第二十七話 決行 収束 そして
今はもう人のいなくなった東通りを走る。
目的の場所は見えているのに遠い、直線が永遠に続くかのように思える。
僕は何故、こんなにも一生懸命に走っているのか。
覚悟を決めた今も、ふとした拍子に足が止まってしまいそうで、戦場に向かうことが酷く怖い。ほんの少し前までは一般人だったんだ。戦いは専門家に任せて、安全な場所に隠れていても、責められることはないだろう。
だと言うのに、僕の意思は足を止めることを頑なに拒んでいる。
……そうだ、僕はこの世界が好きなんだ。
MMOゲームや、オープンワールドゲームをやっていた時のことを思い出す。
遠く広がる世界と、あるがままに生き生きとする人々。未知の景観と見知らぬ出会いを求め、どこまでも、どこまでも、時間を惜しんで旅を続けた。
現実の中にいて、決して辿り着くことのないその場所に憧れを抱き、望んでも望み切れない夢を抱いた。
それが今、目の前にある。ここにある。
だから僕は、無理を押し通してでも、この世界で生きようとしているのか。
死んでしまったら、セーブポイントには戻れない。それでも、いつの間にか好きになっていたこの世界を、そこに住まう人々を、何よりもリシィを、ただ守りたいがために走っている。
――進め 進め 進め
――求めよ 求めよ 求めよ
――望みは手に入れたか?
――望みはこの先にあるぞ?
――望めばまだ間に合うぞ?
「うるさい……人の感慨にまで水を差す愚神! 絶対に、お前たちの望むようにはしてやるものか! “三位一体の偽神”!」
進む先で金光が瞬く。僕を救ってくれた光、人々を照らした希望の灯火。
光矢は致命打こそ与えられていないけど、顎を避けて確実に砲狼を削いでいる。
決して諦めない誇り高き龍血の姫、リシィティアレルナ ルン テレイーズ。
今自覚した。僕は……彼女に惚れている。
彼女のために走り、彼女を守るために全力を尽くす。それで良い。
リシィを笑わせるために、必ずこの苦境を何とかしてみせる。
―――
通りの先では、探索者たちが防衛設備を稼動させ、尾部にワイヤーのついたジャベリンが、突き刺さった砲狼の動きを封じていた。
だけどそれも束の間、もがく砲狼はワイヤーを引き、射出装置ごと土台を引き抜いて振り回し、今はかえって探索者が危険に晒されてしまっている。
大盾を持った戦士が受け止めるも、その盾も最早原型を止めてはいない。
前線を支えている五人の大盾持ちの内、一人はベルク教官だ。
両手に持った二枚の大盾が、誰よりも力強く砲狼の爪を弾き返している。
そして、その後方にはリシィとテュルケ。
遠距離攻撃能力は希少なのか、リシィの他には二人しかいない。
後は全員近接武器を持ち、代わる代わる突撃しては傷を負い、動けなくなるまで戦い続けている。
これはもう戦いじゃない、戦術も何もないゾンビアタックだ……。
砲狼の長い鋼鉄の尾が鎌首をもたげた。
急襲、ただ早いだけの刺突がリシィに向けられる。
――ギィキィィンッ!!
尾を弾いたのは、リシィの正面で立ち塞がったテュルケ。
両手に持った包丁とおたまで、その神速の一撃を眼前で逸らした。
やはり、リシィを狙う攻撃優先順位は高い。だけど、あれは何度も逸らせるものじゃない。テュルケは荒く息を吐き、小さな肩は小刻みに震えてしまっている。
「リシィッ!!」
「……カイト!? 何故ここに!?」
リシィは僕の呼びかけに振り返り、真っ赤な瞳で驚いた。
彼女の汗ばんだ肌は光り輝き美しくもあるけど、疲労が表情を曇らせている。
「はぁっ、はぁっ、良かった……はぁ、無事で……」
「何故来たの!? 安全な場所に隠れていて!!」
「それは出来ない。作戦を伝えにここまで来たんだ」
「えっ!? カイト……砲狼を討滅出来るの!?」
リシィは一瞬戸惑い、それでも砲兵の時のことを思い出したんだろう、疲労が見える瞳に希望の緑色を灯す。
「カイト殿! 何故このようなところに!?」
「ベルク教官も手伝ってください! 砲狼を討滅します!」
ベルク教官が、破砕された大盾を持ち替えるために下がってきた。
だけど、ギルド職員が彼に渡す予備の盾も拉げていて、この場で無理やり応急修理を施したもののようだ。
もう時間がない、戦線を支えるにも限界が迫っている。
「おおっ、どのような秘策が!? 彼奴めを討滅出来るのなら、このベルク ディーテイ ガーモッド、己の骨すら断つ所存!!」
「それは……大丈夫です。リシィ、神器を使って欲しい」
「……えっ!? 今の私では無理よ! 竜角を奪われてから制御が……」
「今だけは使える」
