狂気でしかない新たな生誕が行われた。
あり得ない……いや、【惑星地球化用龍型始原体】が与えた力なら、人の命すらもおもちゃのように扱われてしまうのか……。
「それがおまえの固有能力か……。“再生”では生ぬるい……“複製”、おまえは自分の体を使って自分自身を生み出すことが出来る」
ブレイフマンはここに来て最初から二人いた。
そして一人目が二人目に殺され、今は三人となった。
「イハハッ! 何度言わせる、『死にたくない』と言った。俺は死なない、死にたくない。だから、斬っても焼いてもすり潰しても蜂の巣にしようとも、俺は生き返る! イハッ、肉片の分だけ、いくらでも、何人でも、俺が、俺たちが、死に尽くすまでっ! 俺は死なない! 死なない! 死なない! 死なない! イハハハハハハッ!!」
袈裟斬りにされた胸から上は下半身を生やし、胸から下は上半身、それも頭部、恐らくは脳まで完全に複製し二人になってしまった。
一人は殆ど裸、もう一人は纏わりついた腰布とズボンだけの様で、露わになった直立する股間は人前、特にリシィに見せられたものではない。
ゲームの中でも、この手合いは戦闘を長引かせるばかりの面倒な相手だった。攻撃すれば攻撃した分だけ増え、画面を埋め尽くすまで増殖するスライム。
どうやって倒すのか。それは、ゲームだと分裂限界が設けられているため、いずれ終わりはやってくる。人の体細胞にも、“ヘイフリック限界”と呼ばれる分裂限界があるけど……超常の存在に作り変えられたブレイフマンに、果たしてそんな上限があるのだろうか。
ロールプレイングゲームのセオリーで対処するなら燃やす凍らすだけど、奴は自分で『焼いても』とも言っていたな……ブラフか、それとも……。
「……殲滅する」
「待て、アサギ! 下手に攻撃すると!」
「増えるってか? 無駄な心配だ、俺たちはもうこんなにいる」
アサギが攻撃を仕掛けようとしたところ、一人目の上半身だったブレイフマンが手を上げた。
通路の脇にある扉が開き、中から出て来たのは更にブレイフマン。一人、二人、三人、四人、五人……数えることも億劫になるほどの、同じ顔、同じ背格好をした狂人が、歪な仏頂面で『イハハッ』と笑いながら姿を現した。
その数は既に五十人を超え、互いが互いを両断しただけで三桁を越えてしまう。
「何てことだ……」
「どうだ、俺を殺し放題だ! だが安心しな、ここにいるだけで俺たちは全てだ! 小僧に殺されたいと、俺も、俺も、俺も、俺も、俺も、俺も、俺たちは待ちきれなかった、全員がここに来ちまった! イハハッ、さあ殺してくれ!!」
ブレイフマンの集団が瓦礫を越え、僕たちに向かって無防備に歩き始めた。
アサギの強化外骨格の搭載装備も、ブリュンヒルデのヒートランスでも、こいつを相手するには無駄に数を増やすだけで決定力に欠ける。
もしも僕たちの携行装備の中で、ブレイフマンを殺し尽くせるとしたら……“死の虚”を内包する死そのものの体現、神器【蒼淵の虚皇】。
躊躇うな……こうなってしまった以上、ブレイフマンは最早“人”でもない……いや、責任逃れはしない。もう後悔もするものか。
人の生と死を弄ぶ狂人に、僕は大それた正義なんて語らない。
ただ自分の信念に従い、自分自身の義をもって許されざる愚者を討つ。
「わかった。綺麗事はいらない、おまえは今ここで殺し尽くす」
「カイト!? それでは貴方が……!?」
「リシィ、【蒼淵の虚皇】を頼む。僕が殺る」
◇◇◇
そう言ったカイトの表情は、日本を始めて訪れた日の翌日、お祖父様の家で目の当たりにした暗い影を帯びていた。
顔を両手で覆い、人を手にかけたと思い悩んで後悔し、自分を責めていた。
だから私はカイトの支えとなりたくて、「受け止めなさい」と、「その代わり、私も半分を受け止めて支えるから」と、彼に心から告げた。
私だって人を手にかけたことはない、その罪を考えただけでも泣き出してしまいそうになる。けれど……けれど、それ以上にカイトが傷つくのも、カイト一人に全てを背負わせてしまうのも嫌なの!
後悔はきっとする……それでも、私は彼の荷物をともに背負って進みたい。
カイトと一緒に、支え合って生きていきたいの……!
「溟海を統べし者 四海天下に死する者 幽冥に潜む者 白金龍の血の砌 打ちて 焼きて また打たん 万界に仇する祖神 蒼衣を以て失せ 葬神三衣――」
「リシィ、ごめん」
むしろ謝るのは私……。
「……っ!? 待て、それは僕に……!!」
「そんなことは知らないわ。私は貴方の主なの、主が従者を先導するのは当然のことよ。受け止めるわ、私の騎士の責任も、貴方の心の痛みも、何もかも!」
蒼衣はカイトには与えない。
彼の主として、彼に好意を抱く一人の女として、私自身が立ち向かって行きたいから……彼といつまでも寄り添っていたいから!
「人の生死を軽んじる愚か者よ! 禍神を滅する龍血の神器を前に恐れ慄くが良い! 【蒼淵の虚皇】!!」
驚いたカイトが私に向かって手を伸ばす。彼の覚悟を蔑ろにしてしまったけれど、その代わり私が蒼衣を纏って信奉者に対する。
そうして【蒼淵の虚皇】が包み込んだのは、私の右半身。
蒼衣からは、心の奥底にまで冷たく染み込むような酷い寒気を感じる。
自分自身で使ったのは始めてだけれど、こんなにも嫌な感覚に苛まれるものだったのね……。カイトは一言も言わないのだもの、どうかしているわ。
「イハッ! 邪魔するな小娘! 俺は小僧にもう一度心臓を抉られたいのさぁっ!」
目前にまで迫る同じ顔をした愚か者の集団に、私は蒼衣を翻す。
躊躇いは少しあるかも知れない。けれど、何かを言うカイトの静止を振り切り、飛びかかって来る先頭の幾人かを薙いでしまった。
蒼衣のヴェールに触れた傍から、音もなく崩れ落ちる愚か者たち。
どんな状態から再生しようとも、【蒼淵の虚皇】が内包する“死の虚”は生きる力そのものを奪う。顕現した“死”のカタチに対し、人は決して抗う術を持たない。
愚か者は愚か者のまま、この世から永遠に去りなさい。
「ヒハッ!? 死んだ……俺が死んだ!? 生き返ることもなく、俺が死んだ! 俺が死んだ! 俺が死んだ! 俺が死んだ! ヒィハアアアアアアァァァァァァァァッ! 愉快! 愉快! 愉快! 愉快! 愉快! 愉快! 俺が目の前で死ぬのも気持ち良いなああああああっ! ヒハハハハハハハハハハッ!!」
「本当に狂っているわ……」
「何て……ことを……リシィ、君は……」
「カイト、蒼衣は私が使うから。貴方は騎士として私を守りなさい」
おかしいわ、大切なカイトの顔が滲んでしまう。
「泣いて……いるじゃないか……」
「ん……あんな愚か者でも一応は人だから、せめてもの手向けよ。カイトこそ、そんなに悲しそうな顔をしないで。私は自分から貴方に寄り添うことを選んだの」
だから悲しまないで、どんな辛いことも一緒に受け止めて生きるから。
「……わかった。僕もリシィを守り、君の意志にどこまでも寄り添い続ける」