第二百四十五話 決戦の空へ――
らしくないのはダメだな……。
後ろを見るとリシィはきょとんとした表情で、親方はやれやれと言った風に操縦席から僕を見ていた。
“龍血の姫”のような口上は真似るだけでも精一杯で、やはり僕は僕らしく自分自身の言葉で語りかけるのがこの場では最も相応しい。
『あー……と、本艦は【天上の揺籃】からの攻撃を受け緊急出航しました。被害は外周防御区画の損壊、航行に支障はなく現在修復作業をしながら飛行中です』
これは、既にアシュリーンが艦内放送で伝えていた情報だ。
隣ではブリュンヒルデが、複数の艦内の様子を空中に投影してくれている。
皆は思い思いに過ごしているようだけど、一応は僕の放送に耳を傾けてくれているようで、言いたいことはひとつだから極力余計な話は避けることとしよう。
『修復は最短でも六時間、その後は“宇宙”へと上がります。そこは真空の世界、全ての人にとっての未知の領域、だから今のうちに各自やり残したことがないかを考えてもらいたい。武器の手入れから心身の休息、腹ごしらえが出来るのも後わずか、更には大切な人に秘めた想いの丈を伝えることまであえて推奨したい。これは僕からの頼みです、最後になるかも知れない時間を有意義に使って欲しい』
脅すようなことはしたくないけど、最後になるかも知れない事実を誰もが第一に認識しておいてもらいたい。
僕たちはそれだけ強大な相手に挑む、死地を踏ませる責任を、言葉の上でも嘘をつきたくはない。
だから最後に……勿論最後にするつもりはないし、そんな覚悟は皆とうの昔に出来ているかも知れないけど、自分の口からはっきりと伝えておきたかったんだ。
『僕からは以上です。姫さまみたいに上手いことは言えないけど、英雄たる皆の力を頼りにしています』
『良いぞー、クサカー!』
『やってやろうぜ、軍師ー!』
『キャーッ! カイトさまーっ!』
『あんただって英雄だろうがよぉっ!』
『そうだな、告白するから見届けてくれよ艦長!』
途端に聞こえてきたのは、仮想モニターに映し出される皆の声だ。
モニターの向こうでは、拳を振り上げ肩を組み合い武器を掲げては打ち鳴らし、未知の領域に挑むにしては皆の表情は強張ることもなく笑っている。
本当に理解して……いや、だからこそなんだろうな。祖父と同じ、追い詰められた状況だからこそ、「こんなのは何てことない」と精一杯に笑うんだ。
「向こうの音も拾ってくれたんだ。ありがとう、ブリュンヒルデ」
「カイト様、貴方にも“言葉”が何より必要かと思いました。上々ですね」
「はは、頼りなくてごめん。これで少しでも皆の背が押せたら良いんだけどな」
「頼りになるわ。カイトはいつだって、押すどころか皆を引っ張っているわよ」
見ると、リシィが機体に手をかけ操縦席から出て来るところだった。
「あれ、調整はもう良いのか?」
「ええ、だって……カイトがあんなことを言うから、思わず力んだら直ぐに繋がってしまったみたいなの。親方もサトウも中で驚いているわ」
「え? そんな力ますようなことを言った? 自分では実感がないけど……」
「んっ、んんっ……そ、それは良いのっ! 本来カイトは力を持たない来訪者なんだから、それを忘れないで! そんな貴方が、誰よりも先駆けとなって前を進んで行くの、カイトが英雄でなかったら他の誰が英雄となり得るのよ!」
「私もリシィ様に同意します。【重積層迷宮都市ラトレイア】で取得した記録には、常に人々を先導して戦う貴方の姿ばかりが残されていますから」
リシィに同意するブリュンヒルデからは、思いがけず到るところで記録を取られていた事実が判明した。
「必死だっただけなんだけどね」
「それでもよ、一度だけしか言わないから良く聞きなさい! 前にも似たようなことを言った記憶があるけれど……わっ、私の騎士も、私の英雄も、カイトだけなんだからっ! ずっとっ、ずっと……私の傍で、そう在り続けなさいよねっ!」
「それは当然だ。僕はずっとリシィの傍でかしずくよ」
「んっ……もうっ……もう、もうっ、もーっ! そういうところなのっ! 自信がなさそうに見えて、けれど次の瞬間には揺らがないんだからっ! カッ、カイトが秘めた想いの丈をなんて言うからごにょごにょごにょごにょ……」