リシィは怪訝な表情を浮かべながら、自分の掌を見詰め、何かを確かめるように握ったり開いたりしてから、胸に手を当てた。
すると、手の内から銀光が漏れ出し、周囲に光の清流が形作られる。
今も戦う探索者たちも、こちらの様子に気が付いたようだ。
「本当だわ……。力が戻っている……けれど、どうして……」
「説明は後だ。三時丁度に、砲狼を破壊する一撃が欲しい。出来るか!?」
僕は、リシィに懐中時計を見せながら問う。
既に時間は残り五分。機会は一度切り。
「出来るわ。けれど、無防備になるから攻撃を逸らして欲しいの」
「テュルケ! ベルク教官! 頼めるか!?」
「やりますです! 姫さまは私が全力でお守りしますですです!!」
「心得た! この身、鋼の盾と化し姫君をお護りいたす!!」
「それは頼もしい限りだ!」
二人からは、疲労を感じさせない力強い答えが返ってきた。
こんな綱渡りの作戦じゃまだ足りないけど、それでもやってもらうしかないんだ。
今も、怪我人が肩を借りて続々と後ろに下がってきている。
探索者たちは少しずつ数を減らし、彼らの表情に見える焦燥と疲労の色は濃く、既にその多くが心すら折れかけているようだ。
もう後はない。刹那の瞬間に全力を尽くしてもらえるように、僕が支える。
「良し、三時丁度にエリッセさんがこいつの“目を潰す”! 同時に砲狼の後ろ脚を切断して“動きを止める”! その算段は既に整えてきた! 後は、その隙を利用してリシィの神器で“核を貫く”! あの顎は並の硬さじゃない、出来るか!?」
「ええ! 禍神を滅する龍血の神器、見せてあげるわ!!」
周囲で膝をつき、胡乱と聞いていた探索者たちの顔色が変わった。
明確な砲狼討滅の道筋、全力を発揮する龍血の姫の名、それが希望となって、心に消えかけた闘志の炎が再び灯る。
「みんな、聞いていただろう! 機会は一度切り、ここで踏み止まればそれで終わりだ! 今晩は戦勝祝賀会にしようじゃないか!!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
探索者たちが、一度は地に置いた武器を取った。
誰もが雄叫びとともに拳を振り上げ、ベルク教官が猛牛の勢いで突撃する。
テュルケは僕たちと砲狼の間に立ち塞がり、何者をも通さない気構えだ。
そして、僕とリシィは共に砲狼から距離を取る。
「カイト、傍にいて欲しいの……」
「ああ、時間を知らせないといけないから、ここにいるよ」
「そう言うことじゃないのだけれど……今は良いわ」
リシィは黒杖を掲げ、一息吐くと同時に金光を纏い始めた。
途端に、大気を満たした重々しい質量は何だろうか。
神々しいまでの静謐さ、何かが、どこかから、降ってくる。
「行くわ」
「頼む」
「月輪を統べし者 天愁孤月を掲げる者 銀灰を抱く者 白金龍の血の砌 打ちて 焼きて また打たん――」
……これは、歌だ。
美しい声音で紡がれる歌。
戦場の喧騒を遮断し、如何な場所も舞台に変えてしまう神秘を纏った神曲。
リシィの全身から溢れ出す金光が、歌の変遷とともに銀光に変わり、彼女の頭上に長大な銀色の槍を形作っていく。
ただの槍じゃない、そのものが神に等しい何か、圧倒的な神格を持った何か。
これは……そう、神の御業だ。
神が創り上げ、神によって与え賜うた神々の器。
これが、“神器”――。
その時、西の空に一筋の閃光が打ち上がった。
雲に波紋を残し、遅れてキュンッと大気を切り裂いた音が聞こえる。
緑光はそのまま高く伸び、高空を飛ぶ観測機の脇を抜けて直撃はしない。
時間は三十秒前……そうか、次が本命だ。修正射がくる!
数瞬の後、再び緑光が空を翔ける。一発、二発、打ち上がった。
一発目が観測機の鼻先を掠めて進路を阻み、二発目が胴体を抜ける。
爆散――三時、丁度! ノウェム!!
“陣”は……見えなかった。ただ砲狼の左後ろ脚が、蟻地獄に踏み込んだかのように、一気に大腿部まで石畳の中に沈んで消えた。
「今だ! リシィ!!」
「万界に仇する祖神 銀槍を以て穿て 葬神五槍 【銀恢の槍皇】!!」
大気が渦を巻き、銀光を残して爆ぜた。
全長五メートルはある長大な銀色の槍が、探索者たちの頭上を越える。
銀槍が砲狼の顎を穿つ。
人々は神器の行方を固唾を飲んで見守る。
僕はその様子を、スローモーションとなった感覚の中で全て見ていた。
視界を奪い、行動を封じた。
刹那の死角、ここに全てを収束させる。
「貫けええええええええええええええええええええっ!!」
爆発、衝撃が体を打ち、僕は天地を失った――。