「えっ、なに? あ、ごめん、乙女心的な何かそんな感じのやつ……?」
「んーっ!? 違うわっ、もう知らないっ! カイトのバカバカッっ!」
「おっ、うわっ、ごめんなさいっ!?」
な、なんだろう……リシィは顔を真っ赤にして僕をポカポカと叩いてくる。
瞳の色は緑と黄のグラデーションだから、こんな状態でも非難されているわけでもないらしい。乙女心……本当に僕には良くわからない。
そして叩かれても痛くはなく、ただその様がとても可愛らしいだけで、このまま一生見ていて良いのなら僕は腕を広げ彼女の全てを受け入れるだろう。
結局は要点がわからなかったけど、可愛いは正義なのは納得した。
「これが“微笑ましい”という感情でしょうか」
「それだな。若さだけは研鑽でどうにかなるもんじゃない」
「自分にはなかったな、メカ一筋だったから。今になってうらやましい」
何でか、ブリュンヒルデと親方とサトウさんが三人揃って横一列に並び、僕とリシィのことを微笑ましげに眺めていた。
―――
その日の夜――きっかり六時間で修理を終えた巡洋戦艦アルテリアは、月の下で大地を見下ろしながら航行していた。
「六番、七番主砲試射、防御区画気密維持ともにコンディショングリーン。高度一万メートル、巡航速度で水平航行中、艦体に異常なし、タイムスケジュール通りです」
艦橋は夜間灯に照らされて薄暗く、今は僕とリシィ、後はアシュリーンとシュティーラにエリッセさんの五人だけしかいない。
既に艦内には戦闘準備態勢が発令され、全ての乗組員が主艦体内で待機状態となっている。
「後五分を切ったか……緊張するな……」
「私も柄になく緊張する。未知とはこんなにも恐ろしいものだったのだな」
「いつも見上げた星に届くなんて……。この場にいても実感が湧きませんわ」
「シュティーラ、艦は任せたわ。私とカイトは宇宙に上がり次第出るから」
「ああ、決戦機とやらに期待している。貴様らこそ任せたぞ」
「アシュリーン、【天上の揺籃】はやはりルテリアに向かっているのか?」
「三時間前に周回軌道を逸れ加速した後は変わらず、ルテリアの直上を通過します」
「ルテリアを直接狙うか、“神龍”とまで呼ばれた者が何と姑息な」
「出航した以上、そんなことをすれば我々は余計に奮起するだけですわ。邪龍の意図が把握しきれませんわね」
奪われる悲しみと、その後で生まれる憎しみは邪龍も理解しているはずだけど、そうまでして地球人類の遺産が憎いのか……。
大気圏離脱が近づいて僕もリシィも緊張し、それはシュティーラも同じようで、ディスプレイに映し出される艦内の人々も今は笑いもなく強張った面持ちだ。
宇宙……良くスペースシミュレーターで星の海を宇宙船に乗って翔け巡ったけど、実際の宇宙へ行くことになるなんて当時は思いもしなかった。知識のある僕でさえ、胸から湧き上がる悪寒に近い緊張はとても耐え難い。
これ以上の緊張となると、想像しただけで心身ともに強張ってしまうな……。
「シュティーラ、艦長席に。エリッセさんはシュティーラの席に」
「貴様は? ああ、流石は龍血の姫の騎士といったところか、少し妬けるな」
「そうですわね。主に忠義を尽くす騎士は多くいますけれど、心にまで寄り添おうとする騎士はそう多くありませんでしたわ」
僕たちはリシィ以外の座っている席を交代した。
肩越しに見た斜め後ろの席のリシィが、震える手を必死に押さえていたから、僕はただ彼女の緊張にも寄り添いたいと思ったんだ。
座るリシィの隣に膝をつき、震える彼女の手に左手を添える。
彼女はそんな僕の様子を静かに見ていたけど、青みがかっていた瞳は間もなく緑色に、強張っていた掌を裏返し僕の手を握り返してきた。
「ん……カイトの手はこんなにも温かかったのね……」
リシィの冷たい手は緊張によるものか、いつも以上に小さくも感じる。
「大丈夫。僕がいつだって一緒にいるよ」
「うん……ありがとう、カイト……」
「カイト様、時間となりました」
「ああ、行こうか」
僕はリシィの手を握り締めたまま立ち上がり、月明かりに眩む空を見る。
目指すは遠く宇宙の果て、星の瞬きを隠す巨大な影――【天上の揺籃】。
僕たちは今、邪龍を討滅せんがために宇宙へと上がる。
「両舷最大戦速! 巡洋戦艦アルテリア、発進!!」